2016年 08月 17日
人生のメダリストに
多くの選手が幼い頃から厳しい練習を積み重ね、挫折や試練を乗り越えて今ある・・・。そんな彼らを支えて来たのが「大きな夢」であり、「将来へのヴィジョン」だったと、あらためて知らされ、「夢」と「幻」(ヴィジョン)の力に思いを馳せます。同時に彼らの気概に学ばされます。
ふとペンテコステの聖句が脳裏を走りました。「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻(ヴィジョン)を見、老人は夢を見る」(使徒2:17、ヨエル3:1)と。 日常生活の不平不満ばかり語る人がいます(嬉しいこと、感謝すべきことも多々あると思うのですが)。ある種メディアの影響もあるのでしょうが・・・。ただそういった言葉は、自分のみならず、周囲の人の心をも暗くします。
将来に不安しか覚えられないときは、聖霊を求めて、真剣にひたすら祈りたいと思います。聖霊に与るとき「老人は夢を見る」のです。 夢とは、明るい未来、将来の希望を想定したものです。私たちは、そのような開かれた未来と共に、充実した今を生きることができるのです。年齢を重ね、心身に弱りを覚えつつも、過去ではなく、未来に向かって生きる勇気が得られるのです。
「人生のオリンピック」のフィールドで私たちは、「自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか」(ヘブライ12:1)、さらに「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の冠を受けるばかりです」(テモテ二4:7-8)と私たちも人生のメダリストになりましょう。御国の夢を最後まで信じて。主に委ねて。
「若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張ってのぼる。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ40:30~31)。御言葉がこの身に成りますように。
☆8月21日説教「憐れみ」要約:
「バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた・・・『ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください・・・』」(マルコ福音書10:48,51) |