祈りつつ待つ

 教会暦では、降誕祭(クリスマス)の四つ前の日曜日から、待降節(アドヴェント)が始まります。それは、主のご降誕の祝いのための心備え・・・「待つ」ことの意味を学ぶ期間です。

 「待つ」・・・以前、教会の説教でも取り上げたことがありますが、太宰治の小説にも『待つ』という作品がありました。二十歳の娘を主人公に、待つことの心模様を描いた短編でした。最初に読んだのは随分前ですが、何とも言えないその余韻は今も残っています。今日、あらためて読んでみました。

 ストーリーは、「省線のその小さな駅に、私は毎日、人をお迎えにまいります。誰ともわからぬ人をお迎えに・・・」と始まります。娘は待っている訳です。胸を躍らせて待っている。眼の前を、ぞろぞろ人が通って行きます。「あれでもない、これでもない」と思いながら一心に誰かを、何かを待っているのです。

 そして、こう書かれます。「私は、誰を待っているのだろう。はっきりした形のものは何もない。ただ、もやもやしている。けれども、私は待っている。大戦争がはじまってからは、毎日、毎日、お買い物の帰りには駅に立ち寄り、この冷いベンチに腰をかけて、待っている。・・・私は誰を待っているのだろう。旦那さま。ちがう。恋人。ちがいます。お友達。いやだ。お金。まさか。亡霊。おお、いやだ。」

 この作品は、アメリカとの戦争が始まった頃の昭和17年に書かれたそうです。確かに「大戦争がはじまって」という表現が出てきますが、現代を舞台に描かれたと言われても、違和感ありません。それは作家自身の「待つ」ということへの思い入れが理由かも知れません。そう言えば、太宰自身、何かを待ちつつ、その何かが分からないまま生涯を閉じた、とある評論家が記していました。

 翻って私たちも今、一心に祈りつつ、待っています。私たちは、それが誰か分かっています。そうです。主の到来を待っているのです。待降節は、私たちの人生において本当に待つべき方、待つべきこと、そして待つことの意味を教えてくれます。「主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をはって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」(イザヤ書40:31口語訳)。

 祈りつつ待つ、そこに大きな希望があります。



☆11月30日説教「目覚めて待つ」要約:
「夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。・・・主イエス・キリストを身にまといなさい。・・・」(ローマの信徒への手紙13:12―14)

 
 「光の武具を身につけよ」、「キリストを身にまとえ」と言われている。それは「キリストと一体であれ」という意味だ。主と共に、夜明けの希望の時を目指し、歩むことが許されている。感謝
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by aslan-simba | 2014-11-27 18:32 | Comments(0)

主よ、ともに

 朝夕はめっきり冷え込むようになりました。思えば11月も後半。晩秋の深まり・・・暦の上では、既に冬が到来しております。

 夕暮れ時、書き物の手を休めた折に、こんな讃美歌が口をつきました。「日暮れて 四方(よも)は暗く 我が霊(たま)は いと寂し 寄る辺なき 身の頼る 主よ、ともに宿りませ」(讃美歌39番、1節)。

 この原曲(Abide with me)を作詞したのは、ヘンリー・ライトという、英国のひなびた漁村の教会に仕える牧師でした。19世紀前半のことです。彼は病気がちで、喘息と気管支炎に終始苦しんでいました。病を抱えながらの牧会生活・・・それでも信徒の協力もあり、何とか二十年間続けることができたのです。その後、転地療養のため、教会を離れることになりました。決別説教は、はうようにして講壇へ上り、やっとの思いで語った、といいます。讃美歌39番の原詩は、その出来事の直後に書き上げられたものです。

 その三週間後、療養先フランスのニースで、彼は54年の生涯を閉じました。亡くなる直前、ライトは天を指さし、「平安(peace)」「喜び(joy)」と静かに語り、召されて行きました。命日は11月20日。ちょうど今頃のことです。 「人生(いのち)の 暮れ近づき 世の色香 移り行く とこしえに 変わらざる 主よ、ともに宿りませ」(2節)。

 今、木々が鮮やかな紅(くれない)と、黄金色の燃えるような色彩を呈する季節です。学校のキャンパスの坂道も秋色に染め上げ、チャペルと校舎に輝きを与えています。何とも言えない美しさ・・・。来週はどうなっているでしょうか。楽しみです。

 ただし、最後は散って行きます。思えば、諸行無常。 それでも心配はいりません。今月末からは、新たな教会暦の季節に入ります。アドヴェント(待降節)、クリスマスを待つ季節・・・新たな思いをもって、主の誕生を待つ時を迎えます。私たちには、この先どこまでも希望があるのです!

 だから、いつ如何なる時も「平安」と「喜び」をもって進んで行けます。 ライトの原詞の最後は、こうなっていました。「生きる時も、死ぬ時も、主よ、常に私と共に在って下さい」(in life, in death, O Lord, abide with me)と。感謝します。





☆11月23日説教「小さな行為」要約:
「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける」(マタイ福音書10:42)

 私たち自分自身がまず、この「最も小さな者の一人」である事を知るべきです。主は、その小さな私たちの傍らに立ち、肩に手を置き、「この最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたこと」と語り、守って下さるのです。実にもったいないことです。
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by aslan-simba | 2014-11-19 22:37 | Comments(0)

ジャポニスム

 絵画を意識して見るようになって久しい。きっかけは聖書の授業で利用するためだったが、最近では西洋の宗教画にとどまらず、幅広く絵に興味をもった。近代の印象派やアール・ヌーヴォー、さらには琳派などの日本の絵画も面白い。とはいえ、美術は全くの門外漢、専門的なことは分からない。もっぱら「日曜美術館」や「ぶらぶら美術館・博物館」といったテレビ番組、あるいは我が家の美術全集で楽しむレベル。

 そんな中で今、ひかれるのがジャポニスムという文化現象。19世紀中頃のロンドンやパリ万博などで紹介された日本画や工芸品が、西欧芸術にもたらした多大な影響により、当時のマネ、モネ、ゴッホ、ロートレックといった著名な画家たちが、日本の美術に学び、示唆を受け、あるいは日本に憧れ、自らの作風に「日本」を反映したことをいう。それは単なる異国趣味でも、一時のブームでもなかった。さらにジャポニスムは、彫刻、工芸、建築などの分野でも、多くの芸術家たちを魅了し続けたのである。

 いみじくも現在、京都で、「ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展」と、ジャポニスムの巨匠「ホイッスラー展」が行われている。先日、駆け足で両展を観賞した。若きモネの「ラ・ジャポネーズ」、真っ赤な着物を着て扇子を持つ愛妻を描いた日本趣味満載の絵に、まずは圧倒された。

 しかし、それ以上に気づかされたのは、多くの画家たちの真摯なまでの「日本」に対する眼差しだった。浮世絵の題材や構図の影響のみならず、日本の精神性をも受容しようとする西欧芸術家たちの熱意を、そこにうかがい知った。たとえば、睡蓮の浮かぶ水面を描いた晩年のモネの作品が映す自然描写、ホイッスラーの灰色がかった青緑のグラデーションで描かれたロンドンのテムズ川にかかる橋と小舟、背景の街並み・・・それらに私は、日本の晩秋という季節感と、伝統的な「わび」「さび」を見る思いすら感じたのである。

 西洋人が見出したこの「日本の美」を、日本人として大切にしたい。同時に、山川草木を愛し、自然のなかに神を見つめ、静かな祈りの心をもつ麗しきこの国で、キリスト者として生かされる恵みを覚える。 ジャポニスムが語りかけてくれた、我が芸術と信仰の秋のひと時・・・感謝




☆11月16日説教「限界を超え」要約:
「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』・・・わたしは、その罪人の中で最たる者です」(テモテへの手紙一1:15)。

 「罪人のかしら」(口語訳)が赦され、永遠の命に与り、さらには使徒の務めまで就かせて頂いている。本来なら絶対にあり得ないこと。それがパウロにおいて現実となった。ただただ神の憐れみによって・・・同様の奇跡は私たちの身に必ず起こる。否、既に起きている。「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」(フィリピ4:13)
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by aslan-simba | 2014-11-11 22:52 | Comments(0)

 先日、学校の英語礼拝で、讃美歌520の原曲It is well with my soulの作詞者ホレイショ・スパフォードについて知った。

 スパフォードはシカゴで財をなした19世紀の若き法律家。投資家としても著名であった。彼は、シカゴ長老教会の長老として真摯な信仰生活を送り、家庭では妻と一男四女に恵まれていた。そんな彼に大きな試練が訪れる。大切な長男が猩紅熱で亡くなったのである。しかも、それは試練の始まりだった。その数ヶ月後、シカゴの大火(the Great Fire of 1871)に見舞われ、投資していたリゾート地区の邸宅の一切が灰燼に帰してしまった。しかし彼は信仰を捨てなかった。

 そして二年後の1873年11月、休暇を取って家族で、友人ムーディー牧師の英国伝道の旅へ付きそうことにした。夫妻と4人の娘さんたち計六名で大西洋を越える船旅の準備が整ったが、その出発直前、スパフォードに大切な仕事が飛び込んで来た。そのため彼は、後から家族を追う事にして、妻と娘たちの船を見送った。 しばらくして、妻から突然「我一人のみ生存」、英語で「Saved alone」という二語だけ記した電報を受け取る。家族の乗った蒸気汽船が、大西洋の真ん中で衝突事故を起こし、沈没してしまったのである。妻のみ救助されたが、四人の娘たちは助からなかったのである。急ぎ仕事を終えたスパフォードは、救出された妻がいる英国へ向かう。

 大西洋を横断しているとき、船の船長がスパフォードを船長室に呼び、彼の4の娘が命を落とした海域を今通っていると告げる。 その時、彼はこう書き留め、祈った。「どんなに悲しみが、荒海の荒波の如くに我を襲って来ようとも・・・When sorrows like sea billows roll・・・ it is well with my soul・・・我が魂は安らかである・・・」と。 また妻の姉宛にこんな手紙も認めている。「船が沈没した場所を通過。 大西洋の真只中で、3マイルの深さです。私の愛しい娘達は、ここにはいません。彼女達は、今は最も安全なキリストの許に」と。

 まさに旧約のヨブのような信仰を余儀なくされた彼・・・その後も神を褒め称え続け、最後はエルサレムに移住し、60年の生涯を閉じたという。「むらがる仇はたけり・・・のぞみをくだくとも、こころ安し、神によりて安し」(讃美歌520、2節)。心に深くしみる。



☆11月9日説教「命の導き」要約:
「生まれながら足の不自由な男に・・・ペトロは言った。『・・・イエス・キリストの名によって、立ち上がり、歩きなさい』。そして右手を取って彼を立ち上がらせた。(彼は)立ち・・・神を賛美し」(使徒言行録3:1-7参照)。

ペトロと出会った男に起こったことは、私たちにも起ります。私たちも神をほめたたえ、礼拝し、真に命あるものとして、立ち上がって生きることができるのです。「信仰とはイエス・キリストにおいて、差し出された神の手を握ることだ」(ブルンナー)。
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by aslan-simba | 2014-11-04 21:10 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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