建仁寺に出向いて

 妻の知人の所属する書道展を見に、秋晴れの京の街へ出向く。場所は建仁寺にある塔頭寺院。展示会場では味わい深い抹茶も頂き、くつろぎの時を過ごす。

 祇園の街中に凛として佇む建仁寺、京都で一番古い禅寺だ
。境内は広々とした静寂な空間が拡がっている。歩いていると、新島八重の逸話が脳裏によみがえる。彼女は昭和の初め、この寺で管長から教えを受けていた。そのため「新島未亡人は仏教に改宗か」と噂になり、新聞沙汰にまでなった。八重は「他の宗教の方のお話を聞いてはいけないということはないでしょう」とさらりと切り返す。彼女は幕末に生まれ、明治、大正、昭和を自分らしく毅然と生きた女性だった。

 そんな折、今回、六十過ぎて大成した気骨の画家・小泉淳作を知った。法堂の天井に描かれた彼の「双龍図」が不思議な趣をもって迫って来た。2002年の寺院創建800年を記念して奉納されたこの大作、
108畳の大きさで77歳の作。下絵は2年の歳月をかけ、北海道の廃校の体育館で作成したという。2000年に鎌倉・建長寺の「雲竜図」を手掛けたことが、建仁寺のこの仕事に繋がった。さらに82歳からは5年近くをかけ東大寺本坊の襖絵を描く。そして完成の一年後に逝去。見事なまでの大器晩成の人生・・・。

 この画家に妙に興味を覚え、彼の亡くなる前年の文章(日経新聞掲載「私の履歴書」)と作品を紹介した
本・・・我れの名はシイラカンス 三億年を生きるものなり』を、早速に取り寄せた。若い頃から自らが納得できる絵を追求し、画壇とは一線を画して歩んできた小泉画伯。彼は「幼いころから利かん坊の拗()ね者だった。長じてからも喧嘩っ早くて偏屈で、画壇に親しい友人は誰もいなくなった・・・しかし、これまでの半生を綴ってきて、人の縁に恵まれ、助けられて生きてきたことに改めて気がついた」と言う。そして画家を目指す若者たちに「自らの絵に魂をふき込むのを忘れてはいけない。憧れや畏敬や哲学を持て。自分の絵を追い求めろ」と・・・。

 彼の生き様に元気をもらう。私も最後の時まで、「神の御心」を追い求め、語り続けたいものだ。



☆10月30日説教「永遠の命」要約:

「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です」(ヨハネの手紙一514

  私たちは憚ることなく、大胆に父なる神に近づいて祈ることができます(ヘブライ416)。大切なのは、何が御心に適うか、祈りつつ、耳を傾け、神さまの願いを私たちの内に宿して頂くことです。その時「神に願ったことは既にかなえられていることも分かります」(ヨハネ一515




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by aslan-simba | 2016-10-26 17:48 | Comments(0)

3つの目と神の目

 物事の本質を理解する上で、「鳥の目」「虫の目」「魚の目」の3つの目が必要だと言います。

 「鳥の目」とは一段高いところから、広く全体を見渡し、物事を把握する目。「虫の目」は物事に近づいて様々な角度から細部に注目する複眼の目。「魚の目」は潮
の流れの変化といった周囲の動向、時代の変化を敏感に感じ取る目のことです。そこから鳥のように大局的に見て、虫のように細部を注視し、魚のように動態的に観察する・・・。これはマーケティング戦略で言われるようになったものですが、人生の問題で視界がくもり、先が見えないような時にも役立つのではないでしょうか。

 
例えば眼前の事柄に行き詰まり右往左往するとき、「壮大な鳥の目」を使う。大きな空から、この地上に住む小さな自分を見つめる。その時、問題が相対化され、別の出口が見出されるかもしれません。 また漠然と明日のことが気になり、憂鬱な折には、「虫の目」を用い、まずは目の前の為すべき事柄に精一杯、力を傾ける。すると先が見えて来るかもしれません。

 そして、さらなる人生の将来に思いを向ける時には、変化を見つめる「魚の目」が肝要となるでしょう。旧態依然とした思考だけで停止してはなりません。物事には流れ(トレンド)があります。それを掴む努力をするとき、必ずや見えて来るものがあるはずです。そんな仕方で、3つの目をもって日々を過ごすのも、人生の知恵でしょう・・・。

 ただ、その3つの目以上に大事な目があることを忘れてはなりません。それは私たち自身の物事に対する見方ではなく、私たち一人一人を見つめる大きな憐れみの目の存在・・・そうです!「神の目」。神は言われます。「わたしの目にあなたは価高く、貴く わたしはあなたを愛し あなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の変わりとする。恐れるな、わたしはあなたと共にいる」(イザヤ書4345)と・・・。また箴言はこう述べています。「
人の歩む道は主の御目の前にある。その道を主はすべて計っておられる」(箴言521)。

 慈愛に満ちた眼差しをもって
神は、キリストは、どこまでも私たちを見守り、支え、励まし、救いの完成へと導いて下さるのです。これをしっかりと心に刻みつけたいものです。


☆10月23日説教「賢い者」要約:

「むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい」(エフェソ51820
 愛と慈しみをもって、私たちを常に導かれる神。その神さまを真摯に礼拝する中で霊に満たされ、感謝に生きる生活が形成される。人生を賢く生きる秘訣は、この信仰生活にあるのだと、聖書は告げている。



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by aslan-simba | 2016-10-18 23:03 | Comments(0)

秋・・・心軽く 

 忙しさに追われつつ、問題や心配事も抱え、日々を過ごす。ひとつが解決すると、また新たな心配材料を見つけては、心を悩ます。そんなところが、私たちにはあるかも知れません。

 しかし、その心配事で心身に疲労を来たしたら、元も子もありません。普段から心の健康も保ちたいものです。そのために一日の時間の中、静かな祈りの時と共に、数分でよいですから、何も考えない時間を持ち、心を休めるとよいと思います。

 私は日々の祈りの後に、ひとり静かに座って目をつぶり、しばし瞑想にふけるようにしています。自分自身の呼吸だけを意識し、次から次へと入って来る思いは「雑念」として、後ろに流して行く。当初は座禅のまねごとから始めたのですが、気分が随分と楽になります。


「あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる(マタイ66)と主は言われましたが、神さまが報いてくださるのでしょう・・・。

 
またイエスさまは私たちに「思い悩むな」と言われ、「空の鳥を見なさい・・・野の花を見なさい」とも命じられています。神が造られたそんな自然の奥深さを知る時、私たちの心の向きが変えられるのです。 心と部屋の窓を大きく開きましょう。神さまの「風」(プニューマ)を頂きましょう。

 十月も半ばの今の時期、残暑の季節は過ぎ、本格的な秋を迎えています。空気が澄み、遠くの景色がはっきりと見えます。外に出てみましょう。夕方でも構いません。西空に沈む太陽の輪がくっきりと見えます。お月さまは、その時々の姿をさわやかに見せてくれます。美しい虫の鳴き声も響き渡る・・・。本当に気持ちの良い季節です。 信仰の詩人・八木重吉がこう詠っていました。

秋になると ふとしたことまでうれしくなる そこいらを歩るきながら うっかり路をまちがへてきづいた時なぞ なんだか ころころうれしくなる」。

 しばらくしたら始まる錦秋のシーズン、ゆったりした思いで楽しみたいものです。


☆10月16日説教:「信仰の道」要約:

「信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができなかです」(テモテの手紙一656

 私たちの生涯この世に何を残したかという事よりも、どう生きたかが問われるではないでしょうか。共々に永遠の命を賜る主の許に召される日まで、信仰という「利得の道」に在る事を心から感謝しつつ、その道を最後まで歩み通したいものです

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by aslan-simba | 2016-10-12 21:18 | Comments(0)

神の記憶に

 特にスポーツの秋だからということではなく、平生から、歩くことを楽しむようにしている。それが私の朝のウォーキングにもつながっている。

 ある方から聞いた話だが、ウォーキングなどの適度の運動を習慣的に行うと、健康状態の維持改善のみならず、記憶力の向上にも役立つそうだ。また脳がリラックスした状態で運動を行うと、脳活動を高め、認知症の予防にも繋がるという。まさに一石二鳥、ありがたいことだ。

 普段、学生相手に話をする上で、過去に刷り込まれた偏った「常識」は通用しない。そこでは、たえず新しい知識の吸収が必要となり、記憶力が試される。 といっても授業中、固有名詞が出てこなくて「つまり、あれだよ・・・」と困ったこともあった。(「そういうところもあるのが、先生らしくて面白い」と奇特な学生に励まされたが・・・)。以後、講義メモにも固有名詞をしっかり書き込んでおくことにした。あわせて記憶力アップのサプリを飲み始めた。

 いずれにせよ、
忘れることはあっても止むを得ない。人は、忘れることで心の平静を保っている部分もある。それも恵みであろう。しかし認知症などの病気で、身近な人から自分を忘れられるという事は、本当に辛いと思う。わけても親子や夫婦という関係の相手に自分が忘れられ、また共に大切にしてきた記憶も忘却されることは・・・。

 ただ、たとえ愛する者に忘れられようとも、また自分が全てを忘れてしまおうとも・・・この世界には、どこまでも私たちを覚えていて下さる神がいる。主イエスは雀に託してこう言われる。

五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」(ルカ1267)。

 
神さまが豊かな記憶をもって、日々を配慮してくださるのだ。だから安心して委ねたい。雨上がりの街、ウォーキングの道すがら、スズメの声に神さまの恵みを感謝。



☆10月9日説教「勇者ギデオン」要約:

勇者よ、主はあなたと共におられます」(士師記6:12

 酒ぶねの中に隠れていたギデオンに神が呼びかけられた。「勇者よ」と。それは彼が勇敢だったからはない。問題は、彼が今何者であるか」ではなく、「何者かになり得」ということ。そこで決定的に重要なのは続く「主はあなたと共におられます」という御言葉だ。彼が勇者になり得るか否かは、この一言にかかっていたのである。



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by aslan-simba | 2016-10-04 23:18 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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