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人生の年輪

ここかしこに秋の気配が感じられるようになった。外へ出るのが楽しみな季節。京都は本当に四季の美しさに恵まれている。そんなことに感謝しながら、近所の神社の裏道で立ち止まり、うっそうとした木々を見上げた。 あとひと月もしたら、そこに見事な紅葉がみられる。それが葉を落とすと冬が来る。厳しい寒さに耐える木々は来年の春に、また新たな芽をふき、成長し、若葉、青葉の時を迎えて行くのである。 この年ごとのサイクル、しかし、それは単なる繰り返しではない。木々は常に新たな年輪を幹に刻み、成長を続けているのだ。旧約聖書のヨブは語る。「木には望みがある。たとい切れらても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。 たとい、その根が地中で老い、その根株が土の中で枯れても、水分に出会うと芽をふき、苗木のように枝を出す」(ヨブ記14:7―9、新改訳)と。さらに「しかし、人間は死ぬと、倒されたきりだ。人は、息絶えると、どこにいるか」と付言する。苦難の只中で語るヨブの思いは熾烈だ。自然の木々と比べ、人の生涯は何と果敢無いものか、と訴える。 ただ、私はそうは思わない。どこまでも「人には大きな望みがある」と述べたい。人も日々の時を積み重ねて、年ごとのサイクルを経ながら、人生の年輪をひとつひとつ心の内に刻んでいる。勿論、順調な時も不遇の時もある。ちょうど木々の年輪の幅が日当たりによって広くなったり、狭くなったりするように。それでも、主イエスが共にあって、人生の年輪を刻ませ、私たちを受け容れて下さっているのである。だから、この一度の人生の四季も大切に思い、感謝をもって更なる年齢を重ねつつ、御国へと向かおうではないか。


☆10月21日説教「真実の神」要約:
「主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです」(コリントの信徒への手紙一1:8―9)
真実なる神が、私たちを主イエスとの交わりへ招き入れて下さいました。私たちの内に信仰を下さったのは、「真実なる神」なのです。その御方が、「救い」を必ずや完成して下さいます。私たちに必要なことは、最後までこの御方の真実に寄り頼むこと、そして忍耐強くあることなのです。
by aslan-simba | 2012-10-19 07:36 | Comments(0)

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