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 大善寺というお寺が、六地蔵駅近くにある。門前に「平安時代 重要文化財 小野篁 六地蔵尊」と書かれた広告塔が置かれている。そこに記される小野篁(おののたかむら)とは、百人一首の「わたの原 八十島かけて こぎいでぬと 人には告げよ あまのつり舟」を詠った人。その彼が、多くの人々に地蔵菩薩の功徳を得させようと、木幡の山にあった一本の桜の木から六体の地蔵を刻み、この寺に安置したと伝えられる。これが後に分祀され、「京の六地蔵めぐり」の発祥に繋がったそうだ。
 ちなみにこの小野篁、弓馬にも優れた文武両道の平安貴族だったという。家柄も良く、先祖は小野妹子で、子孫には小野小町や小野東風もいる。ただ、反骨精神旺盛な性格で、若い頃にはそのための失敗経験もあったようだ(後に挽回するのだが)。
 ところで、この篁には興味深い伝説がある。それは昼間朝廷に仕えるかたわら、彼は夜な夜な冥界へと出向き、閻魔大王の手伝いをするというのである・・・。先日、ある新聞で、その「閻魔様と小野篁の名コンビ」の姿(像)が見られるとの記事(9月末までの特別拝観)を読み、古くから葬送地だった鳥辺山の麓、六道の辻にある六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)へと出かけた。彼は、この寺の本堂裏にある井戸をくぐってあの世の閻魔さんの所へと出向いたと言われる。その井戸を実見。
 お寺の人の話によると、地獄での篁は、裁判官である閻魔大王に対し、亡くなった人のために精一杯の弁護活動に務めたとのこと。つまり、「執り成し」をしていたのである。そして明け方には、別の井戸「黄泉がえりの井戸」より帰還した・・・と。
 そういった逸話をおもしろく伺いながら、「執り成し」と「甦り(字は違うが)」をキーワードに、私は一人の御方をリアルに思い起こしていた。「主は・・・十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)に下り、三日目に 死人の中よりよみがえり・・・」(使徒信条)と告白される主イエス・キリストである。主も冥界に降り、死者の救いに尽力されている(ペトロ一4:6参照)。小野篁の伝説にも、キリストの出来事が透けて見えると言ったら、言いすぎだろうか・・・。


☆9月1日説教「備え」要約:
「キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり・・・」(フィリピの信徒への手紙1:10)
 「キリストの日」への備えは、善き業を始め、成し遂げて下さる神を徹底徹尾信頼し、委ね、福音にあずかり続けることです。福音の内に留まり、キリストの恵みの内に留まり、たゆまず祈り、救いの御業の完成を求め続けていくこと・・・これこそが私たちにとって最大の備えとなります。
# by aslan-simba | 2013-08-28 10:26 | Comments(0)

よだかの星

 夏の夕べ・・・子どもが小さかった頃、読み聞かせた話のひとつ、宮沢賢治の『よだかの星』を思い出した。
 「よだか」は、みにくい姿をした鳥。そのため他の鳥たちに嫌らわれ、悪口を浴びせられた。またその名のゆえに、とくに鷹(たか)からは嫌がられ、名前を変えろと迫られた。よだかの許を訪れた鷹は、よだかに明後日までに名前を「市蔵(いちぞう)」に変え、その名を書いた札をぶら下げて皆にあいさつに回れ、さもなければ「殺す」と脅す。途方に暮れたよだかは、空を飛び回る。その折に彼はこんな気づきを得る。
 自分が鷹に殺されることがこんなに「辛い」のに、自分自身も当たり前のように、小さな虫を食物として殺生をしてきたという事実があるのを・・・。
 彼は真面目で優しい鳥だった。そんな自分に嫌気がさし、遂にはこの世を捨てる決心をし、太陽や星々をめざして飛び立つ。しかし、太陽や星々からも相手にされない。力を落とし、地面に落ちそうになったのが急転直下、一直線に空へ向かって飛び上がるのだ。鷹のような叫び声をあげながら。
 よだかはもう、自分がどうなっているのか分らなかった。暫くして、自分が青い美しい光となり、静かに燃えているのに気づく。「・・・すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。今でもまだ燃えています」(『よだかの星』より)。
 賢治の童話は、その域を超えている。この作品にも、言い尽くしがたいほどのメッセージや重い問題提起があると思う。たとえば我々に身近な「いじめ」や「人の罪」といった問題、宗教的な「命」の問いなども・・・。ちなみに、この作品は、若き日の賢治が、宗教の事で父と折り合いが悪くなり、実家を飛び出して東京で下宿していた頃に書かれたものだという。
 ふと、こんな聖句が脳裏を走った。「目覚めた人々は大空の光のように輝き 多くの者の救いとなった人々は とこしえに星と輝く」(ダニエル12:3)と。今夜、北の空によだかの星を探してみたい。


☆8月25日説教「執り成し」要約:
「・・・監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで頼みがあるのです。・・・わたしの心であるオネシモをあなたのもとへ送り帰します。・・・オネシモをわたしと思って迎え入れてください・・・」(フィレモンへの手紙)。
 獄中の使徒パウロは、逃亡奴隷オネシモを、その主人であるフィレモンへと送り帰す折に本状を持参させた。今、主に在って生まれ変わり、主人の許に戻ろうとしているオネシモを心底思いやり、執り成す使徒の愛に感銘を覚える。私はここに使徒パウロの牧会者としての偉大さを覚える。
# by aslan-simba | 2013-08-20 17:10 | Comments(0)

鎮魂の日に

 お盆と終戦記念日の重なるこの時期になると、「私たちはどこから来たのか。私たちは何者なのか。私たちはどこに行くのか」という問いが脳裏をよぎる。
 ゴーギャンに、この題名の絵がある。彼は祖国と妻子を捨て、「南国の楽園」に骨を埋めた西洋人画家だ。19世紀末のタヒチで、その問いを題材に、横6メートル、縦2メートルもの遺書的大作を残している。なお、その完成後、彼は服毒自殺を試みた(未遂に終わったのではあるが)。
 その絵の右端には赤ん坊の姿、中央には「木の実」を取ろうとする人の姿、左端におびえるような老婆の姿、そして人々、木々、猫、犬、鳥、またタヒチの「月の女神」が描かれている。そこから私は、創世記3章のアダムとエバの物語を思い起こした。ゴーギャンは、この絵を見る私たちにも、この問いを問いかけているようだ。彼は「西洋のキリスト教文明」から逃れようとしてタヒチへと来たのだが、この人間存在の根源的な問いの答えは結局聖書に求めたのではないかと思う。果たして答えは得られたのだろうか。
 今、日本においては、亡くなった人々を迎え、またあの世へと送り返すお盆の時期である。例年淡々と、この行事が行われ、特に京都においては「五山の送り火」に象徴されるように「死者」との自然な交わりが繰り返されている。目に見えない死者を、あたかも目に見えるような存在として捉える。そういった営みを通して、あの世とこの世を行き来するような仕方で、日本人はこの問いの答えを自然に受け容れてきたのかもしれない。これはすごいことではないだろうか。
 いずれにせよ、私たちは今この世を生きている。死者の思いや意志を直接聞くことは出来ないが、ここで静かに聖書をひもとき、祈りつつ、あらためて自分と自分が生きる今を見つめ直したい。この八月という時期だからこそ、自分とつながりのある家族や先祖、この国、この社会についても考えてみたい。すぐにではないかも知れない。しかし必ずや、良き御言葉をもって、その答えが与えられることを堅く信じて・・・。


☆8月18日説教「善きこと」要約:
「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」。イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。・・・」(マタイによる福音書19:16―17)。
救いは「善い方」から来るのです。「善いこと」を為すというのは二義的なことであり、まず大事なのは、神さまが「善い方」だと知ることなのです。そして、その「善い方」を信じ、「善い方」と共に歩んで行くことなのです。
# by aslan-simba | 2013-08-15 12:43 | Comments(0)

残暑お見舞い

 お盆休みの時期、立秋とは名ばかりの異常な炎暑が続きます。この中にあって、ひまわりとグラジオラスが懸命に咲いているのを見かけ、励まされる思いがしました。「野の花を見よ」(マタイ6章、ルカ12章)と語られたイエスさまの御言葉が響きます。
 今日も神さまの御恵の内におかれ、共々に生かされております。主に在って、心豊かに過ごして行きたいものです。皆さま上に益々のご加護と祝福をお祈り申し上げます。
# by aslan-simba | 2013-08-14 08:37 | Comments(0)

東福寺にて

 思い立って、東福寺へ出かけた。この町には日赤病院がある。入院中の教会員や友人の見舞で、既に何度もこの町は訪れている。しかしその向こう側にある禅寺を訪ねたことはなかった。
  病院の先を少し行き、角をまがると、町の賑わいは遮断され、そこに静寂の世界が拡がっていた。塔頭(たっちゅう)の長い塀が続く。人通りは少ない。色濃い緑の風景に心とらわれながら歩いて行くと、寺の中門に到達した。
 まずは寺の壮大な威容と境内の広さに圧倒される。創建は鎌倉時代、奈良の東大寺の「東」と興福寺の「福」を取り、両寺に比肩するような大寺院を目指し名づけられた由。 「三門」の前の泥土の池で、蓮が大きな白い花を咲かせていたのも印象的だった。それでも、華美な感じはまったくしない。禅寺ならではの質実な気風が漂う。
 また、この寺の境内には川が流れ、三つの小さな渓谷があった。それをまたぐように三つの橋が架かっている。この歩廊橋のことを「東福寺・三名橋」というそうだ。その真ん中の「通天橋」からは、楓の木々の緑が、一望に見渡せた。秋は、これが紅葉に変じ、紅の雲海のように広がるのだろう・・・と、思いは深まり行く季節にまで及んでしまう。
 自然と調和しつつ、手を加え造りあげられる「日本の美」の姿がそこにある。中でも特に興味深かったのは、方丈(本来は僧侶の住まいの意味)の「八相の庭」。四角い方丈を囲み、東西南北にある庭園のことだ。東は円柱で北斗七星が表現され、西はサツキの切り込みと砂地で市松模様を示し、南は蓬莱神仙思想(不老長寿)が石組みで象徴される。そして北は苔と石で市松模様が描かれる。それは、伝統の上に築かれた、何ともモダン(近代的)な枯山水だった。昭和の作庭家、重森三玲(しげもりみれい)が造った傑作と言われる。
 この庭を見つめながら、物静かな安らぎの中で、しばし祈りを捧げた。その時、一陣の涼風が我が身を吹き抜けるのを感じ、「ここもかみの みくになれば」(讃美歌90)という言葉が耳元を走った。禅寺での、私の「悟り」だったのだろうか。



☆8月11日説教「忍耐と希望」要約:
「しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(マタイによる福音書10:22)。
 この「耐え忍ぶ」とは、「信仰に留まる」ことです。どんな状況に置かれも、信仰に留まり続けましょう。「最後」には救いというゴールが待っているのです。 なお「最後まで」という期間は、私たちがキリストに似たものと変えられるため、神さまが私たちを用いて、この世の救いのために働かれる期間なのです。単なる試練や苦難の時ではありません。大いなる御計画の中で、尊い意味を持つ時、だから、最後の最後まで、私たちには希望があるのです。
# by aslan-simba | 2013-08-08 20:43 | Comments(0)

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by aslan-simba