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人生の道

 人生はよく長い道行きにたとえられます。「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くがごとし・・・」(徳川家康)と。私たちはそのように重い荷物を背負いながら、自らの道を自分のペースで歩んで行くのでしょうか。
 高村光太郎の詩の言葉に「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る・・・」とありました。一日一日、一歩一歩を踏みしめながら、前を見つめて歩んで行く時、そこにその人なりの足跡がのこされるということです。それは他の人が代われるものではありません。人生の道は自らが歩むことによって、つくられてゆくものなのです。
 その道行き、時には歩き続けるのに疲れ切ることもあるでしょう。歩くのが空しく感じられることも、あるかも知れません。また、突然足に痛みを覚え、歩くのが困難になる日すらあるでしょう。そういったことに直面する時、これまで当たり前のように歩けたのが、当たり前ではなかったことに気づかされます。そして、その足の痛みがとれ、再び立ち上がり、歩き出せた時には、何にもまさる大きな喜びにみたされるはずです。
 光太郎の詩の続きを思い起こします。「・・・ああ、自然よ 父よ 僕を一人立ちさせた広大な父よ 僕から目を離さないで守る事をせよ 常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ この遠い道程のため この遠い道程のため」(「道程」)。そうです! 私たちの道行きは「父」、すなわち「父なる神さま」が共に在り、守られているのです。「主は人の一歩一歩を定め 御旨にかなう道を備えてくださる。 人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる」(詩37:23-24)。 
 これからも、神さまにゆだね、たえず祈りながら、我が足を踏み出して行きたいと思います。まっすぐ前を向いて、心を高くあげ、さらに、この道が御国に繋がっていることを確かに信じて。


☆6月19日説教「聖霊に満たされて」要約:
「わたしたちとあなたがたとをキリストに固く結び付け、わたしたちに油を注いでくださったのは、神です。神はまた、わたしたちに証印を押して、保証としてわたしたちの心に霊を与えてくださいました」(コリント信徒への手紙二 1:21)
 この「保証」の原語は「手付け金」・・・後に完全に受けるものの一部が、先に与えられることを意味します。つまり聖霊に満たされることによって人は、神の国における全き救いを喜びの一端を、今ここに経験させて頂いているのです。感謝


*6月19日(日)はクリスマス(降誕祭)、イースター(復活祭)と並ぶキリスト教の三大祝日の一つペンテコステ(聖霊降臨祭)です。是非、礼拝にお越しください。10:30~です。お待ち申し上げております。
by aslan-simba | 2013-05-16 20:32 | Comments(0)

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