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祈りつつ歩く朝

 梅雨の時節が終わり、いよいよ盛夏。道端で夏休みを迎えた近所の子供たちが、元気に遊んでいます。見上げれば青い空に白い入道雲、サルスベリの花々が、夏空に鮮やかなピンクのコントラストを描きます。 この夏、お盆の頃までは多忙な日が続きそうですが・・・それでも健康を支えられ、暑い京都の夏を今年も元気に過ごせること、有り難く思います。

 ところで、先日から早起きを始めました。午前4時半頃に気持ちよく目覚め、早朝ウォーキングを開始。家を出て一時間弱の道のり、蝉の声もまばらな、まだ明け染めぬ宇治郊外の街を、鳥たちの声に耳を傾けつつ歩きます。白い朝の光、ひんやりとした大気に包まれた自然、歩を進めながら思わず祈りへと導かれる自分に気づきます。創世記冒頭の御言葉を脳裏に走らせながら・・・。

 私は、創世記の天地創造の物語が好きです。朝の光の中でそれがあらためて示される・・・「神は言われた。『光あれ』こうして、光があった」(1:3)。神が呼びかけるのが「地」、この世界。それが「混沌」と「闇」(1:2)。そんな底なしの深みを暗黒が覆っているような虚無の世界。その「地」に創造主なる神が語りかける。「光あれ」と。そこから全く新しいことが始まるのです・・・。早朝の光に身を置くとき、私たちはこの創造物語を身をもって経験させて頂きます。

 ただ御言葉が告げる創造物語は単に「大昔の出来事」「原初の神話」というレベルのものではありません。この世界と人生の深い意味なのです。つまり、そこで言うこの世界と私たちの人生の本質、それは本来「混沌」であり「暗闇」に過ぎません。しかし、そこに神の御言葉、御業が介在する時、それが変革され、秩序が生まれ、意味がもたらされるのです。

 「光あれ」・・・。いつまでも混沌とした思いに囚われ、心の闇を抱えて不満を言いつのるのを止め、主を信じ、その御光に与って新たな日の一歩を踏み出したいものです。今日また新たに造られ、ここに生かされていることを覚える時、人生の未来に大いなる希望とヴィジョンが与えられます。 今年の夏も朝の光の中を、祈りつつ歩き、歩きつつ神の御言葉と御業を黙想する日々を過ごせること・・・感謝。


☆7月31日説教「信、望、愛」要約:
「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです」(テサロニケ一1:3)
 教会はただ単に人間同士の集まりではありません。神の救いの御業によって成る真の教会の指標として、パウロは「信仰」「希望」「愛」をあげているのです。
by aslan-simba | 2016-07-29 06:13 | Comments(0)

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