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11月・・・教会のお彼岸

 選挙が終わった。そして台風も過ぎ去った。季節が急に一段と前に進んだようだ。朝夕は暖房が必要となった。気づけば10月も終わりに近づいている。

 迎える11月は、1日の「諸聖人の日」(プロテスタント教会は11月第一主日が「聖徒の日」)から始まる。教会伝統はこの月を「死者の月」ないし「終末の月」として捉え、教会暦における一年最後の月としてきた。逝去された人生の先輩達を追悼する、いうなればキリスト教におけるお彼岸の月ということだ。同時にまた、自ら自身のここまでの歩みを振り返る時でもあろう。

 こんな俳句が脳裏を走る。「ひととせは落ち葉の夢でありにけり」。かつて大原三千院の門前で茶屋を営み、庵をむすんでいた小塙(こはなわ)徳女が、飛花落葉(ひからくよう)を詠った句。そこに人の世の儚さが、歌われている。何とはなしに心に染みる句である。

 聖書も同様に語る。「草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい」しかし、「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」(イザヤ書40:7-8)と・・・。 神の言葉は常に変わらず永遠に残るが、人の生というものは無常であり、やがては終わり行く・・・。どんなに楽しいことも、喜びも、また嘆き、悲しみもいつかは消え果てる、と。

 ただし人は、その永遠なる神の言葉に、思いを寄せることができるのである。キリスト教哲学者パスカルは、「人間は一茎の葦にしか過ぎない。自然の中で最も弱いものである。しかし、それは考える葦である」と記した。「考える」とは、神について思うこと。つまり永遠である神に思い馳せることを意味する。さらに私たちは、信仰に与って、その永遠の神の御許へ入ることができるものと信じている・・・。ここにこそ私たちの信仰の醍醐味があるだろう。信仰者の人生とは、永遠に向けて歩を進める旅路なのである。

  旧約の詩人は詠った。「願わくは、我らにおのが日を数ふることを教へて、智慧の心を得しめたまへ」(詩篇90:12文語訳)と。私たちも人生の一日一日を大切に憶え、永遠を目指して、今を懸命に歩み続けようではないか。天上にある先達たちも、神共に在って、そんな私たちの足もとを見守り、支え、祈ってくれているものと思う・・・。 世にあって「一日一生」と心に刻み、「二度とない今日のいのち」を感謝をもって真摯に生き抜くものでありたいと願う。


☆10月29日説教「心を一つに」要約:
「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください」(ヨハネ福音書17:21)
 主は祈られました。「すべての人を一つに」と。それは単に人間の間に分裂がないようにということではありません。共に「神」の家族として生きるようにという招きなのです。神は信仰者のみならず全てのものの神だからです。


 


by aslan-simba | 2017-10-24 19:17 | Comments(0)

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