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故郷の街

 先週、東京を訪れた際、都心での所用を早めに済ませ、15分ほどJRに乗り、都内にある「思い出の地」を訪ねてみることにした。そこは小高い駅の長い階段を下り、商店街を10分ほど歩いて、左に曲がると辿り着く猫の額のような庭の、小さな住宅が立ち並んだ街だった。ただ町内に公園がないため、緑が少なく、空はいつも薄曇りだったと記憶する。小学三年まで過ごした、我が故郷の街のことである。

 たまたま東京に行く日の朝に、子供の頃のその街が夢に登場した。青々とした空の下、無数の緑の木々に囲まれ、静かでゆるやかな時間が流れる場所として・・・「僕たちが植えた木が育った」と思った途端、夢から覚め、現実へと引き戻された。実際には、そんな植林をした事実はない。しかも時代は高度経済成長期の始まる昭和30年代初めだった・・・「故郷は遠くにありて思うもの」とばかり、思い切り理想化した故郷の街の姿が、私の脳の片隅にインプットされていたのだろう。

 さて、久しぶりにその駅の階段を(昔と違い、エレベーターもエスカレーターもあったが、敢えて歩いて)降りた。見上げる空は薄曇り、木々の緑も周囲には見当たらない。現実のあの街へと戻って来たのである。商店街を行きながら、親しかった八百屋さんと酒屋さんの友達の家(店舗)を確かめたが、無くなっていた。彼らは今どうしているだろうか。

 実は三十年前のサラリーマン時代にも、出張の折に、ここに来ている。その時には、彼らの店が大きくなっているのに気づき、嬉しかったのだが・・・。またあの時は、私の生家もそのまま残っていた。今回はそれもなかった。「10年ひと昔」なら、「30年大昔」、子供の頃の50数年前なら「古代」だろうか・・・。でも懐かしい店もみつけた。月に一度、父の給料日に必ず家族揃って出向いた小さな「中華レストラン」。装いは変っていたものの、昔の名前そのままで営業していた。本当に嬉しかった。他にもいろいろあったが、2時間ほどの「ふるさと紀行」はここまでにしておこう。

 ともあれ、ノスタルジックな世界にしばし浸れることができ、面白かった。聖書に「老人は夢を見、若者は幻を見る」(ヨエル3:1)とあるが、夢と幻を共に見ながら、今を歩みたいと思う。



☆3月29日説教「立て、行こう」要約:
「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た」(マルコによる福音書14:41-42)
 「立て、行こう」と、主は私たちにも、呼びかけて下さっています。臆せず立ち上がりましょう。主が共に歩んで下さるから、心配ありません。しかも十字架の主は私たちの弱さを担ってくださる方です(ヘブライ4:15参照)。御手に委ねて今、立ち上がりましょう。
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by aslan-simba | 2015-03-27 08:00 | Comments(0)

タンポポ魂

 3月も半ばに入りました。教会暦では、今なおレント(受難節)の只中。そのせいか、まだまだ寒暖定まらない日が続きます。時に温かな気持ちのよい日もありますが、遠出の際には相変わらずコートが手離せません。季節は未だ「三寒四温」でしょうか。

 実は、最近知ったのですが、この「三寒四温」とは「冬」を意味する四文字熟語の由。今までずっと間違った使い方をしていました・・・。この立春以降の、寒気が緩み、ほっとした途端に、またぐんと冷え込む気候は、「冴返る(さえかえる)」と言うのだそうです(「水牛歳時記」参照)。「冴え返り冴え返りつつ春なかば  西山泊雲」と。

 春半ば・・・そうです。日足は伸びています。日差しも確かに明るくなって来ています。もうすぐ春のお彼岸。道すがら桜の木を見上げると、つぼみは大きくふくらんでいます。本格的な花のシーズンはすぐそこに来ています。

 つい今しがた、犬の散歩の際に近所の広場に行くと、小さな青いイヌフグリの花がたくさん咲いていました。また昨日までは気づかなかったのですが、道端に咲くタンポポの花も見かけました。何か心安らぐ思いがしました。また勇気も貰いました。

 思えば、花は一年中、温かな春の中にあるのではありません。その根は寒い冬をじっと耐えて春の訪れを待つ。その忍耐を通して、美しい花を咲かせるのです。 そんな忍耐力が、私たちの人生の日々の歩みのお手本になると思います。つまり日々の苦労や困難、嘆きや悲しみを重ねることにも意味があるのです。
 
 踏みにじられても
 食いちぎられても
 死にもしない
 枯れもしない その根強さ
 そして つねに太陽に向かって咲く その明るさ
 わたしはそれを わたしの魂とする
 (坂村真民「タンポポ魂」)

 「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」(ローマの信徒への手紙5:3-4)。

 レントの日々、主の十字架に思いを馳せながら、あらためてタンポポのような忍耐できる魂をもって、御国を仰ぎつつ「希望をもって強く生きよ」と示されます。




☆3月22日説教「神の国は」要約:
「しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」(マタイ:12:28)
 この世に、神の国が入り込んで来ています。世界を神のもとへと「取り戻す」ための働きが、既に始まっているのです。 私たちが、この世にありつつも、キリストのものとされ、救いと希望の中に、今を生き得るのは、まさにその証拠ではないでしょうか
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by aslan-simba | 2015-03-17 15:24 | Comments(0)

犬は最良の友

 我が家の犬シンバ、旺盛な食欲で、自分のエサ以外にも私たちの食べるものまで欲しがります。食事中には決まって食卓の下にやって来て、何かもらうまで動きませんし、あげなければ吠えて要求する始末。困ったものです。

 今年13歳のこの犬、大幅に禿げました。おまけにその薄毛の体を頻繁に搔きむしる為、家中に悪臭が満ちます。また右耳に腫瘍ができ、昨年末から三度手術を受けました。満身創痍の「ズタボロ犬」・・・だからでしょうか。この犬が私たちの病や困難を、代わって負ってくれているような気もするのです。

 江戸時代、主人に代わってお伊勢参りをする「代参犬」が流行ったと言いますが、シンバは受難の主をあらためて思い起こさせてくれる、「贖罪犬」でしょうか。

 ところで英文週刊誌に「毎日一回の抗鬱剤、6〜8時間ごとの向精神薬の服用が欠かすことのできない『ペット犬』」の話が出ていました(Time, March9,2015参照)。この犬は 10 歳の頃から、脳腫瘍の進行が原因で、時折パニック発作に襲われるとのこと。

 なお一般に、犬は幼犬時の恐怖体験や、老化が原因で心乱すようになることがあるそうです。そのように、人間と同様に、犬のような動物も「心病みやすい」ことが科学的に判明されていると言われます。つまり動物も、間違いなく「心がある」「魂がある」ということなのでしょう。興味深い話です。

 以前ある牧師さんが「人間と違い、動物には心がない」と言っていました。その類の議論は、西洋の古い神学や哲学の中に出ていますが、感覚的には違和感を覚えます。神さまは人間と同様に動物たちにも、ご自身の「息」を吹きいれられたと捉える方が、私にはしっくりくるのです(詩編104:28‐30参照)。

 また聖書には、飼い主の人間と動物の関係を「正しい人はその家畜の命を顧みる。悪しき者は残忍をもってあわれみとする」(箴言 口語訳12:10)とされます。

 ともあれ、「犬は最良の友」(A dog is a man's best friend)。その友、シンバの誘いで、これから散歩に行きます。もっとも彼の目当ては、私が持参する犬のビスケット。以前散歩に行きたがらなかった時、誘い出すために使用してから習慣になってしまいました。食べさせ過ぎかな・・・まあ、いいか。




☆3月15日説教「山の上で」要約:
「すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。『これはわたしの愛する子。これに聞け』。弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた」(マルコによる福音書9:7‐8)
 「これに聞け」とは「これに聞き従え」という意味です。十字架を指さし、その彼方に輝く栄光のキリストを現わす天の父は、今、私たちにも言われます。「これに聞け」と
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by aslan-simba | 2015-03-10 10:44 | Comments(0)

受難節に思う

 日々、いくつかの新聞に目を通しますが、その中に幼児虐待、テロ行為、少年犯罪といった出来事が取り上げられない日はありません。川崎市の少年殺害事件の詳細も、いろいろと続報が伝えられています。もちろん他にも、命を軽んじ、命を奪うような事件は後をたちませんが、特に青少年に関わる事件が、最近、目立って報道されます。確かに名古屋や和歌山での事件もそうであり、考えるだけで、正直心が重くなります。

 私たちが抱える、このやり場のない思いは、どこに向けることが出来るのでしょうか・・・。そんなことからも、さまざまな声が上がっています。「子供がトラブルに巻き込まれないためには、学校や家庭、警察などが情報交換を密にすることが欠かせない。今回のケースで連携は十分だったのか」、「少年法の在り方を議論する時期にきているのではないか」(読売新聞3月3日ほか参照)など、と・・・。よく分かります。こういった事件が、そこまで大きな衝撃を、私たちに、またこの日本の社会に投げかけているのです。

 ただ、このような事件が、今がレント(受難節)であることを、あらためて意識させてくれるのも事実です。思うに、こうした事件の多くは、妬みや恨み、また過度の自尊心、劣等感といったさまざまな感情が、歪んだ形で外に向けられた結果でしょう。主イエス・キリストご自身も、多くの人々の嫉妬や反感を買いました。そして、その行く末こそが、十字架の道のりだったのです。時として人間の感情というものは、凄まじい勢いをもって暴力的方向へと向かうのでしょうか。

 ターゲットとなった主の御苦しみを覚えながら、心に大きな傷を負い、呻き苦しみ、辛くまた悲しみの中にある人々に対する、神さまの助けを心から願います。切に求めて祈る以外に、術をもち得ない今の自分であることにも気づかされます。

 願わくは 主があなたを祝福し、あなたを守られるように
 願わくは 主が御顔を向けてあなたを照らし あなたに恵みを与え
 られように
 願わくは 主が御顔をあなたに向けて あなたに平安を賜るように
 アーメン



☆3月8日説教「神の武具」要約:
「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく・・・天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」(エフェソの信徒への手紙6:11―12)
 聖書は、私たちの本当の敵を「血肉=人間」ではなく、「悪魔」であるという。そして、悪魔に負けない本当の強さは、信仰によってこそ与ることができる、と言うのである。「・・・主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい」(10節)と。心したい。
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by aslan-simba | 2015-03-06 11:15 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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