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主が共に

 「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28口語訳)。よく教会の看板に掲げられている聖句だ。これを見て、教会と出合った人も多いのではないだろうか。ありがたい御言葉だ。
 翻って、この御言葉に私たちが心ひかれるのは、生きるこの世の現実が、決してきれいごとだけでは終わらない、生半可なものではないからだろう。世にあって、私たちの周りには、さまざまな問題のみならず、陰謀、策略の類すらある。またマスメディアは私たちの不安を必要以上に煽りたてるような報道もする。善意の人たちばかりが住む世界ではないのだ。
 主は、「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送りこむようなものだ」(マタイ11:16)と言われたが、正にそのような中に、私たちは遣わされているのであろう。徳川家康が遺訓として、こう述べたと伝えられている。「人の一生は重き荷を負うて遠き路を行くが如し」と。
 ある人が、こんなことを記していた。「自らの目的や使命のためにしなければならない苦労と、不条理な強いられた労苦の両方を、この両肩に負っていくのが人生ではないか」と。確かにそうかもしれない。そんな七転八倒を余儀なくされる私たちを主イエスは「休ませて下さる」と宣言される・・・。
 ちなみに、この「休ませてあげる」の原語は、「回復させる」、「励ます」といった意味があることを覚えたい。聖書をはじめてドイツ語に翻訳した宗教改革者ルターは、この言葉を「元気づける(エアクヴィケン)」と翻訳している。つまり、主は私たちを励まし、力を与えて、現実の困難を乗り越え、もう一度その重荷を負って行けるようにして下さるということなのである。これこそが主イエスの御旨である。
 さらに主イエスは、私共のために重い十字架を負われた。それを通して、私たちの重荷を共に負って下さるのである。だからこの人生、弱音を吐かず、雄々しく、「蛇のように賢く、鳩のように素直に」歩みたい。主、共にあって!恐れずに!感謝



☆3月2日説教「御子を信ず」要約:
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。
 神はこの世を裁きの対象ではなく、愛の対象とされた。その代償が独り子の十字架でした。そこまでされて、「信じる者は裁かれない」というもう一つの世界を拓かれたのです。
by aslan-simba | 2014-02-27 17:00 | Comments(0)

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