良いお年を

 ☆新しい年に桃山栄光教会にお越しになりませんか・・・☆

 1月1日(水)午前11:00~12:00 元旦礼拝
    4日(日)午前10:30~11:30 教会創立記念・新年礼拝

*毎日曜日10:30~11:30頃まで礼拝をしています。
  お気軽にお立ち寄り下されば幸いです。良いお年を!



 早いもので、今年も残りわずか。皆さまにとっては、どのような一年だったでしょうか・・・。良き年だったことを願いますが・・・嬉しいこと、悲しいこと、楽しいこと、辛いことが折り重なった、悲喜こもごもの一年だったかもしれません。また辛さだけ残る試練の年、あるいは達成感のない歩みが続いた年だった、という方もあるでしょう。

 いずれにせよ、後ろだけ見て悔やんでも仕方ありません。 こんな風に思うからです。人生とは、「天気」のようなものではないか、と。つまり、そこには晴れの日もあれば、雨の日も、風の日も、嵐の日もある。だから晴れても、雨でも、嵐でも、みな感謝すべき「天気」なのです。

 「日日是好日(にちにちこれこうにち)」という禅語があります。その意味するところ、「良いことも悪いことも、ありのまま受け入れ、その時その時を精一杯生きなさい」とのことだそうです。信仰者ならそのように、またダビデの詩に詠われるように「たといわれ死のかげの谷をあゆむとも、わざわいをおそれじ。なんじ我と共にいませばなり、なんじの笞(シモト)、なんじの杖、われをなぐさむ・・・」との気概をもって、日々を生きることができるはずです。その時に「神さまの恵みと慈しみが、私を追って来る・・・」(詩23:6超訳)のです。

 脳学者の平沢興氏がこう記していました。「今日もよし、明日もよし、あさってもよし、よし、よし、よしと暮らす一日」と。そうです。来る日、来る年がすべて良き日、良き年なのです。他ならぬ神さまが与えて下さるのですから。

 だから、私たちは、まず「今日の一日」をありがたく頂き、導きに委ね真摯に生きましょう。日々を懸命に生きる時、人生の挫折が飛躍の原動力、絶望が希望の出発点へと変わります。その日々の命を頂いている幸いを覚え、新たな年を喜びをもって迎え、良き一年を過ごそうではありませんか。

 一日一日の命をかみしめて生きる。その一日一日の積み重ねが、さらなる私たちの一年、私たちの人生となるのです。日日是好日、年年是好年、人生是好人生・・・。主は言われます。「わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見離すことも、見捨てることもない」(ヨシュア1:5)と。主に在って、よい年を迎えましょう!



「シオンのゆえに嘆いている人々に 灰に代えて冠をかぶらせ 嘆きに代えて喜びの香油を 暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために」(イザヤ書61:3)

 聖書は「嘆き」を否定的に捉えません。嘆くべきことを嘆くのは、大事なことなのです。それを通して、私たちは、神の赦しを求め、救いを求めて、神に寄り頼む者となるのです。その時、神は私たちに「嘆きに代えて」「賛美の衣」 をまとわせてくださるのです。
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by aslan-simba | 2014-12-25 10:28 | Comments(0)

Ho! Ho! Ho! Merry Christmas!



     ☆24日(水)午後7:00~8:00キャンドルサービス☆

★お時間があれば、お気軽にどうぞお越し下さい。静かに聖書から聴き、祈る時をご一緒できればと願っております・・・




 クリスマスの登場人物で一番有名なのは、やはりサンタさんなのでしょうか?

 日本最初のサンタクロースは、明治7年、東京の女学校のクリスマス会に現れたそうです。それは羽織、袴姿で刀を脇に差した殿様風サンタだった由。もっとも当時の外国人宣教師たちは、そのいでたちに随分と面食らったそうですが・・・、今と同じように子供たちにプレゼントは持ってきたのでしょうか・・・。

 ところで、サンタクロースのモデルは、4世紀にリキュア(現トルコ)の司教だった聖[セイント]・ニコラウスでした。この聖ニコラウスにまつわる伝説は、いろいろあります。困っている人たちに隠れて施しをしたり、海で遭難した人々を助けたりと、皆から尊敬される徳の高い聖職者だったようです。だから亡くなった後も、ニコラウスを称える「聖ニコラウス祭」がヨーロッパ各地で、長い間行われました。

 なお、聖ニコラウスは、オランダではジンタ・クラ―スと呼ばれ、港町アムステルダムの守護聖人となります。サンタクロースとは、このジンタ・クラースがなまったものだそうです。

 以上、サンタクロースの由来を簡単に紹介しましたが、19世紀の終わりに、アメリカのある新聞社が「サンタクロースは存在するのです」という社説を載せ、話題になったことがありました。その社説に、こうあります。「本物のサンタクロースを見た人はいません。だからといって、サンタクロースはいないと言えるでしょうか。この世で一番確かで本当のもの、それは大人の目にも、子供の目にも見えないものなのです・・・」と。

 その百年以上経った今の私たちにとっても、これは大事なことを語っていると思います。現代の世界は目に見えること、さわって分かることだけを真実とすることによって、目に見えない本物の真実については、見失っているように思えるからです。「見えない真実に思いを寄せよう」(コリント二4:18参照)と、聖職者だったサンタさんは私たちに、クリスマスの主役イエスさまを指さしているのではないでしょうか。Ho! Ho! Ho! Merry Christmas!と私たちに語りかけながら・・・。

 サンタさん、今年もありがとう! そして皆さん、クリスマス、おめでとうございます! Best wishes for a happy holiday season!





12月21日クリスマス礼拝「憐れみの世界」要約:
「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です」(テモテ一1:15)
 クリスマス、主が来られたこの世界、それは滅びへと定められたものではなく、神の憐れみの中に置かれた、救いの世界なのである。その中にある、救われた私たち・・・感謝
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by aslan-simba | 2014-12-18 21:29 | Comments(0)

Merry Christmas 2014

★桃山栄光教会のクリスマスご案内:


12月21 日(日)午前10:30~11:30 クリスマス礼拝
           午後11:40~1:30 クリスマスのお祝い会。
12月24日(水)クリスマス・イブ
          午後7:00~8:00 キャンドル・サービス

今年のクリスマスは、桃山栄光教会に是非お立ち寄りください。きっと良いことが起こると思います。
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by aslan-simba | 2014-12-15 22:44 | Comments(0)

40年の旅

 聖書では、40という数字に特別な意味があるようです。40日、40年という日数、年数の区切りがしばしば出てきます。

 40日・・・主イエスの荒野の誘惑、復活から昇天までの期間、ノアの洪水時の大雨、モーセがシナイ山で神から律法を賦与されるまでの期間、預言者エリヤがホレブ山まで歩いた期間などがあげられるでしょう。他にもいくつかありますが・・・。

 また40年は、出エジプトの民がシナイの荒野を放浪した期間であり、ダビデ王やソロモン王の治世年数にもあたります。こういった出来事から考えてみると、40年という期間は、「試練」と「訓練」の時であり、同時に「新たなこと」への準備期間とも言えるではないでしょうか。

 こんなことを記したのは、私の12月の誕生日が、社会人となって迎えた最初の誕生日から40回目だったからです。いい歳になりました。また、随分と回り道を続けた40年の歩みでした。

 ただ、その回り道もふり返ると、御手の中に置かれたものだったと思います。何といっても、多くの人との出会いに恵まれた・・・皆さま方との出会いもそうです。さらには牧会を続けながら、学問と取り組む機会も頂きました。生活の方も守られました。感謝です。

 勿論、この40年の日々の中には、いわゆる「逆境」の時もありました。しかしそのようなことをも通し、人が生きる上で忘れてはならない大切なものに、神さまは気づかせて下さいました。困難にも挫けることのない思いも、多少培われたように思います。そう考えると、意義深い「訓練」と「試練」の40年でした。

 さて、今年の待降節は少し忙しく、今日も暗くなってからの帰宅となりました。星を見上げて歩きながら、私が二十代だったころ、会社の先輩がこんなアドヴァイスをしてくれたのを、ふと思い起こしました。「星という漢字は『日を生きる』というふうに書く。つまり、一生懸命に生きている人は星なんだよ・・・」と。今も心に響きます。

 そして星といえば、今クリスマスの星の季節です。東の国の博士たちは、その星を頼りに旅をしました。私もクリスマスの星の導きに委ねて、ここに新たな40年の人生の旅が始まったように思います。主の導きをひたすら信じ、頑張りたい・・・。これからも、どうぞよろしく。




☆12月14日説教「主の下」要約:
「慰めよ、わたしの民を慰めよとあなたたちの神は言われる・・・わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」(イザヤ書40:1,7参照)
聖書の告げる「慰め」は、ただ悲しみを和らげることではない。私たちを励まし、力づけ、もう一度立ち上がらせる御言葉なのである。この永遠に揺らぐことのない救いの御言葉の上に、私たちの人生は据えられる。感謝
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by aslan-simba | 2014-12-12 09:00 | Comments(0)

待降節の夕べに思う

 12月、季節が一段と進み、寒さも厳しくなってまいりました。年末に向けて、あわただしい日々の始まりです・・・。坊主が走り、ヤソ坊主も走る月、文字通り師走ですね。

 つい先日まで目を楽しませてくれた銀杏の大木が、風に吹かれ、さかんに黄葉を落とし、足下に黄金色の絨毯が拡がっていました(JR新田駅前での光景)。

 今日も所用で一日走り回りました。気づけば、とっぷりと日は暮れています。身をもって実感する日の短さ・・・それでも不思議に満たされ、温かい思いをもって、机に向かっています。太陽が低く、寒くて暗いこの時期に、私たちは明るい希望のしるしを待っているからでしょう。

 待降節と訳されたラテン語「アドヴェントゥス」(英語などでいうアドヴェントの元の言葉)の原義は、「向かってくる」ということです。つまり、「輝く明けの明星であるキリスト」(黙示録22:16)は、私たちのもとへと近づいておられるということなのです。私たちはその「光」である主を、ひたすら待つ。それはクリスマスの時を待つと同時に、終末に来られる再臨のキリストを待つという事です。

 終末のことを、何か劇画的な世界破局として捉えてはなりません。むしろ終末は、私たち自らの最後に関わること(すなわち、自らの死の問題)から考えるべきでしょう。ならば、私たちの誰もが均しく、その最後を迎えるのです。その終末のときに、私たちは栄光のキリストの御姿を間近に、自らの目で仰ぎ見ることが許されています。

 もちろん「待つ」のは、この待降節の時だけはありません。世に在って生きる限り、私たちは祈りつつ、待ち続けます。そして、このことが、終末を越えた「天上の命」「永遠の命」へと導かれて行くのです。

 私たちの人生 いくつ歳を重ねても、また最晩年を迎えても、なお喜びと期待をもって、この「待つ」ことができます。「待つべき方」を私たちは知っているからです。実にありがたいことではないでしょうか。

 「・・・アーメン、主イエスよ、来てください」(黙示録22:20)と念じながら・・・待ちつつ、祈りつつ、明日も元気に走り回ります。




☆12月7日説教「神の決断」要約:
「これは、わたしが彼らと結ぶ契約である。・・・あなたの上にあるわたしの霊、あなたの口においたわたしの言葉は、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、あなたの子孫の子孫の口からも、今も、そしてとこしえに、離れることはない」(21節)。

 このアドヴェントにしっかりと心に刻みつけておきたい神さまの御言葉の一つです。神の霊と言葉は、とこしえに私たちを離れないとの約束。何という御恵み。ただただ感謝。
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by aslan-simba | 2014-12-05 08:05 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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