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十字架の主が共に

 人は感謝を忘れると、他人をうらやんだり、不平不満をつぶやいたりします。辛いことがあれば「何で自分だけがこんな辛い目に遭わないといけないのだ」などと愚痴をこぼします。 あたりまえのことですが、人生の歩みには、嬉しいこと、楽しいことだけではなく、悲しいこと、苦しいことも付きまとうものです。だからどんな時も、主イエスが共にあることを思い起こして下さい。また、こんな身勝手で弱い私たちを救うために、主が十字架にかかって下さったことを憶えて欲しいのです。 
 「わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給ひし」(マルコ福音書15:34)・・・十字架の主は、そう叫ばれたと聖書は記します。自分の身に起こることを知りつつも、最後の最後まで神に問いかける祈り、何とすさまじい事でしょうか。それにしても、神の御子が十字架で殺されるという、この不条理・・・しかし神学者ユルゲン・モルトマンはこの聖句から深く示されました。1945年、祖国の敗戦をベルギーの捕虜収容所で迎えた彼はその時、この箇所を読んでいたそうです。「イエスの死の叫びの箇所にきたとき、私は知った。他の誰もが自分を見捨てても、どこまでも自分を理解し、そばにいてくださるお方がいることを・・・このイエスこそ、私たちが窮地にあるときの、神にある兄弟であるとはっきりわかった。・・・私に希望がわき始めたのは、人間の目から見たら希望を見出す余地などほとんどない時だったのである」と。主の十字架は私たちの絶望を希望に変えます。 
 主は、私たちが本当に赦され、本当に救われるために、十字架上で、未曾有の苦しみと痛みと嘆きを経験されたのです。言葉では言い尽くすことのできないほどの有難い出来事ではないでしょうか。 ・・・そして今、私たち一人の一人のためのイエス・キリストの祈りがあります。「わたしの御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛(神の愛)が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです」(ヨハネ福音書17:26)。


☆2月17日説教「ノアの物語』要約:
「雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める」(創世記9:16)
 今日もなお、人間の罪ゆえに、苦しみと嘆き尽きることのない世界・・・しかし、そこにも繰り返し虹が立つ。それは、この地に対する神の愛と憐れみが変わらずにあることを示す。さらに、この地上に、罪の贖いのための十字架が立てられたことを私たちは知っている。そうなのだ! 私たちは今ここに神の憐れみの中に生かされ、救いの御言葉によって育まれているのである。


★教会暦では13日(水)よりレント(受難節、四旬節)に入りました。世の罪を担って下さった主イエス・キリストの御苦しみと十字架のご受難を心に刻み、私たちの悔い改めと感謝の信仰を深める時です。どうぞ、この機会に教会にお越しください。なお、今年のレントの期間は3月30日(土)まで。イースター(復活祭)は3月31日(日)です。
by aslan-simba | 2013-02-15 10:43 | Comments(0)

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