2016年 06月 15日
Those were the days
「木枯らしの街を行く 一人ぼっちのわたし 思い出の広場で 一人足をとめる 思い出すのはあの日のこと 暖かい恋の夢 春の風と鳥の歌・・・」と歌詞がすぐに口をつくが、梅雨の今の時期に口ずさむには、何とも季節外れ・・・。
では元の英語曲の歌詞はどうだったのかと、ネット検索して聞く(今は便利な時代だ)。 耳にした歌は、日本語歌詞とはイメージが随分異なっていた。そこには居酒屋で歌い、踊り、友だちと夢を語り明かした昔を懐かしく振り返る人の、感慨深げな思いが描かれていた。
「愛しき友よ あの頃の日々 私たちはそれが永久に続くと思っていた。いつまでもこのように歌い踊り 生きたいように生きられる、と。 人生の闘いに決して負けるようなことなどないと思っていた 私たちは若かった。自信があった。そんな日々だった・・・」。そしてそんな若き日々を、「あの頃は良かった」「あの頃が懐かしい」(Those were the days)と歌うのである。若いメリーホプキンという歌手が、これを歌い上げていた。すごい・・・。
というわけで、英語の歌詞に限れば「悲しき天使」ではなく、「悲しき中高年」・・・。季節外れではなく、私たちの人生の季節感からすれば丁度今だ。ちなみに英語の曲名は上述の「Those were the days」。
「あの頃が懐かしい」・・・あの若い日々は終わり、人は年を重ねる。人だけではないすべてが変わり行く。美しい花も、やがてはしぼみ、立派な建物も、いつかは朽ち行く。まさに諸行無常、そんな世界に私たちは身を投じている。「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」。
しかし、この歌には、老けた我が身を前にしても「心の中の夢は今も変わらない」というくだりがあった。それがイザヤ書の御言葉と共振するのを覚える。「主に望みをおく人は新たな力を得 鷲のように翼を張ってのぼる。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(40:31)と。
☆6月19日説教「和解の言葉」要約:
「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません」(コリント信徒への手紙二6:1)。
私たちは神さまの一方的な恵みによって「神と和解」させて頂き、神と共に生きることが許されている。この先、世界がいかに変わろうとも、人生に何が起ころうとも、この信仰に生き、神からいただいた恵みを無駄にせず、どこまでも主と共に誠実に歩み続けたいものだ。