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人生の秋の希望

 朝、ウォーキングのひと時、季節の自然に新たな喜びを感じます。心地よい風に揺れるススキ、コスモスの花。道の傍らに咲く色鮮やかな彼岸花。こんもり繁った林の中を行くと、木々の間に差し込む光が、本当にやわらかくなりました。広場に出て、空を見上げれば、雲の形も変わった事に気づきます。空一面に拡がるのはいわし雲・・・うろこ雲と言うのでしょうか。ともあれ、気持ちの良い季節です。

 そして、一日の仕事を終えて迎える夕暮れ。草むらから聞こえる虫の音に、今度は一転して、何とも物憂い寂寥感に囚われるのです。百人一首にもこんな詩がありました。「寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮れ」。秋の夕暮れに佇む人の思いは、昔も今も変わりません。

 ふと高校の国語の先生が言っていた「飛花落葉」(ひからくよう)という言葉が、脳裏をよぎりました。「咲いた花もやがては散り、青葉も秋には色づいて枯れ落ちる。人生のはかなさや、世の無常をたとえる」・・・。確かにそうです。自然ばかりではなく、人生も秋を迎え、そして冬を迎え、ついに枯果てる。思えば、そんな当たり前のことに感じ入るようになったのは、人生の秋を迎えたここ数年のことです。以前はそうではなかった・・・。

 30何年も前、ある教会の読書会で、精神医学者ポール・トゥルニエの『人生の四季』を読んだことがあります。彼は、人の幼年期、青年期、壮年期、老年期を四季に喩え、それぞれの時期における課題と信仰者としての生き方を示していました。当時、「人生の夏」の最中にあった自分には、その秋や冬が、いずれ我が身に及ぶことなど、正直想像もできませんでした。ただ読書会をリードしていた牧師が、自戒的に語った「人生の秋になったら、人は見える物への執着を断念すべきだろう」との言葉が、妙に記憶に残っています。思えば、あの時の牧師さんと今の自分は同い年くらいのはず。

 あらためて、見えない主の導きに思いを注ぎます。そして感謝し、心から祈る時、この人生の秋が、今、爽やかな風に包まれているのに気づかされます。いつか直面する冬も、新たな春の命の誕生を待つ「希望の時」になるでしょう。「見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(コリント二4:18)。



☆9月28日説教「神の憐れみ」要約:
「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽せよう」(ローマの信徒への手紙11:33)

 私たちに対する圧倒的な神の憐れみを、パウロは「富」と表現する。その限りない神の富に包まれて、私たちは存在するのだ。ただただありがたいことである。
by aslan-simba | 2014-09-26 12:13 | Comments(0)

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