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だいじょうぶ

  先週、日本全体が地震による悲しみと心配の最中に、熊本出身の八代亜紀さんの訃報が流れました。彼女は、東日本大震災、熊本地震などで被災した多くの人々を歌で励ましてきました。


  五年前、この人が「昨今、世界中で起こる、つらい出来事や悲しい出来事を、歌で救えれば…」と歌った「だいじょうぶ」という曲があります。歌詞の後半には「・・・今日を大事に 生きるなら あなたも私も だいじょうぶ・・・春が来る 春は来る 少し遅れて 私にも もうすぐ春です だいじょうぶ」とあります。


  昨年の1230日に亡くなられたそうですが、被災された方々を励まし続けていた彼女は、能登地震の前に先立つように逝かれました。彼女は私より一つ年上で、死因は私の母と同じ急速進行性間質性肺炎でした。何か身近に感じました。


  私にとって人生の困難な日々に支えとするのは、まずは聖書です。「あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。 主は従う者を支え とこしえに動揺しないように計らってくださる」(詩編5523)、「わたしは、神に近くあることを幸いとし 主なる神に避けどころを置く。わたしは御業を語り伝えよう」(詩編7328)・・・。このような御言葉に励まされつつも、不安の中にある時はなかなか闇からぬけだせないのが現実です。


  しかし私の救いは、自分の内に御言葉が響いてくることです・・・。「この先には必ず輝く光がある」と。主が共にいて下さるからと信じるからです。 私たちは使徒パウロの生きざまを知っています。彼は述べます。「神は、これほど大きな死の危険から私たちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています」(コリント二 110)・・・。


  人は、挫折や苦労を通して、与えられた人生の重さと神さまの憐れみを知らされます。またつまずきを通し、大きく成長できるのです。私たちは無駄に歳をとることはありません。ゆっくりと、しかし御国に向って確実に成長の道を歩んでいるのです。だから「あなたも私も だいじょうぶ」。希望をもって進みましょう。



121日説教「神の小羊」要約:

「見よ、神の小羊だ」(ヨハネ福音書1:36,29参照)

  ユダヤ教では、罪を償うために動物犠牲が捧げられていました。小羊は、その生贄として代表的なものの一つでした。 新約の福音書によれば、神の御子である主イエスご自身が、人間の罪の贖いのため生贄として十字架にかかられたことを記しています。それによって私たちは、神との交わりの中に生きることが赦されたのです・・・。感謝


# by aslan-simba | 2024-01-15 14:51 | Comments(0)

逆境をバネに・・・

  心塞がれるような出来事が起こった年明けでしたが、新たな年も二週目を迎え、日常を歩まねばなりません。被災地においては、今なお行方不明の方々が多く、一刻も早い救出を願いますが、避難生活も人々にとっては、限界に近いような状況だと思います。一日も早い復旧を祈るばかりです。


  さて今年は辰年。昨年コロナも5類引き下げとなり、何かと制限され、萎縮していた気持ちも解放され、控えていた行事なども、やっと進めて行けると思っていた矢先でした。ちなみに辰年とは「活力旺盛になって大きく成長し、形がととのう力強い年」と言われ、「昇り龍」として象徴的に描かれることが多いです。禅宗のお寺の天井には、睨みをきかした「雲龍図」も多くみられます。聖書においての龍は、ドラゴンという形で描かれているのですが(ヨハネ黙示録)・・・ この辺は文化的背景の違いでしょう。


  私は今回の年初に恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる」(イザヤ書4110の預言者の語る御言葉を頂きました。キリストも「恐れるな」とあらゆる場面で、いつも私たちを勇気づけています。復活後のキリストは、「わたしは世の終わりまで、いつもあながたと共にいる」(マタイ2820)とまで言われます。


  私たちが逆境に遭遇したり、人間の力ではどうすることができない状況であっても、神は私たちと共に在り、何かを為し得る知恵や力を与えてくださいます。「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ書4031)。私たちは天からの力を間違いなく得ることができるのです。すぐには状況が変わらなくても、神に望みをおくとき、私たちは立ち上がり、前に進むことができると信じます。


  私たちのこの日本は、今までも挫けることなく、力を一つにして逆境をバネに、世界に驚かれるほどの大きな力を生み出して来ました。今年は辰年に相応しく、今までに蓄えた底力を用いて、主に望みをおく人間として、これまで以上に飛躍する年と為そうではありませんか。どこまでも希望をもって。



114日説教「聖霊によりて」要約;

「ヨハネは証しした。『わたしはが鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た』」(ヨハネ132

主イエスは「あなたはわたしの愛する子」という言葉と共に、天よりの洗礼を受けられました(マルコ111)。そして神の子として、今度は私たちに、神を「父よ」と呼ぶことができるように、聖霊を与え、キリストは私たちを神の子として導かれるのです。


# by aslan-simba | 2024-01-09 11:21 | Comments(0)

新たな年の命題

  「令和6年能登半島地震」で、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。 実は昨年クリスマスを終えての1226日、妻の母が97歳で召天し、尼崎教会において私の司式で、1230日午後に葬送式、31日夕刻に火葬という慌ただしい年末を過ごしました。


  新たな年、元旦には桃山栄光教会の祈祷会に出向き、妻と二人でしたが、母の弔いもあって長く祈りの時を過ごしました。 家に帰り、やっとゆっくりと食事をとり、一息つき、四時過ぎに尼崎に行くべく妻は車を出し、私は荷物をもって出る時に、足元がすくわれるような揺れを感じました。妻は停車している車の中で、大きな揺れを感じ、頭がふらついたそうです。後で知ったのですが、宇治でも震度4の揺れがあった由。


  車の音声は能登半島沖に震度7の大きな地震が起ったと流れています。かなりの揺れだったと思います。尼崎の娘から「こちらに来ないでよい」との電話が入り、家に戻ってテレビをつけると、繰り返し津波警報が・・・「東日本大震災」の時のような津波が来たら大変だと心配になりました。かろうじて大きな津波にはなりませんでしたが、家屋倒壊や火災、ライフラインの切断、さらには頻繁に起こる震度5以上の余震が続き、被災された方々、地域の方々には今なお気の休まる時がなく、相当大変な状況だと思います。


  私は29年前の117日に起こった、阪神大震災が蘇りました。あの時も新たな年を迎え、すぐの出来事でしたが、悲しむ間もなく、厳しい現実への対処が最優先になりました。さて昨日2日は支援物資を運ぼうとしていた海保機に民間機が衝突するという惨事も起こりました。新たな年の初日に震災なんて・・・何とも出鼻が挫かれたような思いになります。亡くなられた方々の人数が増えて行くのも辛い思いです。


  しかし私は聖書の言葉をお伝えします。「お前たちは立ち帰って、生きよ」(エゼキエル1832)と。今在る残された私たちは、この新たな年を、雄々しく強く生きねばならないと思います。「鳥は飛ばねばならぬ。人も混沌の世を生きねばならぬ・・・一寸先は闇でなく 光であることを知らねばならぬ 新しい年を迎えた日の朝 わたしに与えられた命題 鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ」(坂村真民)を心に刻んで・・・。



17日教会創立記念日 説教「永遠の主」要約:

「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ書4031

  神は力を与えて下さいます。私共は天の御力を得るのです。共々に主に望みをおく者として、この新しい年を歩み出したいものです。新たな歩みの上に益々の祝福がありますように。


# by aslan-simba | 2024-01-03 16:23 | Comments(0)

クリスマスの星とゆく年

 師走も押し迫ってまいりました。この原稿を書いているのは、1225日クリスマスです。牧師になってからですが、毎年クリスマス行事すべてを終えるまでは、ほっとできません。それだけ無意識のうちにも、真剣に全力を費やしているのでしょうか。ただ私にとっての一年は、いつもクリスマスの光の中で終わって行きます…。有難いことです。


 昨夜のキャンドル礼拝は、前回ここに記した、「星の導き」をテーマに説教をし、幼子イエスにまみえるために旅した博士たちに思いを馳せました。妻と片づけを終え、家路を辿るときにふと「星の時間は聖らかである」という言葉が脳裏をよぎりました。確か学生時代に学んだドイツ語の詩の一節と記憶しています。冬の星は、私たちの心をきよらかにしてくれます。あの東方の博士ならずとも…。


 小学生の時、夜空にオリオン座を見つけた時、父が「今、見えている星の輝きは、何万光年という遠い昔に発した光なんだよ。それがここに届いているだ」と教えてくれたのを思い出します。ただただ不思議なことだと思いました。今この年齢になっても、星を見ると、そんな不思議な気持ちになります。 カトリックの聖イグナチオは、晩年になって、教会の小さな窓から星を見つめては感謝し、慰めを得ていたそうです。


 さて今年も色々なことがありました。個人的なことでは今、妻の母が自宅において、訪問医療でターミナルケアを受けています。妻と娘夫婦が訪問医師および訪問看護師と緊密な連絡を取りながら、介護にあたっています。義母が新たな年を迎えられるよう、神さまのお守りを祈りながら…。 ともあれ、皆さんには今年もお世話になりました。どうぞ、よいお年をお迎えくださいますように。


「さようなら」といって別れたあとも

私たちは ふりかえる 

そしていいそびれていた優しい言葉や

だいじな約束を たしかめあったりする

「さようなら」いまゆく年がそのように

ふりかえって 私に話しかけているような気がする 

今宵、クリスマス・イブ 

星と音楽と、まぶしい町あかりのなかにいて…

(高田敏子「ゆく年」)。 


互いに希望をもって新たな年へと向かって行きましょう。



1231日 説教「光の中を」要約:

「わたしたちが光の中を歩むなら…神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます…」(ヨハネ一179参照) 

 真実で正しい方が私たちを赦し、清めて下さるのです。神との交わりの中に留まるためには、御前に正直であることが必要です。暗闇の中に身を置くのではなく、主にあって光の中を歩んで行きましょう。


# by aslan-simba | 2023-12-25 14:18 | Comments(0)

星の導き…

  クリスマスイルミネーションの美しい季節です。我が家の近隣でも、そんな光景を見かけます。我が教会は電飾なしですが、今年も玄関に簡単な飾りを施しました。


  ところで俳句の世界で「クリスマス」を季語として、最初に取り入れたのが、正岡子規だそうです。彼の句に「クリスマスに 小さき会堂の あはれなる」、「八人の 子供むつまし クリスマス」などがあります。 この時期、子供の頃のクリスマスの記憶がよみがえります。住宅街にイルミネーションはありませんでしたが、ある年のクリスマスの晩、両親と見上げた夜空の星が、ひときわ明るく輝いていたのを覚えています。もう六十年以上も昔の話です。


  さて、聖書には、救い主の誕生を告げる不思議な星が現れます。その星に導かれた、東の国の博士たちの物語が記されています(マタイ2章)。彼らは、黄金・乳香・没薬という宝物を持って、救い主を拝みに旅立ったのです。博士たちは、持っていた財産すべてを、この旅と捧げ物の準備のために使い果たしたのでしょう。それぐらい、この旅は彼らにとって重要な旅だったのです。


  彼らの道行は夜の旅、星の光だけを頼りの歩みでした。長い月日をかけて、はるばる遠くの地よりの旅でした。山あり、谷ありの歩み…。もちろんその時代、道といった道があったわけではありません。足下を気遣いながらの旅だったでしょう。その旅がどれくらい続くのかは分からなくても、必ずや救い主にお会いできるという確信が、彼らの足を前に進ませたのでしょう。


  たた彼らの胸には一抹の不安や迷いがよぎったかも知れません。彼らはもう若くはなく、体力的にはきつかったのではないでしょうか。それでも希望を捨てずに歩み続け、遂に生まれたばかりの救い主にまみえるのです。「東方で見た星が先立って進み、遂に幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた」…。 


  この物語を評して宗教改革者ルターは「福音書記者は、ここにおいて、真の信仰とは何であるかを示している」と言います。まさに「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること」なのでしょう。(へブライ111)。 今年のクリスマスを迎える私たちにも、この話は信仰と希望のあり方を教えてくれているようです。



☆降誕祭礼拝(1224日)説教「インマヌエル」要約:

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」(マタイ1:23)

クリスマス、私たちは感謝と喜びとをもって、共におられる主イエス・キリストのご降誕を心から祝いたいと願います。Merry Christmas!



2023年度 桃山栄光教会のクリスマス=

1224()

午前10301130 クリスマス礼拝

午後19001930 キャンドル・サービス


# by aslan-simba | 2023-12-18 10:05 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29  京阪桃山南口より徒歩8分、ほっこりした教会   天に在る牧師の愛犬たちです。

by aslan-simba