「ことば」というものに少なからぬ興味がある。その大切さ、恐ろしさも知っている。同時に、「ことば」下手な自分への反省もある。 ある人が『コトバは人生をつくる』(谷口清超・日本教文社)と記していた。この人は、「言語」や「文字」のことばだけではなく、体の動きや心の思いもコトバだ、という。確かに、言語表現だけではなく、身体をも駆使して、人は自分の思いを表すことがある。「目は口ほどにものを言う」と言われるように、身体表現が言語表現を超えることもある・・・とは言うものの、人間の場合、やはり言語という意味でのことばが、大きな役割を担うことになるだろう。 「ことば」は、私たち自身の思いを表す道具として、社会生活上欠くことができない。つまり、そのなかに、私たち自身の内実が映されるのである。良い思いを言葉で表現することを、仏教では「愛語」という。それは必ずしも心地のよい柔らかい「ことば」の意ではない。発せられる「ことば」の「こころ」に、真実な自分自身の「いのち」が込められることが問われるのである。ちなみに、道元禅師は「愛語をこのむは、ようやく愛語を増長するなり」と述べている。愛語を心がけることにより、そのようなことばが、自らのうちに増えて行き、いつくしみの思いが増して行くということなのだろう。聖書も、私たちに「快い言葉で語りなさい」(コロサイ4:6)と語っている。ことばを大事にしたい。