人気ブログランキング | 話題のタグを見る

いのちの息吹

「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」(創世記2:7)。人は、神さまの<いのち>を内にもつものとして造られ、生かされている。そこに神に由来する人間のいのちの尊厳と、かけがえのなさの根拠がある。一緒に歩く犬たちがいう、動物たちも同じく、「神の命の息吹」に生かされていると。本当だ(創世記7:22-23参照)。 この「神の命の息吹」、狭義には「聖霊」を指す。しかし、「スピリチュアリティ」(霊性)という言葉の出所もここにあるように、諸宗教に共通する深い宗教性の意味が「神の命の息吹」にある。 日本仏教の特徴とされる「一切衆生悉有仏性」(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう=「生けるものすべて、仏と同じ悟りの本性をもつ」)という見方も、「神の命の息吹に生かされる私たち一人一人」の理解に近い。ここから、私たちの国の先達たちも同様に「いのちの尊厳」に、いかに心砕いていたかが分かる。 この「悉有仏性」を平易に言い換え、「人、皆に美しき種あり」とある人はいう。至言である。私たちはそれぞれに<いのちの種>を頂き、美しい魂の花を咲かせることができるのである。 「神の命の息吹」を自覚できる有り難さ、素晴らしさ、<いのちの種>の勿体なさ・・・に、あらためて気づかされ、心からの感謝をもって、今日の日も祈りつつ歩みたい。


☆5月31日ペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝の説教要約:
「しばらくすると、世はもうわたしを見なくなる。わたしが生きているので、あなた方も生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる」(ヨハネによる福音書14:19‐20)。
聖霊は主イエス・キリストを私たち自身の内へ運んでくださいます。十字架で命を捨てられたあの主が、聖霊の執り成しによって戻って来られたのです。私たちの内に住まわれ私たちを真実に生かしてくださるため・・・それがペンテコステの出来事なのです。感謝にたえません。主イエス・キリストが共にある。聖霊によって、今、共にあるのです。だから、私たちが死の床にあろうとも、絶望と疲労困憊の中に倒れこんでいようとも、これで終わるのではありません。内なる主イエスのいのちによって新たに生かされるのです。
ペンテコステおめでとうございます。感謝

★5月31日のペンテコステ礼拝に是非、お越し下さい。礼拝は午前10時30分から、一時間ほど終わります。お気軽にどうぞ。
by aslan-simba | 2009-05-27 09:13 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29  京阪桃山南口より徒歩8分、ほっこりした教会   天に在る牧師の愛犬たちです。

by aslan-simba