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幽玄に心を

澄み渡った碧空(へきくう)の下、ゆっくりと宇治の道を行く。辺りの自然が美しい。野山も見事に色づき、季節はその大団円を迎えようとしている。暦の上ではすでに冬が立った。今年もあと一月半ほど・・・一年(ひととせ)の巡りの早さを、今さらながら実感させられる。 立ち止まり、あでやかな紅(くれない)や黄金色の葉をつけた木々を仰ぎ見る。思えば、春に萌え出でたその若葉は、夏には濃い緑となり、静かな木陰を与えてくれた。そして、その最後の時にもっとも美しく輝き、私たちの目を楽しませてくれているのである。ふと、室町後期の戦乱の世を生きた僧・心敬(しんけい)の文章を思い起こす。「心もち肝要にて候。常に飛花落葉を見ても草木の露をながめても、此世の夢まぼろしの心を思ひとり、ふるまひをやさしくして、幽玄に心をとめよ」と。「幽玄に心をとめよ」とは、「つややか」で「安らかな」、「情緒豊かな」「慈愛の心」に生きよということだろう。どんなに殺伐とした時代環境にあっても、季節の自然から学び、その生ある限り、人としての優しい心を忘れずに矜持を保って生きよということではないか。 今の私たちも並大抵ではない時代を生きている。その思いはこの一年間、とくに強まってきた。この国の不透明感と閉塞感にさいなまれながら・・・ならば一層のこと「幽玄に心をとめ」たいものだ。イザヤ書の御言葉と共に。「草は枯れ、花はしぼむ 然(しか)ど我らの神の言葉は永遠(とこしえ)に立たん」・・・


☆11月21日説教要約:
<説教要約>
「主は言われた。『わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使うものゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った・・・それゆえわたしは降って行き、彼らを救い出す」(出エジプト記3:7-8参照)。
私たちの苦しみを知り、祈りを聞かれる神がおられます。その神は、私たちのもとに降って来て、私たちを助け、救って下さるのです。旧約聖書は「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」とその神を言います。私たちはそれが「主イエス・キリストの示す神」だと知っています。この生ける神は御言葉を語り、こう約束されるのです。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである」(12節)。新たな週へ安んじて旅立ちましょう。
by aslan-simba | 2010-11-12 21:03 | Comments(0)

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