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受難節に思う

聖書の記述にたじろがされることが時折ある(学生たちにも話すのだが、「ありがたい教え」ばかりを期待して読むと愕然とすることがあると・・・)。今日は主イエスの御言葉に戦慄が走った。「・・・何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。『・・・あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。またシロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいた他のどの人々よりも、罪深いものだったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがた悔い改めなければ、皆同じように滅びる』」(ルカ13:1-5参照)。 総督ピラトのガリラヤ人虐殺、シロアムの塔倒壊による犠牲者などが言及されている。そこには変わらない世の現実と人間の姿が記されている。イエスの時代から二千年、今日、同様の痛ましい世界の光景は瞬時に報道されるようになった(たとえば先般のチリの大地震とその後の混乱、また何故か日本のメディアはあまり取り上げないが、スーダンのダルフール問題など・・・) それは遠い世界の話だけではない。周知のように、「平和な」私たちの社会でも、様々な問題や危機が足元に横たわっているのである。翻って、自分たち自身のたたずまいをも顧みたい。主は「悔い改めなければ、皆同じように滅びる」と言われている。身の毛のよだつような言葉ではないか。ただし、これを語られた主イエスご自身が、この世界と私たちが滅びることを身をもって阻止するために命を捨てられた。何ということだろうか・・・語り尽くせないほどの十字架の大きさと重さと主の深い慈愛に思いを馳せたい。「(何者であれ)主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことができない」(ローマ8:38)のだ・・・。この主の十字架に生かされて今あることを改めて感謝し、この先、何がわが身に起ころうとも、恐れずに主に徹底的に委ね、真摯な悔い改めをもって道を歩む者でありたい。その時、滅びの道は閉ざされ、神の国の門は大きく開くのである。だから大丈夫!



☆3月28日(棕櫚の主日)の説教要約:
「キリストは・・・ご自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです」(ヘブライ人への手紙9:11-12)。
私たちの人生は、この主イエス・キリストの十字架の犠牲に基づいて今、在ります。日々の歩みは、主の十字架によって支えられているのです。そこに主の赦し、導き、そして慰めがあります。このことをしっかりと心に刻んでください。「千歳の岩」=「主の十字架」よ、わが身を囲め!(讃美歌260)。
by aslan-simba | 2010-03-25 22:16 | Comments(0)

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