2014年 04月 02日
大きな桜の木
薄紅色に輝く桜の花々は、人々の心をなごませてくれます。このつかの間の輝きが、私たちの心に永遠の美しさを残してくれるようです。この最上の美を示すため、桜の木は、夏の暑さ、冬の寒さを耐え忍びつつ立ち続けます。その命を保持するために、それぞれの季節の中で、一心になすべきことを行っている・・・。そう思うと、あらためて静かな感動を覚えます。その木の命の背後にも、間違いなく創造主の御業があるのでしょう。桜の木は、どこまでもその御力に委ねて、ひたすらに時の流れを生きているのです。
翻って、私共もこのような木々と同じように、一切を委ねて、与えられた時を一心に生きることができたなら、もっとおだやかな日々を歩めるのではないでしょうか。
坂村真民さんの詩を一つ思い起こしました。「咲くも無心 散るも無心 花は嘆かず 今を生きる」。また、よく聞く主イエスの御言葉も、新たな輝きをもって迫ってまいります。「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし栄華を極めたソロモンでさえ、この花のひとつほどにも着飾っていなかった。・・・だから『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って思い悩むな」(マタイ6:27‐31参照)と。
おりしも新たな年度の始まり、肩のこるような古くて重たい冬の衣服を脱ぎ棄て、身軽になり、新たな思いを以って主に委ねて行こうではありませんか。その時、きっと“新しくなった自分”に気づくはずです。そう!桜の季節の次には、新たな「いのち」の誕生を示す復活祭の時を迎えます。
☆4月13日説教「大祭司キリスト」要約:
「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」(ヘブライ人への手紙4:15―16)
大祭司としてのキリストに在って、今を生かされている。感謝