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あれからニ十年

 新聞やテレビで、阪神大震災の特集を頻繁に目にするこの年初。あれから二十年が過ぎました。家を、家族をなくすという、心底痛ましい経験から立ち上がって来た人々・・・、また、被災者に思いを寄せてきた皆さんの祈りを、今一度心に刻みたく願います。

 ある方が書いています。「あの時、善意と優しさが荒涼とした被災地の冬空を暖めた」と。本当にそうでした。辛さの中にも、冷静さと思いやりを忘れなかった人々の姿がありました。胸が熱くなるような話を幾度も耳にしました。

 当時、私は阪神間での牧師の傍ら、神戸勤務のサラリーマンでした。もっとも2月末には会社を辞め、4月から京都の教会で働くことが決まっていました。そんなこともあり、1月14日(土)に、家族皆で、震災前の神戸の三宮・元町を歩きました。

 また15日(日)は、交流のあった小さなカトリック教会でミサの説教を担当しました。私の京都行きを知った外国人神父さんのご好意でした。ただ説教中に三度停電が起こり、もう一人の神父が「カトリックとプロテスタントが一緒になっているため?」と楽しそうに笑っていました。(後に、その教会は他のカトリック教会に併合され、現在は存在しません)。

 16日(月・振替休日)、妻の母教会で結婚式がありました。私も式に出席。新郎のお母さんが、嬉しそうに頬を赤く染めておられたのが、妙に印象的でした(ただ、その新郎の母親は、翌日、崩れた家の下敷きとなり、亡くなりました)。

 17日(火)の早朝のその震災、そして直後の事は、さまざまな記憶が今なお錯綜しています・・・。ともあれ、長くて短かった二十年の月日、その後も二万人(行方不明者を含む)を失った東日本大震災、さらに幾つもの自然災害で、この国の多くの尊い人命が取り去られました。

 「神よ、何故ですか」、そう問い続けてきた人も、少なからずいるでしょう。ふと、「お前たちは立ち帰って、生きよ」(エゼキエル18:32)との御言葉が脳裏を走ります。はからずも犠牲となられた方々を覚えつつも、私たちは許された時を、これからも強く生きましょう。「・・・一寸先は闇でなく 光であることを知らねばならぬ 新しい年を迎えた日の朝 わたしに与えられた命題 鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ(坂村真民)」と銘記して。




☆1月18日説教「キリストの自由」要約:

「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネによる福音書8:31‐32)

 信仰生活は継続です。一時的な興奮や熱狂ではありません。キリストとの絶えざる交わり、結びつきが大切なのです。だから主イエスは、「信じる」だけではなく、「とどまる」ことを求められます。それは主と共にあって、委ねて生きることです。その時、人はキリストによる本当の自由を頂きます。
by aslan-simba | 2015-01-16 21:44 | Comments(0)

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