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人生の寒の戻り

冷めたい雨がそぼ降り、肌をさす風が痛いように感じられる朝。灰色の景色の中を、傘をすぼめて足早に歩く。沈丁花が寂しくしぼんでいるのが分かる。つい一週間ほど前には、「四月並み」の温かい日もあり、このまま春になるような気がしていた。それが遠い昔の日のことのように思える。寒気と風に震えるこの春の日は、レント(受難節)の時期にあるいは相応しいかも知れない。 「寒の戻りは心も冷やす」というが、それは天候だけでなく、私たちの人生においても同様の事態が生じることもあろう。順風満帆な日々が、ある日突然、暗転・・・落とし穴に落ち込む。自らの不注意、あるいは誰かの妬みによる策略・陰謀・・・ともあれ、そこで困難な問題を抱え込み、深い挫折感にさいなまれ、足が一歩も前に出ないような思いに囚われる。人は、そのような経験をせねばならない時がある。ただそこで、いつまでも塞ぎ込んだままでは、何も始まらない。むしろ、逆境さえも、主が共にあっては「深い意味ある時」なのである。もがき苦しむそんな「私自身」のためにこそ、重いゴルゴダの十字架があったのではないだろうか。 学生時代、ドイツ語の授業で習ったゲーテの詩の一節に、こんな言葉があった。「涙とともにパンを食べたことのないもの 悲しみに満ちた幾夜をベッドで泣きあかしたことのないもの そうしたものには天上の霊の力がわからない」。 人生の歩みも、三寒四温を繰り返しつつ、復活の春へと向かっている。アカシアの街路樹が今、金色の花の房をつけて輝いている。辛く苦しい人生の「寒」は、御国の春が間近なことを確かに告げているのである。

*ニュースで鎌倉の鶴岡八幡宮の樹齢千年にも及ぶ大銀杏の木が倒壊したことを伝えている。昨日は日本列島が「春の嵐」に見舞われた一日だった。



☆3月14日説教要約:
「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は地に落ちて死ななければ一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネによる福音書12:23-24)。
主イエス・キリストは十字架に於いて死なれ、それによって多くの実を結ばれました。他ならぬ私たち一人ひとりも、その実の一つです。もっとも自分自身を十字架の果実と言うには、恥ずかしいほど、あまりにも欠けの多いものです。それでも、このように今、許され、癒され、生かされています。だからこの先も、感謝しつつ歩んで行きたいと願います。
by aslan-simba | 2010-03-11 08:26 | Comments(0)

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