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桜の季節に思う

 例年より数日遅い開花宣言を経て、桜の季節が巡ってきました。やっと春です。何故かフーテンの寅さんのセリフが口をつきます(この前の柴又モードの余韻でしょうか?)。「桜が咲いております。懐かしい葛飾の桜が。思い起こせば20年前のこと・・・」。

 ただ寅さんならずとも、桜の花は私たちに様々な思い出を語りかけます。20年前、否、50数年前、満開の桜の日―だったような気がする―に行われた小学校の入学式、さらには卒業式。また穏やかな日差しの下、日が暮れるまで存分に遊びほうけた、宿題のなかった小学生時代の春休み等・・・遠い記憶が甦ってきます。

 松尾芭蕉がこう詠っています。「さまざまの事おもひ出す桜かな」。思い出を呼び起こす桜の力。ちなみに、この句は「おくのほそ道」の旅に出る前年、父母の墓参で故郷の伊賀上野に戻った折に詠んだものだそうです。桜の花は無常観、「もののあはれ」という美意識と共に、人の生涯を思いやる心も導くのでしょう・・・。

 つい先日、用をしながら、ふと祖母の語った言葉と命日の日付が脳裏を走りました。60年近く前に亡くなった祖母のこと、普段考えたこともありません。ましてや命日など、全く記憶にありませんでした。気になって調べてみたら、示された通りでした。明治生まれの祖母は、昭和半ばの桜の季節に亡くなっていたのです。 そういえば、芭蕉の敬慕した西行法師がこう詠っていました。「願わくは花の下にて春死なんその如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ」と。今年のレントは祖母の死も思い起こせ(メメントモリ)と告げられたように思います。


 ところで明治のキリスト者・新渡戸稲造はわが桜木は、その美の下に刃も毒も隠しておらず、自然が呼ぶ時にいつでも生を捨てる準備ができている。その色は華美ではなく、その香りは淡く、人を飽きさせない」と述べ、桜を武士道と結んでいました(『武士道』15章)。

 祖母がなきむしだった幼少の私に語ったのも「優しさと共に、武士の精神をもって、いさぎよく生きろ、強くなれ」という事だったと思います。もっとも今なお強くない私ですが、忠義をもって主君に仕える侍の如く、誠の道をもって主イエス・キリストに仕える者ではありたいと願います。主よ、助けたまえ!





☆4月9日棕櫚の主日礼拝説教「御心のままに」要約:

「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい」(ルカ福音書2246

 試練の中、祈らねばならぬ時に、実際には祈りをやめてしまうことがある。しかし、霊的に眠り込むならば、私たちと共にある十字架の主は、遠い存在になってしまう。主の御声を覚え、いつも祈れる者でありたい。


by aslan-simba | 2017-04-04 09:25 | Comments(0)

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