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言霊(ことだま)

「良い言葉で人は癒され、生かされる」・・・本当にそうだと思う。 言葉には、本来、不思議な力がある。古代ギリシアではその言葉を「ロゴス」と称し、学問とは「ロゴス(言葉)」を学ぶことだった。日本にも古来、「言霊(ことだま)」という表現があった。万葉の詩人たちは、「言霊の幸(さき)はふ国」と詠った。つまり、「言葉の力で人に幸せをもたらす国」として、彼らは私たちの国を称えたのである。 現在、その言霊はどこに行ってしまったのだろうか。情報が氾濫し、垂れ流される言葉・・・無批判にそれらを信用することはできない。そこに「偽りの言葉」、「むなしい言葉」が満ちているのが現実だろう。本当に聞くべきものの識別を私たちはまず、なさねばならないのである。 ふと、申命記に記された「モーセの最後の勧告」を思い起こした。「あなたたちは、今日わたしがあなたたちに対して証言するすべての言葉を心に留めなさい。それは、あなたたちにとって決してむなしい言葉ではなく、あなたたちの命である」(申命記32:46-47参照)。そうだ!この時代にあっても、私たちは、「いのちの言葉」に与っている事実を忘れてはならないはずだ。心を静め、魂を静めて、御言葉から聞くことを、もっと大切にせねばならない。そして、自らが日々「良い言葉」を語ることに心を砕き、全幅の信頼をもって神への祈りの言葉を捧げようではないか。 いつの日か、この国、この世界が真に「言霊」の成る「神の国」、「神の世界」となることを待ち望みながら・・・。そして、今、主のこの御言葉を共々に心に刻んでおきたい。「わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものは何でも願いなさい。そうすればかなえられる」(ヨハネ15:7)。


☆1月31日の説教要約:
「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、私はお前たちをこの所に住まわせる。主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない」(エレミヤ書7:3-4)。
「真実の拠り所」、「神の家」、「教会」にとって大切なのは、一時の熱狂でも思い込みでも、イデオロギーでもなく、神さまとの正しい礼拝関係が本当にあるということです。それによって、私たちは神さまに本気で委ねられ、真の平安と生きる力とを頂くことができるからです。今、この「拠り所」にある私たちに神さまは言われます。「わたしは疲れた魂を潤し、衰えた魂に力を満たす」(エレミヤ書31:25)と。感謝。
by aslan-simba | 2010-01-27 18:10 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29  京阪桃山南口より徒歩8分、ほっこりした教会   天に在る牧師の愛犬たちです。

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