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八木重吉の詩によせて

19世紀末から20世紀のはじめを生きた夭逝の詩人・八木重吉。彼の詩を味わいながら黙想する。 「わたしのまちがいだった  わたしの まちがいだった  こうして 草にすわれば それがよくわかる」(草にすわる)。「花はなぜうつくしいか  ひとすじのきもちでさいているからだ」(花)。 忙しなく過ぎてゆく日々の中で私たちも、自己を見つめ、省みる時をもちたいと願う。できれば、草に座り、花を見つめ、その魂を感じながら・・・そして心を高く上げ、空を見上げてみたい。広々とした空の雲の動きも、私たちにきっと何かを語りかけてくれるはずだ。重吉は雲を歌う。 「くものある日 くもは かなしい  くものない日 そらは さびしい」(雲)。 東京郊外の小さな村で生まれ、高等師範学校に学び、長じて英語の教員として兵庫県や千葉県で働いた彼の静かな思い。否、それ以上に詩人として、また信仰者として生きた彼の研ぎ澄まされた願いが、百年の時空を超えて、今、私たちの胸のうちに響いてくるようである。「世に 花咲かば 神あるをしれよ  世に 無心 なるものあらば 神あるをしれよ  神のこえは ほそく かすかなりと」(世に)。ふと、神に祈っている自分に気づかされる。感謝
by aslan-simba | 2008-05-31 20:21 | Comments(0)

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