八十八夜

やさしい日差しの中に若葉が輝く。八十八夜が巡ってきた。立春から数えて88日目、この夜を境に霜は降りなくなり、田植えや種まきの農作業が始まるという。春と初夏の端境期、三日後には立夏を迎える。 八十八夜といえば、何といっても茶摘、この時期に摘まれたお茶は極上の縁起物とされてきた。思えば私にも、その新茶を摘んだ体験がある。もっとも遠い昔の話、小学四年生のときだった。 その春、我が家は東京から、狭山茶の産地に出来た新興住宅街へ引っ越してきた。毎朝、茶畑を見つめながら五十分もかけて通う学校・・・さらには地元の風景、人々の姿、話す言葉、そのどれをとっても「のどか」に思えた。今の埼玉=東京県民の住処のイメージとはまったく違う。この時期には「お茶休み」があった。「お茶休み」といっても十時や三時の休憩ではない。学校が二日ほど休みになる「農繁期休み」なのである。農家の子供たちはそれぞれに自分の家で茶摘作業を手伝う。私も友達の家の手伝いをし、思いもよらず小遣いを貰った。人生最初のアルバイトだった。 そのお茶休みの前、先生がお茶の三大名産地は「静岡、京都の宇治、そしてここ狭山」と教えてくれた。宇治については十円玉の平等院の話もあった。今、その宇治に住む。お茶繋がりのご縁だろうか。そのせいか、緑茶が大好きである。宇治茶、静岡茶は勿論・・・ただ、何といっても狭山茶を最高だと思うのは、あの「お茶休み」の体験ゆえだろうか(ちなみに、お茶休みはその翌年からは無くなった)。
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# by aslan-simba | 2007-05-02 09:50 | Comments(7)

ガンバレ!鯉のぼり

心地よい新緑の風吹く街を歩く。公園にツツジの花が美しく咲き乱れる。一息いれて見上げれば、マンションのベランダにコンパクトな鯉のぼりがはためいている。ふっと、就職した頃のことを思い出した。 勤務地は大阪。東京採用の学生は、まずは大阪勤務になるのが、当時の商社の慣わしだった。オフィス・ビルは銀杏並木が芽吹き始めた御堂筋沿い。住まいの独身寮は閑静な阪急・西宮北口にあった。大阪=吉本新喜劇・新世界、阪神間=ヤクザ・公害訴訟・・・程度の認識しかなかった者にとって、そのギャップは大きく、逆に一気に関西ファンとなった。会社の新人研修も本当に楽しかった。 問題はその後。配属先は希望通りの貿易部門だったが・・・毎朝、始業一二時間前に来て、海外店からの電信のチェックをやり終えねばならない。そして英文書類の山、次から次へと回される計算業務。昼休みも頑張る。仕事が終わるのは早くて9時。残業は雰囲気的に付けられない。 目が回り、疲れ切る毎日に、不安が頭をもたげる。「この先やっていけるだろうか」と・・・。待ちに待ったゴールデンウィークに最初の帰省。東京へ向かう新幹線の窓越しに、鯉のぼりと鮮やかなツツジの花が見えた。それを眺めながら、「鯉は竜門の滝を昇り切り、竜に成る」という「登竜門」の故事を思った。「負けないで竜になるぞ」・・・三十年も前のたわいない話だが。 ある意味で、今なお「鯉」である自分。この世で「竜」にならずに、この人生の滝を、主に在って昇り続けて行ける幸いに与っている。感謝
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# by aslan-simba | 2007-04-29 15:19 | Comments(0)

四月も後半に入り、ゴールデンウィークも近づいてきた。新社会人あるいは大学一年生と、この年度から、新たな環境に入った若者たちや、転勤、転職で新たなスタートを切った人々も、当初の戸惑いとあわただしさから解放され、変化に慣れてきた頃ではないだろうか。現役の人ばかりではない。第一線を退き、この春からは、今までとは別の使命に生きようという人もいるだろうし、この年度から、これを果たそうと新たな目標にチャレンジしている人たちもいるはずだ・・・そのひとつひとつの思いを大切にして行ってほしい。 木々は今、明るい陽射しと、十分な水と養分を得て成長している。やがて秋にはたわわな実をつける。これと同じように、キリストの光と御言葉によって、私たちも共々に、豊かな実りとなりたい。人生の終末に必ず訪れる、その収穫の日を心に描き、今を大切に、夏の嵐にもめげることなく歩み続けようではないか。 ソクラテスは言う。「いちばん大事にしなければならないことは、生きることではなくて、よく生きることである」と。「よく生きる」、ソクラテス的に言えば、そこに「知」が大切な役割を果たすことになるのだが・・・心配するには及ばない。私たちも、「キリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされて」(コリントⅡ1:5参照)いるのである。感謝にたえない。ここに確かな希望の根拠を置き、これからも謙虚でひたむきに努力、精進を続けよう。人生の豊かな収穫の秋の到来を、主に在って心より望みつつ。
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# by aslan-simba | 2007-04-22 18:06 | Comments(5)

春、早朝を歩く

春、早朝の目覚め。めずらしく風邪をひいたらしい。頭が重く、のどが少し痛い。もう少しふとんのなかにとどまりたいが、思い切り起き上がる。書斎に入り、ひとり聖書を読み、祈りを捧げる。玄関先では二匹の犬が、しっぽをふって私を待っている。彼らを連れて家を出ると、あたたかい白い光がさしそめてくる。忙しそうに朝刊を配っている新聞屋さんと、いつものように挨拶を交わす。今朝は立ち止まって犬をなでてくれた。愛想のよい人だ。 道々、犬たちが粗相をしないように気遣いながらも、主に祈りながら歩く。「歩くことは祈ること」、本当にそうだと思う。日々このように歩けることは有り難いことだ。大抵は、犬たちを連れてだが・・・逆に犬のおかげというべきかも知れない。朝の光に照らされた周りの景色の変化に、四季の移り変わりが肌で分かるようになった。主イエスの御言葉が文字通りに実感できるようにもなった。「野原の花がどのように育つかを考えてみなさい・・・今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである」(ルカ12:27-28参照)。感謝にたえない。満開だった桜は、いつしか葉桜に変わっている。これから新緑の時期がやってくる。復活の季節が本格化するのである。ますます希望を燃やしたいものだ。 ふっと我に返り、体調が随分と楽になっていることに気づく。風邪は癒されている。ここに始まった新たな一日。今日も、祝福された良き日になる。
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# by aslan-simba | 2007-04-15 13:18 | Comments(4)

復活祭のウグイス

「うぐひすの鳴きつる声にさそはれて 花のもとにぞ我は来にける」(大江千里)。
花冷えの日々の後に、春のぬくもりが戻ってきた。満開の桜を見上げて歩くいつもの道、今日は不思議なことがあった。春告鳥のウグイスが、その姿を私の眼前に現し、元気をくれたのである。 「王様とウグイス」の物語を思い出した。舞台は中国の王宮、その中でとくに素晴らしいと評判なのが、その庭に住むウグイスの歌声。家来たちは苦労して、ウグイスを探しあてた。王様は喜んで、鳥かごの中に飼うのだが、外国から、金で出来たゼンマイ仕掛けのウグイスを贈られると、そちらの方に夢中になる。そこで本物のウグイスは、そっと宮殿から飛び立って行った。やがて金のウグイスのゼンマイは壊れる。悪いことは続き、王様は重い病に倒れてしまった。病床でウグイスの音色を思い、涙を流す王様。その時に窓辺に響く歌声は・・・あの本物のウグイスが、王様の病を心配して戻ってきてくれたのだ。その声に励まされた王様は一気に病を克服する。文字通り復活したのである。幼児の頃に、何度も読み聞かせてもらったこの話、懐かしく心に残っている(原作はアンデルセンの童話「ナイチンゲール」)。 今日はイースター(復活祭)、花祭り(潅仏会)の日にもあたる。いよいよ春本番。復活と希望の季節が、ここに始まった。美しい花々に、ウグイスの優しい励ましの歌声が響く。元気を出して立ち上がろう。
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# by aslan-simba | 2007-04-08 15:26 | Comments(2)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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