2018年 01月 15日
神宮の杜の絵画館
父の十三回忌の法事で、先週東京へ行き、その折に是非立ち寄ってみたかった、明治神宮外苑の「聖徳(せいとく)記念絵画館」を訪れることができました。
「神宮外苑」というと「神宮の杜(もり)」と言う言葉を思い起こすほど、緑豊かな、さらには銀杏並木でも有名な場所です。そこに国立競技場(秩父宮ラグビー場)や神宮球場などの競技会場やスポーツ施設、また文化施設もあります。その中心に据えられているのが、重厚な近代洋風建築のたたずまいを見せる「絵画館」です。
実は祖父の家が、神宮外苑から10分ほどの場所にあったので、私にとって神宮外苑は子供の頃からなじみの場所でした。 ただし「絵画館」へ入ったのは、記憶にある限り二回。幼稚園および小学校低学年の頃でした。 昨年、あるテレビ番組がこの「絵画館」を「明治天皇、昭憲皇太后お二人の御事績を描いた壁画が、延べ250mの壁面に展示されている」と紹介していました。今回、それに触発された訳ですが、明治150年のこの年に、明治時代を考える良き契機となりました。
展示されている絵画は、明治・大正時代の日本の著名な画家の手によるもので、「江戸城開城談判」「大政奉還」「下関講和談判」など日本史の教科書で見たものもあります。 幕末から明治、欧米列強がアジアへと植民化政策を進めて行った時代、それに対抗し独立を守るため、近代国家建設を急務として捉え、いそしんだ先人たち・・・。その働きに思いを馳せながら、静かな時間を過ごしました。
帰りの新幹線の中では、司馬遼太郎が書いた『明治という国家』を再読。司馬は言います。「明治国家は、清廉で透き通ったリアリズムをもっていた」と。彼はまた明治のキリスト教を紹介しつつ、「江戸期を継承してきた明治の気質とプロテスタントの精神がよく通っていた・・・勤勉と自律、あるいは自助、それに倹約・・・」と言及していました。
そういえば、明治天皇が亡くなられた翌日、明治のキリスト者、内村鑑三は親しい友人にこう書き送りました。「天皇陛下の崩御は哀悼に堪へません。自分の父を喪ひしが如くに感じます」と。「偉大な明治」、あの時代に生きた信仰者たちの息吹をも感じつつ、明治を学び、知る年にできればと思います。
☆1月21日説教「神の小羊」要約:
「わたしは去って行く」(ヨハネ福音書8:21)
御言葉のとおり、主イエスは確かにこの地上を去られ、父なる神のもとへと帰られました。しかし同時にイエス様は、キリストの霊として、今もこの世において、生きて働いておられます。「天に属する」御方が、今もこの地上において、永遠の救いを与えるために働いておられるのです。感謝