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かつての日本人を憶えて

ふと心に軽快なメロディーが甦る。何年前だっただろうか、ラジオ番組で紹介されていたイギリスのポップスの名曲だ。それは「忙しい仕事で働き疲れる毎日、そんなときにあの心根の優しい人たちが住む小さな街を思う。またあの懐かしい街に行き、力を頂き、もう一度頑張ろう・・・」といった内容の心温まる歌だった。残念なことに、その曲名=街名「○○○」、歌手名、興味深かった歌詞の英語表現などは失念した(もし、知っている人がいたら教えて下さい)。 そんな歌を思い起したのは、先日、『逝きし世の面影』(渡辺京二・平凡社ライブラリー)という本を読んだゆえである。在野の歴史評論家が記したこの書には、幕末から明治初期にかけての数多くの来日西欧人の日本評が丁寧に整理され、まとめられていた。そこから浮かび上がってくるのは優しさと思いやりをもち、明るく礼儀正しい当時の日本人の姿である。豊かではなかったが幸せに生きる日本の人々に接し、彼ら「異邦人」は、新鮮な驚きと励ましを受けたという。もちろん、そこに西欧人特有のジャポニスムといったエキゾチックなものへの憧憬、オリエンタリズムという差別的な視座も見えないわけではない。ただ、それを差し引いても余りあるというのである。もっとも、そのような日本人の在り方は、明治の近代化の中で「文明」として滅びたと著者は書く。 しかし、そのなごりが僅かでも、私たちのDNAのなかに残っているかもしれない。そして、もしかしたらあの歌の「○○○」とは、私たちの国、私たちの街、私たちの教会、さらには私たち自身に根づく信仰心だ・・・と信じたい。先人たちのことも憶えつつ、日本人としてキリスト教を奉じる者として召された重み、その幸いと感謝を心に刻みたい・・・

9/25追記:言うまでもありませんが、それは決して周辺のならず者国家の言うなりになることを意味しているのではありません。私たちは伝統に誇りをもって凛として生きるべきです。現在、日本人として恥ずべき人々が、政治の中枢にいることは嘆かわしいかぎりです。


☆9月26日の説教要約:
イエスは・・・弟子たちに、『人々は、私の事を何者だと言っているのか』と言われた・・・。そこでイエスがお尋ねになった。『それでは、あなたがたはわたしを何者と言うのか。』」(マルコによる福音書8:27-29参照)
私たち一人一人も、主イエスから「あなたは私を誰と言うのか」と問われています。私たちは自分自身の人生の歩みにおいて、それに対する誠実な答えを出さねばなりません。誰かに答えを求めるのではない。既成の答えを述べても意味はなさない。自分自身が共にある主に直面しているのです。聖書は私たちを決して傍観者の立場には置きません。信仰の目を研ぎ澄まして主を見つめ、自分なりの答えを出しましょう。主は必ずや、それを嘉せられます。
by aslan-simba | 2010-09-20 19:51 | Comments(0)

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