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神に希望を

 先日、偶然ある方と道ですれ違い、ふと昔のことが脳裏をよぎりました。その方たちと知り合った頃、私は眠れないようなことが、しばしばありました。事実、いくつもの困難な問題に直面し、心配事に包まれていた時期です。あの頃、懸命に祈りながらも、「何故自分の思いが普通に伝わらないのか」「どうして素直に理解してもらえないのか」といらだちを覚える一方、自分自身にも限界を覚えていました。 しかし、そのような経験も経て、また同時に良き出会いも与えられ、今日の人生へと拓かれた・・・。思えば、一切が御旨の中にあったのでしょう。

 ともあれ困難な日々、支えとなったのが、たとえばこんな詩編の言葉でした。「あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。 主は従う者を支え とこしえに動揺しないように計らってくださる」(55:23)、「わたしは、神に近くあることを幸いとし 主なる神に避けどころを置く。わたしは御業を語り伝えよう」(73:28)・・・。

 ただ、いつの時代もそうですが、私たちの人生が営まれるこの世の中、それは生き馬の目を抜くような世界です。互いの足の引っ張り合いがあります。罠もあれば、嘘も事実として一人歩きすることもあります。そのような中にはまり込んだ場合、視野が極端に狭まり、まさに「一寸先は闇」ではないかという思いだけに囚われ、立ちすくんでしまう・・・。それでも私は言いたいのです。よしんばそうであっても、「その先の先には必ず輝く光がある」と。なぜなら、主が共にいて下さるから。さらに神さまは、その救いの御計画を、この身に実現されるからなのです。だから安んじて一歩踏み出そう、と。

 私たちは使徒パウロの生きざまも知っています。彼はこう述べます。「神は、これほど大きな死の危険から私たちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています」(コリント二1:10)・・・。

 人は、挫折や苦労を通して、与えられた人生の重さと神さまの憐れみを知らされます。またつまずきを通し、大きく成長できるのです。



☆1月31日説教「主の憐れみ」
「・・・『主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています』と叫んだ」
(マタイによる福音書15:22)
 「主よ 憐れみたまえ」、「キリエ・エレイソン」、教会が伝えて来たギリシア語の祈りです。古い時代、教会は礼拝で、「キリエ・エレイソン」を繰り返し、神の憐れみを祈りました。私たちもまた、同じように主の憐れみを祈り、求め続けたいと思います。憐れみ深い主を切に覚えて。
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by aslan-simba | 2016-01-26 21:46 | Comments(0)

Time Flies (時間が飛ぶ)

 「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」・・・その通りに新年一月も、あとわずかで「行く」。

 年齢を重ねると、時間の流れが本当に早い。子供の頃は楽しい時間だけが早く過ぎ、その他の時間は実に長く感じたものだ。今や、すべてが早い。特に最近は一日一日があっという間のTime flies・・・まさに時間が飛んでる今日この頃。

 19世紀にフランスのある学者は、「生涯のある時期における時間の心理的長さは、年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)」と説明した。「例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどだが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる」と(「ジャネーの法則」Wikipedia参照)。

 それを、こう述べる人もいる。「人は認知される変化の数や刺激が多いほど、時間を長く感じる。子供のときは、多くが初めての経験なので何事も新鮮に感じ、歳をとるとその刺激が薄れるから短く感じ」、さらに「脳内のある種の神経伝達物質の高齢に伴う低下も原因である」と。なるほど納得・・・。しかし感心ばかりしていられない。気をつけないと、瞬く間に人生は終わってしまうことになる(ヨハネ12:35参照)。

 ならば、なおのこと、神さまから与えられたこの人生の一日一日を大切にすべきだろう。星野富弘さんはこのような詩を記している。
 
「一日は白い紙 消えないインクで文字を書く 褪せない絵の具で色を塗る 太く細くときには震えながら 一日に一枚神様がめくる 白い紙に今日という日を綴る」

 私たちも一日一日、日々の恵みを噛みしめながら、しっかりと生きたいものだ。勿論これからの日々にも、困難はあろう。「重荷を負うて遠き道を行く」のが私たちの人生だから。それでも、私たちには「耐えられないような試練に遭わせることはなさらない」(コリント一10:13)という主の御旨に信頼し、委ね続けたい。

 先日、こんな英語表現を耳にした。”The bad news is time flies. The good news is you're the pilot.”(時間が飛ぶのは嫌な知らせだが、有難いのはあなたがそのパイロットであること)。これも合わせて心に留めておこう。どうか主共にあって、良き人生の飛行を!



☆1月24日説教「新たなスタート」要約:
「・・・神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え・・・」
(ペトロの手紙一1章3節)
 私たちには既に、生き生きとした希望が神から与えられています。それは試練の中において輝き出し、力を発揮するものなのです。つまり私たちは「魂の救い」(9節)を今や得ているのです。だから試練に負けることはありません。
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by aslan-simba | 2016-01-19 21:44 | Comments(0)

人生は良いもの

 年賀状に記されたサラリーマン時代の知人たちの近況・・・「陶器の焼き物にこっている」、「親の介護で退職した。自分も歳をとった」、「孫と遊ぶのを楽しむ日々」・・・いずれも、ここ三十数年会っていない友人たちからのものです。懐かしさを覚える半面、記憶にある彼らの若々しい姿からは、正直想像つきません・・・。皆、歳をとったのですね。もしかしたら年齢不相応に、いまだに若いつもりでいるのは私だけなのでしょうか・・・。

 ともあれ、彼らと一緒に仕事をしていた時代と今とでは、互いに物の見方、考え方も随分と変っているかも知れません。皆それぞれに、人生のさまざまな問題や失敗を経験して今あるのだと思います。その歩み、決して一筋縄ではなかったはずです。いずれにせよ、年に一度だけでもこうして、連絡を取り合える私たちは恵まれています。

 思えば、古い知人の中には、世を果敢無んで自ら命を絶った人もいました。不治の病に倒れ経済的に立ち行かなくなった人もいます・・・祈り覚える人たちです。 それでもなお、私はあえて言いたいと思います。神さまが私たち一人一人に与えて下さった「人生は良いものだ」、そしてその「人生の経験には意味があるはずだ」と。

 聖書は「凡(すべ)てのこと相働きて益となる」(ローマ8:28文語)と教えています。厳しい試練や困難があっても、神は、私たちを愛して、摂理の御手によって、そのすべてを良きものへと変えて下さると・・・。私はこれを信じたい。その神さまに委ね続けたい。

 イザヤ書にはこうあります。「あなたたちは生まれた時から負われ 胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで  白髪になるまで、背負って行こう。 わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(イザヤ書46:3‐4)。

 人生とは、主が背負って運んで下さる歩みです。神さまの御心が私たち一人一人に向けられ、私たちの人生のどの段階にあっても、主は私たちを担い、背負い、救ってくださるのです。この神に心から信頼し、御国を目指してなお希望をもち、共々に進み行きたく願います。




☆1月17日説教「向こう岸へ」要約:
「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」(マルコによる福音書4章40節)
 「向こう岸」はマルコ5章1節によると異邦の地「ゲラサ人の地方」。そもそも弟子たちはそこへは行きたくなかった。しかも湖上では、突風伴う激しい嵐にまで遭遇する始末。慌てふためく弟子に主イエスが述べたのが上述の御言葉。怖くとも、人はなすべきことはせねばならない。それを導くのが信仰だ。それは恐怖や不安を乗り越えさせる力なのである。
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by aslan-simba | 2016-01-11 20:32 | Comments(0)

和顔施

 正月休みも終わり、新たな年の日常が始まっています。

 今朝示された詩編の御言葉を記します。「その時には、私たちの口に笑いが、舌に喜びの歌が満ちるであろう。その時には、国々も言うであろう。 『主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた』と」(詩編126:2)・・・。 「笑い」、キリスト教史を調べると、中世の修道院等では笑いを否定的に捉えた事が分かります。

 しかし上述のように聖書自体はそのように教えてはいません(もっとも「あざ笑い」を行うことは戒められています。イサク誕生を巡るサラの反応、創世記18:2、21:6等を参照)。確かに他者を笑いものにするのは感心しませんが、たとえばデーケン神父は「自己風刺できるユーモアは大切」と語っておられます。それは「人生の潤滑油だ」と。その神父のモットーの一つが「晴れてもアーメン、雨でもハレルヤ」の由。日日是好日ということでしょう。私たちもこの人生、如何なる日々も、そんな思いで歩みたいものです。

 ちなみに仏教の教える「お布施」の一つにも、笑顔をもって人と接する「和顔施」(わげんせ)というものがあります。もちろん、これは葬儀や法事などの折に包む「お布施」ではなく、「無財の七施」(財物ではない良き行い)の一つです。 「笑い」、「ユーモアの効用」・・・確かに笑顔は雰囲気を和らげ、気持ちを優しく明るくしてくれるものです。

 ウィリアム・ジェームスという宗教心理学者は言います。「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せになるである  (We don’t laugh because we’re happy ―we’re happy because we laugh).」と。「笑う門には福来る」です。 なお「笑」という漢字には「花が咲き誇る」 という字義があるそうです。イザヤ書35章にこうありました。「荒野よ、荒れ地よ、喜び踊れ・・・花を咲かせよ 一面に花を咲かせよ。・・・大いに喜んで、声をあげよ。人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る」(1-2節参照)。私たちにとって笑顔になれるのは、神さまから頂いた命を豊かに輝かせている時ではないでしょうか。

 笑顔をもって益々の祝福に与る一年となりますよう心よりお祈りします。そのためにも「常に喜べ、絶えず祈れ、すべての事、感謝せよ」(テサロニケ一5:16‐18)。



☆1月10日説教「主のたとえ」要約:
「よく聞きなさい。・・・聞く耳のある者は聞きなさい」(マルコによる福音書4:3、9参照)
 主イエスの教えの多くは、譬えという仕方をもって述べられている。その譬えを理解する鍵は、自分自身に語られている御言葉として捉えることだ。つまり、その御言葉の中に我が身を置いてこそ私たちは主の真意を理解できるのだ。その時に御言葉は輝き出す。信仰者なら、御言葉の傍観者であることは止めたい。
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by aslan-simba | 2016-01-08 16:18 | Comments(0)

お正月

 大晦日までのざわめきが静けさに変わり、年は改まりました。新年のお慶びを申し上げます。

 お正月を迎えるとすがすがしい気分になりませんか。「なんとなく、今年は良い事あるごとし。元旦の日晴れて風無し」(石川啄木)と・・・。子供の頃は文字通り、そんな思いでお正月を過ごしました。お年玉も嬉しかったし、正座してお屠蘇とお雑煮を頂くのも楽しかった。

 実家のお雑煮は、角餅を入れたしょうゆ仕立て、具は里芋と小松菜でした。普通なら鶏肉も入っておかしくないのですが・・・。父によると、江戸の大火の後(いつの大火?)、贅沢すると徳川さまに申し訳ないと、こんな質素な雑煮が江戸の習慣となった由。「これこそ、本物の江戸っ子の雑煮なんだよ」と語りながら、お雑煮を食べていた父の笑顔を思い出します(今の私は江戸前雑煮より、関西のお雑煮の方が好きですが・・・)。

 あの頃の正月風景も脳裏に浮かびます。家々の玄関や門前には「門松」が置かれ、玄関口には「しめ飾り」。道行く車にも小さな「しめ飾り」が付けられていました。

 また父と私は元日には早起きし、晴れ着に着替える前に、家の前に日の丸を掲げました。縞模様の旗竿を取り出し、先に金色の玉を射し込み、旗紐を結ぶ。あの時の誇らしい思い、今も懐かしく覚えています。昭和30年代~40年代初めの頃のことです。

 いつしかそのような正月の光景も消えてしまいました。そういった事に伴ない、先人から継承した生活の知恵や伝統を置き忘れ、また私たちの礎となったその先人たちへの感謝の思いも希薄になったようです。全ては目先の事と効率だけを優先してしまい・・・。

 そのような現実に裏付けられた出来事を、昨年最後の週に知らされ、驚かされると共に、一国民として本当に情けなくも思いました。

 私たちはどこまでも「蛇のように賢く、鳩のように素直に」(マタイ10:16)この国に生きる信仰者としての誇りと節度を大切にして、歩んで行きたいものです。 この新しい年「我らの行く先 定かに見えねど、導く光に 身を委ねまつらん」(讃美歌411)と心に刻み、祈りつつ、希望を捨てずに・・・。



☆1月3日説教「福音の初め」要約:
「神の子イエス・キリストの福音の初め」(マルコによる福音書1:1)
 福音とは「喜ばしい知らせ」、Good Newsを意味するギリシア語から来ています。イエス・キリストの出来事一切が、その「福音」なのです。それは私たちに、生ける神を示し、真実の命と大いなる希望を与えてくれます。そして、その知らせによって実現した喜びの生活の指針が、この教会の礼拝に確かにあると信じます。
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by aslan-simba | 2016-01-01 01:11 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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