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蝉の声

連日の猛暑、今日も声高なセミ時雨を耳に、庵での一日を始めた。扇風機を回し、手元には勝ち割り氷もおいて・・・もっとも、午後の盛りには、さすがに限界に達し、母屋へ戻る。そして、夕方遅くに再び庵へ。まだまだ熱気がこもっている。少し外を散策することにした。 ぶらぶら歩きながら、立ち寄ったのが近隣の神社。しかし、その境内に足を踏み入れ、一瞬たじろいでしまった。足下に十五、六個ほどだろうか、セミの死骸がまとまって置かれていたのである。うっそうとした木々に包まれたこの場所を、彼らは自らの安息の地に選んだのか。それとも近所の子供たちが、どこかで拾った死骸をこの場に運んできたのだろうか。いずれにせよ、一様に仰向けに倒れていた。そして、いくつかの骸(むくろ)の上には、アリが黒山のようにたかっている。何か異様なものを見てしまったような気がした。そういえば、以前、「終戦の日」に、「八月は死者の匂いがする月だ」と言っていた人がいた・・・。 ふと我にかえると、ヒグラシとツクツク法師の音が響き渡っている。「やがて死ぬ けしきはみせず 蝉の声」、「閑かさや・・・」ほどポピュラーではないが、芭蕉のこの句が好きだ。彼は愚直なまでに鳴きつづけるセミに自らの人生を譬えたのだろう。私も与えられた地上での働きを終わりの日までたんたんと続けたい。おそらくは、最後まで鳴くセミたちも後生の天の御国を知っているのだろう。そんな思いをもって仕事場の庵に戻る。見上げる夕暮れの赤い空は、もう秋の色。 合掌


☆8月22日の説教要約:
「・・・主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」(フィリピの信徒への手紙4:5-7参照)、「・・・自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体の事で何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか」(マタイによる福音書5:25)
人は思い悩み、悩みは尽きることがありません。時には、その悩みの淵から抜け出せなくなることさえあります。「生きるとは悩むことだ」と言いますが、本当にそうかもしれません。しかし聖書は、「思い悩むな」、「思い煩うな」と述べ、私たちを主イエス・キリストが見守ってくださっていることを伝えています。「思い煩うのはやめなさい」、この御言葉を本気で心にとめ、祈りましょう。そして豊かな聖霊の注ぎを頂こうではありませんか。どんな状況にあっても、私たちの根底を神の平安がしっかりと捉え、支えて下さっています。感謝・・・。
by aslan-simba | 2010-08-18 08:10 | Comments(0)

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