<   2014年 02月 ( 4 )   > この月の画像一覧

主が共に

 「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28口語訳)。よく教会の看板に掲げられている聖句だ。これを見て、教会と出合った人も多いのではないだろうか。ありがたい御言葉だ。
 翻って、この御言葉に私たちが心ひかれるのは、生きるこの世の現実が、決してきれいごとだけでは終わらない、生半可なものではないからだろう。世にあって、私たちの周りには、さまざまな問題のみならず、陰謀、策略の類すらある。またマスメディアは私たちの不安を必要以上に煽りたてるような報道もする。善意の人たちばかりが住む世界ではないのだ。
 主は、「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送りこむようなものだ」(マタイ11:16)と言われたが、正にそのような中に、私たちは遣わされているのであろう。徳川家康が遺訓として、こう述べたと伝えられている。「人の一生は重き荷を負うて遠き路を行くが如し」と。
 ある人が、こんなことを記していた。「自らの目的や使命のためにしなければならない苦労と、不条理な強いられた労苦の両方を、この両肩に負っていくのが人生ではないか」と。確かにそうかもしれない。そんな七転八倒を余儀なくされる私たちを主イエスは「休ませて下さる」と宣言される・・・。
 ちなみに、この「休ませてあげる」の原語は、「回復させる」、「励ます」といった意味があることを覚えたい。聖書をはじめてドイツ語に翻訳した宗教改革者ルターは、この言葉を「元気づける(エアクヴィケン)」と翻訳している。つまり、主は私たちを励まし、力を与えて、現実の困難を乗り越え、もう一度その重荷を負って行けるようにして下さるということなのである。これこそが主イエスの御旨である。
 さらに主イエスは、私共のために重い十字架を負われた。それを通して、私たちの重荷を共に負って下さるのである。だからこの人生、弱音を吐かず、雄々しく、「蛇のように賢く、鳩のように素直に」歩みたい。主、共にあって!恐れずに!感謝



☆3月2日説教「御子を信ず」要約:
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。
 神はこの世を裁きの対象ではなく、愛の対象とされた。その代償が独り子の十字架でした。そこまでされて、「信じる者は裁かれない」というもう一つの世界を拓かれたのです。
[PR]
by aslan-simba | 2014-02-27 17:00 | Comments(0)

北山で

 古い友人から連絡があり、京都の北山で昼食を共にする事になった。会うのは二十年ぶり、サラリーマン時代以来の「京都人」の友達だ。最近は年一度の年賀状だけの関わりだっただけに嬉しい。
 京都市の南端、六地蔵から北上する地下鉄の中、思い出が頭の中を巡る。さらに北山をキーワードに、友人を超えて記憶は拡がり続けて行った。何度か出向いたコンサートホール、植物園、モネの睡蓮が見事だった陶版の庭・・・そして最後には、ある牧師先生へと行きついた。私たちの教会が出来た頃、妻と共に、先生の北山の牧師館を伺い、助言と励ましを頂き、お祈りを共にした事が懐かしい。その後、他所へと引っ越され、音信は途絶えてしまった。元気にされているだろうか。
 さて、北山駅から上がった出口に、友人夫妻は車で迎えてくれた。近況を語り合いながらの楽しい食事の後は、歩いて近隣の上賀茂神社エリアを案内してくれることとなった。しばらく行くと川沿いに土塀を巡らせ、石橋を渡って門を入る古い本瓦平屋建ての家並みがある。社家(しゃけ)と言って、元々は神社に仕えた神職の住居だそうだ。風格を感じる。
 鳥居をくぐり境内へ。そこで白い神馬(しんめ)の姿を見た。「見よ、白い馬が現れた・・・」(黙示録19:11)と思わず聖書の世界を感じる。折角なので「特別参拝」もすることにした。まずは神主さんから神社の由緒を聞く。若々しい雷(神鳴り)の神が祭神のようだが、それは「ご神霊の力を受け、授かった御子」とのこと。何やら受胎告知のようにも響く・・・。
 本殿は来年の式年遷宮に向け桧皮屋根(ひわだやね)の葺き替えを行っていた。組んであった足場を登り「神域」深く分け入る。ふと「ここも神の御国なれば・・・」と讃美歌が口をつき、実に不思議な思いに捉われた。友人の「牧師さんをこんな所に案内してよかったかな」という声で我に返る。いや、本当に良かった。さすがは世界遺産・・・。
 それにしても何とも面白い時間を経験した。友人夫妻とは仰々しい挨拶や昔話に花を咲かせることもなく、普段通りの調子で言葉を交わしていた。次に会うのがまた二十年後でも、おそらくは同じように語り合えるような気がする。 厳しい寒さの中にも、春の訪れを感じた一日だった。感謝


☆3月23日説教「回り道」要約:
「ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオ(エジプト王)の前に立たせた。ヤコブはファラオに祝福の言葉を述べた・・・わたしの旅路の年月は130年です・・・」(創世記47:7-9)
 巨大帝国の王、ファラオの前に立つ飢饉の国から逃れてきた老人ヤコブ・・・。王の前に彼は自らの歩みを淡々と語り、王に祝福を与えた。ある人は言う。「一生に二度とないような晴れがましい謁見の時に、冷静に自らを語れる。そこに奥ゆかしい真の信仰者の姿がある。そういう人間こそが神の祝福を告げることができる」と。それはヤコブが人生の彼方にある目的地を知っていたからだろう。
[PR]
by aslan-simba | 2014-02-21 09:07 | Comments(0)

光の春

 立春から十日ほど過ぎたが、吹く風は未だに冷たく、寒い日々が続く。それでも日足は伸び、明るさは増して来た。木々のつぼみは膨らみ、新たな季節への確かな動きが始まっている。ふと「ウィンター・イントゥ・スプリング」(Winter into Spring)、「春へと向かっている冬」というイージー・リスニング音楽の曲名が思い浮ぶ。今がまさに、その時である。
 この季節に新たな希望の始まりを重ね、そして静けさの中に躍動する大きな力を感じるのは、今の私たちだけではないだろう。古来、二月にバレンタインデーがあり、国の始まりを記念する日があるのも、新たな始まりを予感するこの時期であってこそだと思う。昔から人々は、そのような新鮮な喜びと希望を、この月の自然の姿に感じていたのだろう。
 ちなみに、二月を表わす如月(きさらぎ)とは、「気候が陽気になるから気更来、息更来(きさらぎ)、草木が生え始める月で生更木(きさらぎ)、草木の芽が張り出す月、草木張り月が転じ、きさらぎ」などの説があるそうだ(『語源由来辞典』参照)。
 なお『岩波新書 季語集』)によれば、今の時期を表す季語に「光の春」という美しい新季語がある。この言葉、昭和39年に気象調査でロシアへ出向いた気象予報士、倉嶋厚氏が広めたものという。氏は次のように記していた。「二月の光は誰の目から見てももう確実に強まっており、風は冷たくても晴れた日にはキラキラと光る。厳寒のシベリアでも軒の氷柱から最初の水滴の一雫(ひとしずく)が輝きながら落ちる。ロシア語でいう『光の春』である」(倉嶋厚『お天気歳時記~空の見方と面白さ~』)と。
 祖国の春に思いを馳せつつ、厳冬の現実に耐えて生きた、かつてのシベリア抑留の人々の苦難を思う。また昔読んだ『光あるうち光の中を歩め』というトルストイの小説が脳裏を走る。
 いみじくも今、そのロシアの「光の春」の下、ソチ・オリンピックが開催されている。日本の、世界の若者たちの活躍に声援を送りたい。そして、私たちも元気に、日本の「光の春」の下を歩みたい。光あるうちに雄々しく(ヨハネ12:35-36参照)、復活の春、御国の喜びを予感しながら・・・。

*バレンタインデーの起源:
元々は、三世紀の聖人、聖バレンチノ(英語読みではバレンタイン)の殉教を記念する日でした。 バレンチノはイタリア・ウンブリア地方の司教で、270年2月14日にローマ皇帝によって処刑された殉教者です。 当時ローマ帝国の兵士たちは、「士気が落ちる」という理由で、結婚を禁止されていました。しかしバレンチノは、秘密裏に彼らの結婚を取り計らいました。それが皇帝の怒りを買い、処刑に至ったと伝えられています。(カトリック中央協議会・ホームページ他参照)


☆2月16日説教「主の備え」要約:
「アブラハムはその場所をヤ―ウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも『主の山に備えあり(イエラエ)』と言っている」(創世記22:14)
 私たちにとっての「人生の主の山」は、それぞれがおかれた現実の場だ、と述べてよい。そこには、常に主が用意された「備え」があるはずだ。何よりその証拠に、神さまはご自身の独り子イエス・キリストを、私たちすべてのために備えて下さっている。だから、目先の困難や試練を恐れず、安んじて前進しよう。どこまでも希望を捨てずに。
[PR]
by aslan-simba | 2014-02-13 11:23 | Comments(0)

レキオジの視点

 明治のキリスト教や新島襄の足跡を調べているうちに、幕末から明治維新という時代と、歴史上の人物たちにも興味を持つようになった。近頃は新聞記事も歴史史料の新発見などに、まず目が行く。リケジョ(理系女)、レキジョ(歴女)的な言い方をすれば、レキオジ(歴史にはまるオジさん)となるだろうか。
 先月、吉田松陰の自筆の辞世が、彦根藩士の書状の中から見つかったとの報道があった(京都新聞1月23日)。ご存じのように、松陰は「安政の大獄」で刑死した長州出身の幕末思想家。
 彼には他にも辞世があるが、今回見つかったのは、「此程(このほど)に思定(おもいさだ)めし出立(いでたち)は けふきくこそ嬉(うれ)しかりける」というもの。「死への覚悟はできており、きょう死ぬことを聞いてもうれしく感じる」・・・と。度胸の座った人である。
 彼は兵学者、地域研究者、洋学者であり、さらには、失敗に終わったものの海外雄飛も試みている。また優れた教育者でもあった。(ちなみに、明治のある歴史評論家は「成功したる吉田松陰」として、新島襄にも松陰をなぞっていた)。
 吉田松陰は主宰した松下村塾において、武士も、町人も平等に受け入れ、一人一人の個性を生かす教育を行った。そこから高杉晋作、久坂玄瑞、木戸孝允、伊藤博文、山形有朋といった近代日本のために尽くした多くの逸材を輩出したのである。
 そんな教育者・吉田松陰の姿、たとえば伊藤博文に対する生徒評などからも垣間見える。「才劣り、学幼し。しかし、性質は素直で華美になびかず、僕すこぶる之を愛す」。勉強は今一つだが、性格は実直、そんな伊藤少年を大切に思い、人間として高く評価したのである。明治の元勲、伊藤博文は、「常に国家のために政治を行ふて、野心のために行はなかった」(大隈重信の伊藤評)。また情に熱い人だったという。松陰先生は、早くからそれを見抜いていたのだろう。
 なお、松陰はこんな辞世も遺している。「親思う心にまさる親心 けふのおとずれ何ときくらん」。「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」。親を思い、国を思い、弟子を思い、一身を捧げた吉田松陰。私たちの国には、福音の先駆けともいうべき偉大な先達たちが数多くいるが、吉田松陰もその一人と言えよう。


☆2月9日説教「愛の対極」要旨:
「そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない」(ルカ福音書16:26)
 死後の金持ちと貧乏人ラザロの譬えを通し、主イエスは越えることの出来ない「深い淵」について語られる。しかし私たちは、神さまから愛し、赦されることによって、愛し、赦すことができるようになり、この淵を乗り越えられるのである。御国への希望のうちに、今の人生を歩める・・・感謝
[PR]
by aslan-simba | 2014-02-05 19:13 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28