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生命の樹

梅雨、うっそうとした木々に覆われる、近所の御陵の道は、私にとっての「哲学の道」、「信仰の道」である。 犬を連れ、祈りつつ歩く夕べの散策の折に、ふと御言葉を示されることがある。今日、聞いたのは、「わが民の命は、木の命のようになり、わが選んだ者は、その手のわざをながく楽しむ」(イザヤ書65:22口語訳)だった。 「木の命」、古来、樹木は生命力の象徴として、語られてきた。さまざまな宗教や神話において、「生命の樹」というシンボルが登場するという。仏教の菩提樹や娑羅双樹、あるいは、神々の依代(よりしろ)とされる、神社のご神木なども、それと関係するのだろう。 創世記によれば、エデンの楽園の中央には「知恵の樹(善悪の知識の樹)」と「生命の樹」が植えられていた(2:9)。最初の人間アダムとエバは、神との約束に反し、その「知恵の樹」の果実を食べた。そんな彼らを、神は楽園から追放した。そして、「生命の樹」に、人間が近づけないようにされたのである(3:24)。それは、生命の樹の実を食べ、人が「永遠に生きるおそれがある」(3:23)からだ、と創世記は語っている。 ヨハネ黙示録は、この「生命の樹」が天上にあり、復活のキリストを信じ、迫害のなかにあっても、信仰の道を守り通す者には、この木の果実にあずかれる、と述べている(22:1-5)。何とも有難い話ではないか。 さらに、黙示録はキリストを、「ダビデのひごばえ」と表現している。「ひこばえ」とは、「伐った草木の根株から出た若芽」のことである。「木には望みがある。たとい切られてもまた芽をだし、その若枝は絶えることがない」(ヨブ14:7)・・・。木々を見上げ、主にある新たな命、永遠の生命に与ることを待望しつつ、希望の人生を歩める御恵みに、感謝したい。


☆6月24日説教「求めよ」要約:
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(マタイによる福音書7:7)
「求めなさい」と教えて下さった主イエス。ご自身も「御心が天になる如く、地にもなるように」と、ひたすら父に求め、自らを十字架に献げられた。今、私たちが、神さまのことを「天の父」と、安んじて呼ぶことができるのは、それは、ひとえに主が、私たちの罪を贖って下さったおかげである。つまり、イエス・キリストが御自分の命を賭して、私たちが親しく神さまに、祈り求めることができるような関係性を、切り拓いて下さったのである。感謝。
by aslan-simba | 2012-06-21 09:09 | Comments(0)

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