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カラスなぜ鳴くの

 早朝から「カア、カア、カア」と、けたたましい鳴き声。ゴミ収集日に最も気になる存在がカラスです。家の近所につがいで仲良くゴミを狙うのもいます。お世辞にもほほ笑ましい姿とは言えません。

 英語のことわざに「A flying crow always catches something. (飛んでいるカラスは必ず何かを捕まえる)」とあります。ある英和辞典はそれを「意訳すれば、『犬も歩けば棒に当たる』」といいますが、それでは犬に立つ瀬がない。ましてや野良犬など見かけない昨今の日本では・・・。

 ともあれ、太古の昔から、神話や伝説にカラスは登場します。それだけ人間生活に身近な鳥だったのでしょう。

 ギリシア神話によると、カラスは太陽神アポロンの使いの賢い鳥でした。しかし、よからぬ密告をしたため、アポロンの怒りを買い、太陽の炎で焼かれ、天界から追放された。だから黒いのだ、と。これを聞くと可哀そうになります・・・。

 他方、昔の日本では、「カラスは、太陽と共に現れて夜明けを告げることから瑞鳥(ずいちょう・・・めでたいことの起こる前兆の鳥)」とか、「反哺の孝(はんぽのこう・・・カラスは成長の後、親鳥の口に餌を含ませて養育の恩に報いるということ)から、慈鳥(じちょう)」と言いました。

 『古事記』や『日本書紀』に登場する、有名な八咫烏(ヤタガラス)は、カムヤマトイワレヒコノミコト(後の神武天皇)が九州から東征し、大和盆地に入った際、熊野の道案内をしたと伝えられます。「日本建国」に関わる大切な役目を担ったのです(山本殖生『熊野 八咫烏』参照)。こんな祖先の思いも、心に留めたいものです。ちなみにサッカー日本代表のシンボル・マークが、この八咫烏です。

 なお聖書にも、カラスはしばしば登場します。レビ記やイザヤ書では不評ですし、ノアが箱舟から放ったカラスも鳩と異なり、戻って来ませんでした(創世記8章)。しかし、預言者エリヤのお世話をした、立派なカラスもいました(列王記上17章)。

 主イエスは「神はカラスをも養ってくださる」と述べ、私たちに神の愛を思い起こさせて下さいます(ルカ12:24)。だから、今の私たちにとっても、「瑞鳥」、「慈鳥」なのでしょうか。ゴミに気をつけながらも、カラスを養われる神さまの愛を覚えたいものですが・・・。



☆5月31日説教「聖霊の力」要約:
「『・・・あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください』。祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした」(使徒言行録4:30―31)。
 祈るとは、神の御業のために自分自身を差し出すことです。貧しい自分自身を差し出して、自分自身を通して、神の御業が現れることを願おうではありませんか。その時、聖霊の豊かな満たしが私たちを覆います。
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by aslan-simba | 2015-05-29 22:20 | Comments(0)

風の励まし

 「風のようにたださらさらと 花のようにただきらきらと 日日是好日 これがわたしの生き方在り方」(坂村真民)。

 初夏の夕刻、授業を終えて帰途につきます。まばゆいほどの陽の光も、この時間になるとさほど気になりません。目をあげれば、清涼な風がキャンパスの緑色濃い木々を揺すりながら、通り抜けて行くのが分かります。この爽風を体一杯に受けながら、道を歩く心地よさ。最高です。心身の疲労が抜けてゆくように感じられます。この時期、こんな経験ができることに心から感謝。思えば三週間前にも、そんな思いを「風に吹かれて行こう」と、この黙想に書いたばかりでした。

 先週、新聞で、末期ガンを宣告された高齢男性の投稿エッセイを目にしました。この方は病院から自宅に戻って、「仏間の妻の遺影に報告する勇気もなく、逡巡の後、そのまま電車を乗り継ぎ、故郷を目指し」たのだ、そうです。そして現在は廃屋となったその故郷の家で、「夜、遠くに鳴く蛙の声を聞きながら庭に籐椅子を持ち出して、満天の星を堪能した。そして、星までの何光年という不思議な時間の遠さを考えていた。 ふいに風が立って、『頑張ろう』とこだまのような声が谷を渡ってきたような気がした」とありました。読んでいて、何とも言えない安堵感を覚えました。風に励まされる・・・。

 聖書の言葉が示す「風」は「息」であり、「霊」なのです。また神さまの創造の「力」でもあります。偉大な力と働きが、風の内にひそんでいるのですね。

 今度の日曜日は、私たち一人ひとりの上に勇気と希望の「風」が吹いていることを、しっかりと心に刻みたいと思います。それは、私たちをもう一度力づけ、立ち上がらせてくれる「新たないのちの息吹」なのです。この「キリストの霊」、「キリストの力」の新たな注ぎを心底感謝をもって受け、十二分に癒され、励まされ、人生の歩みのさらなる一歩を踏み出しましょう。ペンテコステ(聖霊降臨祭)、おめでとうございます。



☆5月24日ペンテコステ礼拝「聖霊に」説教要約:
「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると・・・一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した・・・」(使徒言行録2:1、4)
 この世界の悲惨について語る前に、この世の問題や人の罪を語る前に、まず、自分が神の御旨に従順になれるよう祈りましょう。さらに私たち日本人が、世界の人々が皆、同じ方向を向いて、一つになって力を合わせて歩めるように祈り求めたいものです。聖霊に満たされて・・・


★よろしければ5月24日のペンテコステ礼拝にお越しになりませんか。午前10時30分からです。お気軽にどうぞ。お待ち致しております。
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by aslan-simba | 2015-05-20 06:48 | Comments(0)

良い夢を・・・

 脳科学によると、夢を見るとは、浅い眠り(レム睡眠)の時に脳が行う「記憶整理」だそうです。ただそこに、目覚めている時には思いつかなかったインスピレーションが与えられることもあります。たとえば、ベンゼン分子の化学構造式を夢でひらめいた化学者ケクレや、ベートーベンなどの音楽家が言う夢から醒めた時に新しい曲が湧いた経験など、興味深いものがあります(日経サイエンス参照)。

 私もよく夢を見ます。世紀の大発見や芸術音楽を示されたことはありませんが・・・。それでも時々、授業や説教のヒント、また忘れかけていたことに気づかされることがあります。

 先日、夢の中に10年ほど前に亡くなった人が登場しました。病気がちの高齢の方でしたが、颯爽と若々しくなった姿を拝見し、嬉しくなりました。実はその夢を見た日が、その方の命日だったことに、後から気づかされました。夢とはおもしろいものです。

 ところで聖書には、夢を通して、神が人に語りかけるという物語が、幾つも記されています。創世記のヤコブやヨセフ、あるいはエゼキエルやダニエルなどの預言者たちの話、福音書のクリスマス物語にも夢は頻繁に登場します。わけても新約聖書の使徒言行録の描くパウロの働きは、夢に導かれて行われたと述べてもよいほどです。彼はしばしば夢の中でお告げを受け、進むべき道を示されています。

 また使徒言行録には、このような聖句もあります。「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る」・・・これはペトロが聖霊降臨の出来事を、旧約聖書の預言(ヨエル書3章)の実現として語るものです(使徒2:17―21参照)。もっともここでいう「夢」あるいは「幻」は、レム睡眠時の夢ではなく、「聖霊の働きによる出来事」のことでしょう。

 聖霊の働くところに、「夢」や「幻」(ヴィジョン)が示され、それが未来に向けて開かれて実現して行くということなのです。大事にしたいのは、その夢の指示する「未来」であり、「希望」あり、それをどこまでも信じて「前進」する私たちの姿勢です。 寝ていても、醒めていても聖霊によって「良い夢」を見ましょう。「主の名を呼び求める者は、皆、救われる」(使徒2:21)。




☆5月17日説教「喜び」要約:
「今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる」(ヨハネ福音書16:23―24)。
 この世の喜びは、いつかは奪われるかも知れない。失われるかも知れない。しかし、主イエスが与えて下さる喜びは、私たちから消え去ることはない。たとえ全ての自由を奪われたとしても、私たちは御名によって祈ることはできるのである。
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by aslan-simba | 2015-05-11 08:21 | Comments(0)

カーネーション

 花屋さんの店先に、色とりどりのカーネーションの花が並ぶ時期となりました。今年も「母の日」が巡ってまいります。お母さんたちに日頃の感謝の思いを伝える行事や習慣は、案外古くからさまざまな国々にあったようです。私たちの国でも昭和の初めは、皇后陛下のお誕生日(地久節)が母の日とされていたと聞きます。

 今日広く祝われている五月第二日曜日の「母の日」は、20世紀のはじめに、米国の小さなプロテスタント教会で誕生しました。1907年、ウェスト・ヴァージニア州のアンナ・ジャーヴイスという女性が、母親の命日に近い5月の日曜礼拝に、故人の好きだった白いカーネーションを一束持参して記念会を行ったのが起源だそうです。この人に触発され、母をおぼえる大切さを認識した同教会の人々は、毎年五月に教会で「母の日」をお祝いし始めました。そして、この一教会の行事が、やがて全米に伝わり、1914年には米国の祝日として「母の日(Mother’s Day)」が制定されたのです。

 ちなみにカトリック教会では、五月全体を「聖母月」としています。主イエスの母マリアと自らの母親を重ねて感謝するという月ということなのでしょう。興味深く思います。

 ところで、今朝たまたま開いた聖書の箇所が旧約の箴言でした。ご存知のように、箴言は古代イスラエルの人々がその生活や人生経験から知り得た知識をもとに、より良き生き方を示す手引書のような書です。そこで、このような聖句が目に入ってまいりました。

「わが子よ、父の諭しに聞き従え。母の教えをおろそかにするな。それらは頭に戴く優雅な冠 首にかける飾りとなる」(箴言1章8―9節)。

 痛い所を突かれたように思います。一番身近な人生の先輩が語ってくれたことに、もう少し耳を傾け、心から感謝をしておくべきだったと今にして思います。「孝行のしたい時分に親はなし」、本当にそうです。ただ今は、母も父も、主に在って天上から私共を見守ってくれていると思います。

 昼の月を見ると 母を思う
 こちらが忘れていても ちゃんと見守っていて下さる 母を思う
 かすかであるがゆえに かえって心にしみる 昼の月よ
 (坂村真民)

 今年の「母の日」は白いカーネーションをたむけて母を、そして父のことを、心から覚えたいと願います。






☆5月10日説教「新たな創造」要約:
「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する」(イザヤ書66:17)

 最終的な「救いの世界」を、聖書は「新しい天と新しい地の創造」と表現します。天地一切の完成のことです。私たちはなお、不完全な中を生きますが、その「まったき救いの時」を待ち望みつつ、今を希望の内に生きることが許されています。「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(Ⅱコリント5:17)。
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by aslan-simba | 2015-05-05 21:20 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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