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イーハトーブの到来を願い

レント(受難節)のとき、復活の春を待ち望みながら、じっと窓辺の景色を見つめる。外は、薄暗い灰色の空、冷たい雨が降り続く。ふと宮沢賢治の言葉が甦ってきた。「世界ぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」・・・。この言葉に思いが集中する。今の時代を背負いつつ生きているゆえか。宗教者・芸術家としての賢治は、そのような現実を踏まえつつも、頭をあげて前進した。そして、独自の透明で詩的かつ芸術的な宇宙を私たちに示してくれた。たとえば、イーハトーブという理想郷。彼は言う「われらは世界のまことの幸福を尋ねよう。求道(ぐどう)すでに道である」(『農民芸術概論綱要』)と。この言葉は、今の私たちに向けられた「未来」の希望のメッセージではないか。 桃の節句が近い。ひな祭りの菱餅の白緑赤の三色の意味は、「雪が溶け、草が芽生え、花咲く春到来の象徴である」と、誰かが言っていた。どこまでも「復活の春」(幸福なとき)さらには、私たち自身の「イーハトーブ」(=神の国)の到来を求め、祈り続けたい。

=3月1日の説教要旨=
そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです」〈マルコによる福音書8章29節〉。
私たちはこの主イエスというお方に一対一で直面しています。「あなたはわたしを何者だと言うのか」・・・私たち一人ひとりにも、この問いが与えられているのです。それは主イエス・キリストからの問いです。誰かに代わって答えてもらうのではありません。既製の答えを持って来いというのではありません。他ならぬ自分自身が、自分の人生を通じ、自分の言葉で答えるように命じられているのです。真剣な祈りを通して主に対する信仰の眼(禅の言葉で言えば「一隻眼」)を開かれましょう。

今回は礼拝説教の簡単な要旨も載せてみました。コメントなどがありましたら、是非お寄せください。またお気軽に礼拝にお越し下さい。日曜日の午前10時半からです。
牧師: 若林 裕
by aslan-simba | 2009-02-26 20:30 | Comments(0)

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