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宗教改革500周年記念か・・・

 毎年、十月の授業で繰り返されるやり取り。教師「1031日は何の記念日?」、学生「ハロウィーン」、教師「なるほど・・・もうひとつ知りませんか?」、学生「先生の誕生日?」。

 答えは宗教改革記念日(私の誕生日ではありません)。昨今のハロウィーンの盛り上がりで、宗教改革記念は押され気味。それはプロテスタント発祥の地ドイツでも同様の模様です。北ドイツでは、1031日にハロウィーン・キャンディーとしてマルティン・ルターの顔を描いた「ルター・ボンボン」を配る教会もあるとか(味はどうなのでしょう)。ただし今年は少し違います。ネットで見る範囲、ドイツでは宗教改革記念日が、かなりの話題となっています。なぜなら2017年は宗教改革500周年の年だからです。

 15171031日ウィッテンベルク城教会の扉に、ルターは免罪符(贖宥状)を批判した「95か条の提題」を掲げました。 中世以降、強大な力をもったカトリック教会のやり方には、かなりの行き過ぎが指摘されます。その一例が16世紀、サン・ピエトロ大聖堂改修資金の捻出のためになされた免罪符(贖宥状)の乱発、乱売でした。ちなみに、免罪符とは、それを買えば多くの善行を積んだものとされ、天国の救いが即座に約束されるというものです。

 ルターが経験したこんな逸話が伝えられています。彼が街中で昼間から泥酔し、道端に横たわっていた男に「そんなことをしていたら御心に適わない。自分が死んだ後のことを考えなさい」と注意すると、呂律の回らない舌で男は「これがあるから、大丈夫ですよ」と免罪符を見せた、と。ルターは「こんな男にも、御言葉を届かせる努力をせねば」と立ち上がったのです(徳善義和『マルティン・ルター』参照)。

 ルターは信仰の在り方を示し、「人が義とされるのは信仰のみによる」(ローマ328・ルター訳)を伝えました。私たちも宗教改革記念の月に、あらためて「信仰」の大切さに思いを馳せたいものです。

 信仰といえば、ある禅の老師がこう話されていました。「信仰」の「信」という語の「言」は、「言霊」すなわち「神仏の言葉」を指す。「亻」(にんべん)は「頭を垂れた人の姿」を示している。すなわち一切を「神仏の言葉」「神仏」に頭を垂れて委ねるのが信仰である、と。その通りです。私たちも御言葉に委ねて行きましょう。


108日説教「執り成し」要約:

「オネシモをわたしと思って迎え入れてください」(フィレモンへの手紙17節) 

この書は、パウロが獄中から書き送ったフィレモン宛の短い私信です。他の書簡とは趣を異にし、そこに教理や信仰生活上の勧めは書かれていません。しかし、この書にはオネシモという解放奴隷をめぐり、神の救いの恵みが生き生きと働いた実例が記され、証しされています。是非、一気に通読してみてください。



by aslan-simba | 2017-10-03 17:46 | Comments(0)

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