20回目の桃山栄光教会のクリスマス、豊かな恵みの内に幕を閉じました。感謝致します。

 そして学校も冬休みに入り、やっと一段落。それでも忙しい年の瀬、やらねばならないデスクワークはまだありますし、この我が庵(プレハブ仕事部屋)の大掃除もせねばなりません。これ結構大変そうです。さて、如何に断捨離したらよいものか・・・。

 無造作に積み上げた、本箱からはみ出た幾つも本の山・・・を見つめながら、片づけとはあまり関係ないこんな言葉が脳裏を走ります。「少年老い易く、学成り難し」。身に染みます。まだまだ未熟な私も、年齢的には既に高齢者。急がず、焦らず、「スロー・バット・ステディ(ゆっくり着実)」を心がけねば。まずは御言葉に聞き、祈り、黙想するところから始めます。

 示された箇所は、コへレトの言葉1章「・・・かつてあったことは、これからもあり かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない・・・」(9節)。今年もいろいろありました。来年も様々なことがあるでしょう。 「日は昇り、日は沈み あえぎ戻り、また昇る。風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き 風はただ巡りつつ、吹き続ける。川は みな海に注ぐが海は満ちることなく どの川も、繰り返しその道程を流れる」(6-7節)。方丈記の「ゆく河の. 流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず・・・」と重なります。まさに「諸行無常」。この世の中のあらゆるもの(諸行)は、絶え間なく変化し続けて行く無常)のです。それゆえ「一刻一刻を覚え、限りある命を大切に生きよ」と、教えられます。

 諸行無常とは、単に人生の果敢なさ、命の脆さを嘆く人生観ではないと思います。四季の変化を受け容れ、自然と一体となって、「今」を誠実に生きて来た日本人の知恵と精神性がそこに感じられるのです。 聖書は加えて「変わり行く世界の変わらざる神(An unchanging God in a changing world)」をも示します。神から与えられた、今の命のありがたさを心に刻み、精進し続けたいものです。さあ頑張って片付けよう。来年もどうぞよろしくお願いします。

 「いのちの暮れ近づき世の色香うつりゆく、とこしえに変わらざる主よ、ともに宿りませ」(讃美歌39)


☆1月31日年末礼拝説教「喜び」要約:
「神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます」(ヨハネの手紙一1:9)
 神との交わりの内に、互いの交わりもあり、喜びがある。それが教会生活です。週毎に共に捧げる礼拝、また共に営む信仰生活の内に、益々の喜びを経験させて頂きたいものです。なお、この礼拝は、当教会20年の歩みを締めくくる礼拝になります。

★桃山栄光教会のお正月:
1月1日(日)10:30~ 元旦礼拝、 7日(日)10:30~ 桃山栄光教会 創立20周年記念礼拝
どうぞ、お越しください。

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# by aslan-simba | 2017-12-26 12:03 | Comments(0)

お言葉どおり

「そのころ皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録せよとの勅令が出た」(ルカ2:1)

 ヨセフとマリアの住民登録の旅、北のナザレから南のベツレヘムまで。その区間を今年の夏、マイクロバスで走りました。140キロほどの距離で、山あり谷ありのかなり険しい地形。身重だったマリアにとっては、大変辛い道行きだったことでしょう。

 彼らのこの旅の9か月前、ナザレのマリアのもとに天使ガブリエルが現れ、イエスの誕生を告げました。「おめでとう恵まれた方。主があなたと共におられる」(ルカ1:28)と・・・。

 しかしその「恵まれた方」という告知とは裏腹に、傍目からみれば、マリアの人生は「恵み」というには程遠い、試練と苦難の連続だったように思えます。聖霊による受胎、ヨセフは密かに彼女を離縁しようしたと言います。そして旅先ベツレヘムでは宿に泊まれず、馬小屋での出産・・・。なお彼女はイエスが成人になる前に、夫ヨセフに先立たれているようです。また大人になったイエスは、長男であるのに「神の国を宣べ伝える」と言って、家を捨ててしまいます。そして、ついには十字架で処刑される・・・。マリアはその十字架に磔にされた我が子の姿を見るはめにもなるのです。

 ある意味、彼女の生涯は、神の計画に振りまわされた人生だった、と述べて良いかも知れません。彼女にとって、救い主イエスの母としての誇りは、復活の主にまみえるまでは皆無だったのでは・・・。

 ただ聖書に「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますよう」(ルカ1:38)というマリアの言葉が遺されています。おそらくそれは彼女がいつまでもこの祈りの思いに生き、その生涯を貫き通したゆえでしょう。

 「お言葉どおりこの身に成りますよう」、私たちもマリアに倣い、そう祈り続けたく願います。苦悩や悲しみ、また不条理の現実の中にあったとしても、この自分の人生を神さまに用いて頂くならば、決して不幸ではありません。その時、私たちのその生涯の一切が価値あるものとして輝く・・・と、クリスマスの母マリアから学ばされるのです。




1224日クリスマス説教「インマヌエル」要約:


『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」(マタイ福音書123


 クリスマス、私たちは感謝と喜びとをもって「インマヌエル」=「神は我々と共におられる」という事実を覚え、救い主イエス・キリストのご降誕を心から祝いたいと願います。Merry Christmas!




2017年度 桃山栄光教会のクリスマス
Have a Wonderful Christmas With Us!
 
★24(日)  午前10:30~11:30ごろ  クリスマス礼拝
        午後12:00~14:00ごろ  クリスマス祝い会 
        午後19:00~19:30  キャンドル・サービス 

お気軽にお立ち寄り下さい。お待ち申し上げております。




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# by aslan-simba | 2017-12-18 20:44 | Comments(0)

天使をお供に

「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった・・・」(ルカ2:10)、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2:14)。

 クリスマス物語には天使が何度も登場します。マリアに受胎告知を告げたのも(ルカ1:26-27)、そのマリアを受け容れるようヨセフに求めたのも(マタイ1:20-21)天使でした。さらに上述の言葉を語ったのも天使だった、とルカ福音書は記します。ならば天使とは、どんな存在なのでしょうか。

 私が初めて天使を見たのは幼少の頃、森永キャラメルの箱に描かれたかわいいエンゼルでした。背中に羽が生え、空を飛ぶその姿は、懐かしいキャラメルの味と共に、昭和の思い出のひとつです。 ただ聖書の伝える天使のイメージは、それとは少し異なるように思います。「天使」の原語、ギリシア語の「アンゲロス」とは、「神の御心を伝える使者」を意味します。その天使が、二千年前の最初のクリスマスの夜、羊飼いたちに告げたのが、「救い主の誕生」だったのです。さらに天使は、その出来事が「神の栄光」を示し、「人に平和(平安)」をもたらすというのです。羊飼いたちは、この言葉を受け、「主が知らせてくれた出来事を見ようではないか」と「急いで行って」(ルカ2:15-16)飼い葉桶に寝ている救い主を訪ねたと言います。暗い夜道を歩いた羊飼いたち、「恐れるな」と言われた彼らは、喜びと希望だけに心満たされていたのでしょう。

 こんな話があります。「ドイツの著名な牧師のもとに、ある日、不安を抱えた人が訪れた。牧師はその人の話に耳を傾け、アドヴァイスを与えた。それでも、なお浮かぬ顔の来会者を玄関に送り出した際に、牧師はこう述べたのである。『あなたに天使を一人お供させます』と。この言葉で、悩める人は明るさを取り戻し、元気に立ち上がって出て行った・・・」と。

 アドベントの時、主イエスご自身が御言葉を通して私たち一人一人に「あなたに天使をお供させよう。だから恐れずに行きなさい」と言われているような思いがします。私たちも喜びと希望に満たされて、新たな一歩を踏み出そうではありませんか。


☆12月17日待降節第三主日礼拝「広い心」要約:
「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい」(フィリピの信徒への手紙4:5)フィリピ書は私たちに、主から頂く「喜び」を教えます。その「信仰の喜び」は、ただ「喜び」として人の内に留まるのではありません。それは「広い心」つまり「寛容な心」となって、私たちを生かすものなのです。そこに「神の平和」が訪れます。


☆2017年度 桃山栄光教会のクリスマス
Have a Wonderful Christmas With Us! 
★24日(日)  午前10:30~11:30ごろ  クリスマス礼拝
        午後12:00~14:00ごろ  クリスマス祝い会 
        午後19:00~19:30  キャンドル・サービス 

お気軽にお立ち寄り下さい。お待ち申し上げております。



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# by aslan-simba | 2017-12-11 10:06 | Comments(0)

『賢者の贈り物』の季節

 毎年アドベントの時に思い出す小説がある。米国作家オー・ヘンリーの『賢者の贈り物』(原題"The Gift of the Magi")だ。

 物語の主人公は、大都会の片隅に住み、貧しくつましい生活を送る若い夫婦。ただ、この二人には自慢できる宝物があった。それは妻(デラ)の長くて美しい髪と、夫(ジム)の祖父から受け継いできた懐中金時計だった。 クリスマスの前日、伴侶のために最良のプレゼントを贈るため、デラは自慢の髪の毛を売って夫の金時計につける高級な鎖を買った。他方
ジムは美しい妻に似合う鼈甲(べっこう)櫛のセットを買うため、懐中金時計を手放した・・・


 この作品、1905
1210日のニューヨーク・ワールド紙に掲載された112年前の話。クリスマスという時が、特別の意味をもち、愛する者同士が、贈り物を交換することが大切にされた「古き良きアメリカ」が背景にある。日本でいえば明治38年(日露戦争勝利の年)。それでも時代を超えて、今日の私たちにも、ある種の感慨を与えてくれる。二人は愛する者のために、自分にとって本当に大切な物を犠牲にした。そこに贈り物の価値を超えた、お互いの深い愛がたたえられていたのである。

 なお題名にある「賢者(the Magi)」とは、星に導かれ、旅を続け、ついにベツレヘムの馬小屋を捜しあてた三人の賢者のこと(日本語の聖書では博士とか学者と訳される)。彼らは飼い葉桶の主を拝み、黄金・乳香・没薬の贈り物を差し出した(マタイ211)。それらは、それぞれに王・祭司・殉教の預言者を象徴し、キリストご自身に相応しい品だと言われる。

 オー・ヘンリーはデラとジムの話を「愚かで幼稚な二人の平凡な出来事(the uneventful chronicle of two foolish chidren)」と称しつつも、彼らも「賢者」だったという。それは互いを思い、クリスマスの贈り物をもって
「真実の愛」を示したからではないか。物語にキリストは登場しないが、私たちのために一番大切な命を捨てるまでに、私たちを愛し抜き、救いという最上の贈り物を差し出されたキリストの御姿が、そこに垣間見えるからだろう。


1210日説教「永遠の言葉」要約:

「見よ、あなたたちの神、見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ、御腕をもって統治される」(イザヤ書40:9)

 クリスマス、それは旧約の預言者が待望した神の到来を告げています。神は確かに来られました。その愛の御力は、あのキリストの十字架と復活において全うされたのです。私たちは今、主の支配のもとにあり、永遠に揺らぐことのない救いの言葉を頂いているのです。

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# by aslan-simba | 2017-12-05 18:49 | Comments(0)

 12月師走、一年最後の月。 教会のカレンダー(教会暦・典礼暦)は、それよりひと月早いペースで、アドベントの第一主日から新たな年間サイクルが始まります。

 アドベントはご存知のように、クリスマス(1225日)四週前の日曜から始まり、クリスマスイブの24日まで続く、降誕祭の準備と心構えの期間です。このアドベントの時を大半の日本の教会は「待降節」と呼んできました。キリストを、クリスマスを「待つ」時節ということでしょう。

 一方、ラテン語の「アドヴェントゥス」に由来する「アドベント」という言葉の意味は「待つ」ではなく、「到来」、「接近」、「出現」。「神の子の到来」「神の国の接近」「神の救いの出現」といった「主の来臨」の切迫感が、そこに示されているのです。聖公会がアドベントを「降臨節」と訳しているのは、そのためでしょう。 しかし、「待つ」ことを基調とした「待降節」という日本語表現に、私は実に深い意味合いを感じます。その言葉に、「迫り来る主」の到来に、切なる期待を寄せつつも、「静かに、黙して、祈り、待つ」という信頼の姿を覚えるからです。

 待つということ・・・人は未来に夢と望みをもって生きています。その根底に、願いをもって「待つ」という姿勢があります。 信仰者は来るべき主を待ち望んでいます。これほど大きな「願い」「望み」はないはずです。ただ、それは浮足立って待つことではありません。 その「待つ信仰」のあり方は詩編に、しばしば示されます。今朝読んだ62編にこうありました。

「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む」(新改訳)、「わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう」(新共同訳)

 厳しい現実の中にあっても、神さまに心底信頼し、自分のすべてを主に委ね、祈りつつ、待ち望む信仰者の姿が浮かんでまいります。その「魂の沈黙」を英語聖書は、「わたしの魂は、神の内にのみ安らぎを見出す(My soul finds rest in God alone.)」と記していました。 待つこと、それは、主の内に安らぎを見出すことなのです。「慌てず、焦らず、落ち着いて、信じ、待つ」ことを、この時期、特に大切にしたいものです。

123日待降節第一主日礼拝説教「目覚める時」要約:

「あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています・・・主イエス・キリストを身にまといなさい・・・」(ローマの信徒への手紙131114参照)

 私たちは朝を待つ者として生きるよう招かれています。朝の日差しに、古い惨めな罪の臭う服は相応しくありません。キリストを着るべきなのです。

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# by aslan-simba | 2017-11-27 17:12 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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