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祈られている

 受難週の説教準備をしながら、ふと僧侶で仏教学者だった曽我量深(そがりょうじん)さんのこんな法語が脳裏を走りました。「われわれは知らなくても 仏に願いをかけられ 望みをかけられている」・・・。
 聖書にこうあります。「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ福音書22:32)・・・これは最後の晩餐の席上で、主イエスがペトロに語りかけられた御言葉です。主はこの後、ペトロが三度に渡ってご自身を否認することも知っておられました(34節)。やがて十字架の出来事を前に、離反するこの筆頭弟子のあり様を見据えつつも、なお、そのペトロのために主は祈られ、励まされたのです。「あなたのために祈った」・・・実に深く、また重い御言葉ではないでしょうか。
 翻って、この御言葉は、ペトロと同様、私たちにも向けられている・・・。そうです。自分のことで一杯になり、時に神を忘れているような者をも主は憶え、今も祈っていて下さっているのです。一人一人の名を呼び、励まし、支えて下さっている。何と感謝なことでしょう。主イエスが、神さまの方が、私たちが祈るよりも前に、私たちのために祈って下さっているのです。そこに私たちの救いと信仰の土台があります。
 ある方がこう記していました「信仰者というのは、恐れや疑い、失意、繰り返される試みを免れている人のことではなく、祈りによって支えられ、悔い改めと赦しによって、生きる力と恩恵とを見出す人々なのである」と。 大きな力に支えられ、祈られて在る人生・・・私たちはこれからも失敗をしたり、絶望したりすることはあるかも知れません。けれども、たえず主イエスの祈りにより励ましがある。そして最後には、「復活」という大いなる望みがある・・・。
  「神に願いをかけられ、望みをかけられ、祈られて生きる人生」、私たちは主に在って日々赦され、新たにされて、どこまでも希望をもってこの世の旅路を歩める者たちなのです。ただただ有難いことです。


☆4月13日説教「私達のために」要約:
「わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた」(イザヤ書53:6)。
 主の十字架によって、イザヤ書のこの言葉が成就・・・。十字架上で主は叫ばれた。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と・・・それは父なる神が御子を裁く事で、私たちに救いの御手を伸ばされた出来事なのである。

★4月20日(日)復活祭(イースター)です。桃山栄光教会では10時半から復活祭礼拝を行います。是非お気軽にお出かけ下さい。
by aslan-simba | 2014-04-09 07:54 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29  京阪桃山南口より徒歩8分、ほっこりした教会   天に在る牧師の愛犬たちです。

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