アドヴェント

 いちょうの木が枯葉を落とし始めている。カレンダーは最後の月、12月を迎える。朝夕の寒気は本当に厳しくなった。外出時にはコートと襟巻が欠かせない。本格的な冬の到来。日中の太陽は低くなり、日没は日毎に早まっている。長く暗い夜の季節。
 教会の暦ではアドヴェントである。ちなみにアドヴェントとは、クリスマスの四回前の日曜日からクリスマスの前日までを意味し、「イエス・キリストのご降誕を 待ち望む時」のことだ。日本語では待降節とか、教派によっては降臨節と呼ぶ。例年、この時期になると、以前携わっていた保育園の子供たちの元気な歌声が、決まって脳裏を走る。「アドヴェントクランツに あかりがつくと 神の子イエスさまの お誕生が近くなる・・・」。 
 また、家の子供たちが小さな頃に飾っていた「アドヴェント・カレンダー」のことも思い出す。これは12月1日から12月24日までが窓になっている一枚のカレンダー。毎朝その日の日付の入った窓をひとつずつ開けて、その向こうに現れるクリスマスに関するイラストを楽しむものだった。もちろん他にもアドヴェントやクリスマスにまつわる思い出は、とめどなく湧きあがってくる。仕事の手をしばし休め、そんなことを懐かしく回顧する。
 もっとも、愉快なことだけではなかった。さまざま問題を抱えながら、辛い思いをもってクリスマスを迎えたこともあった。しかし、どんな状況にあっても、クリスマスは常に私たちに希望を与えてくれる時なのである。
 燃えるようなポインセチアを見つめながら、星野富弘さんの記したこんな詩も思い起こした。「幸せ という花が あるとすれば その花の蕾のようなものだろうか  辛い という字がある もう少しで 幸せになれそうな字である」・・・このメッセージを今、辛い思いでアドヴェントを過ごす人たちに知らせたい。


☆12月1日説教「励まし合う」要約:
「しかし、わたしたちは 昼に属していますから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう」(テサロニケ信徒への手紙一5:8)。
 主を待ち望む者の生活の基本が、テサロニケ書に記されています。そのポイントは「信仰・愛・希望」の三つに生きる事。それによって「神と共にある生活」が確かなものとなるのです。これらを武具のように、しっかりと身に着けて歩む者でありましょう。
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by aslan-simba | 2013-11-28 19:55 | Comments(0)

Thanksgiving Day

 日本のプロテスタント教会では11月第四主日が収穫感謝日とされるが、その由来は米国の感謝祭(11月第四木曜日)の物語に依っている。
 17世紀初頭、英国国教会からの圧力を受けた清教徒(ピューリタン)たちは、信仰の自由を求め、寛容な宗教政策のオランダへ逃れた。同地で信仰生活を守り十数年間滞在。しかし彼らは常に経済的困難に直面していた。そこで一旦英国へ戻り、再びそこから自由の新天地・アメリカを目指すと決意。
 1620年9月、清教徒たちはメイフラワー号(the Mayflower)でアメリカへと旅立った。乗船者は清教徒102名(男78名、女24名)。二カ月に及ぶ大西洋横断の後、11月アメリカ大陸に到着。12月にはプリマス・プランテーションに住居を定め移住を始める。
 見渡す限りの荒野に降り立った彼らは、そこですぐに厳しい冬に見舞われる。食糧の不足・・・航海疲れや病も重なり、半数の人々が冬を越せずに亡くなった。それでも移住を諦めて英国に帰還した者は一人もなかった。彼らは信仰を基盤とした理想社会建設に向けて、祈り続け、耐え抜いたのだった。
 年があけ1621年の春。清教徒たちは、先住民(ネイティヴ・アメリカン)のワンパノアグ族酋長・マササイトと出会い、互いの安全・信頼のための相互条約を交わし、友好関係を築いた。中でもスクワントという先住民は清教徒たちのもとに留まり、彼らにトウモロコシの栽培や冬用に暖かい先住民式家作りなどを懇切丁寧に教えてくれた。
 おかげで、この年の秋には思いもよらぬ豊かな収穫を得ることができた。そこで彼らはお世話になった先住民らを招待し、神に感謝の祈りを奉げ、喜びの食事を伴にしたのである。この話が最初の感謝祭として伝えられる。何とも心温まる話だ。 ところで23日の日本の「勤労感謝の日」も、もともとは農作物の恵みに感謝する「新嘗祭」に由来することを付言したい。「神はご自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです」(使14:17)。感謝



☆11月24日説教「一人を残して」要約:
今日のヨセフ物語の箇所(創世記42章)には、神は登場しません。しかし、ここに描かれるヨセフの厳しい姿勢の背後に、悔い改めを待つ神さまの姿が示されています。神さまは待っておられます。実に二十年間、ヨセフの兄たちの悔い改めを待ち続けられたのです。神さまの前には、時効は存在しません。時効はないが、神さまには赦しがあります。赦したもう神さまであるからこそ、神さまは待つのです。どこまでも待たれるのです。
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by aslan-simba | 2013-11-21 22:13 | Comments(0)

絆・・・孤独の支え

 静かに深まり行く秋、寂しい季節、ふと「孤独」を思います。「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく 、大勢の人間の『間』にある」と記した哲学者がいました。(三木清『人生論ノート』)。 どんなに大勢の人に囲まれ、皆で生きているように思っていても、人は本質的に一人ということ・・・。誰もが、ひとりで生まれて、ひとりで死んで行くのです。
 こんな風に述べた若者がいました。「人は大勢いる中で一人ぼっちになったわけでない。社会とは、元々一人ぼっちの者同士が、たまたま縁あって集まり、関わりをもっている存在にすぎないのでは・・・」と。このような思いを持つ現代人は多いのかもしれません。そうであるならばなおのこと、私たちは互いが互いを必要とし、認め合い、尊重し合うことの大切を自覚しなければならないはずです。しかし、ともすればこの社会において、そんな私たち自身が、物事をあまりにも自己中心に捉えている。無論そうせねばやって行けないという側面もあるのですが・・・ただ、そのために様々な問題や軋轢が生じ、孤独な個人がますます生まれているのです。
 聖書は、人が背負うそういった孤独を知っています。神さまは、「人生の寂寞とした荒野」にいる人間に語られます(ホセア2:16参照)。
 主イエスご自身も、孤独の中を歩まれました。ゲッセマネの祈りと十字架の受難で頂点に達した凄まじい主の孤独は、次のように受け止められます。
「神の独り子なるイエスは、罪に起因する孤独から人類を救い出すために、人類の孤独を、なかんずく罪深いイスラエルの孤独を一身に引き受ける・・・孤独をすすんで引き受けることによって、『離散した神の子らを一つに集め』(ヨハネ11:52)、「すべての人を自分のもとに引き寄せる」(12:32)、かくて、孤独を克服した交わりがキリストから始まるのである」(『聖書思想事典』参照)と。
 一昨年の「今年の漢字」は「絆」でしたが、孤独な人間同士の真実の連帯のために、主の十字架による「絆」を、今あらためて祈り求めます。



☆11月17日説教「あなたと共に」要約:
「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。・・・わたしは必ずあなたと共にいる・・・」(出エジプト3章)「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい・・・わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:18-20)
 「世の終わりまでいつも共にいる」という主の約束を、私たちも頂いています。私たちが生きる所、そこが私たちの遣わされた場所です。神は私たちをそこにおいて用いられます。そして言われるのです。「わたしは必ずあなたと共にいる」と。
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by aslan-simba | 2013-11-14 23:11 | Comments(0)

紅葉と年輪

 午前中の授業を終えて帰途に着く途上、キャンパスの木々が、見事な黄金色や紅の色を帯びていることに気づいた。つい先日まで、緑色濃い景色だった。その中を学生たちの元気な声が行き交っていたのだが・・・今日は心なしか、辺りに静寂さが漂っている。あらためて秋の深まりを覚え、しばし歩みを止め大きく深呼吸した。見上げる木々の間から穏やかな秋の日差しの輝きがこぼれる。季節の最後を飾る、本格的な紅葉の時期がいよいよ始まろうとしている。今年の紅葉はどうだろうか。
 知人が語っていた、その年の紅葉が見事ととなる条件は、昼夜の温度差が大きく、日照時間が十分で、大気中に適度な湿度があり、さらにシーズン前の夏場が高温多雨であることだ、と。考えてみればそのような条件は、私たちの人生の歩みにも重なっているのではないか。つまり厳しい暑さや寒さなどの困難に耐え、嘆きの谷を越えた者こそが、人間性を豊かに深められるではないだろうか。
 こんな詩編の言葉が脳裏を走る。「いかに幸いなことでしょう あなたによって勇気を出し 心に広い道を見ている人は。 嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。 雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。 彼らはいよいよ力を増して進み ついに、シオンで神にまみえるでしょう」(詩編84:6-8)。
 また、中学時代に理科の先生が言っていた年輪・・・「常夏の樹木には年輪がない。厳しい冬の寒さが木々に年輪を刻み、その年輪が木々を守り、また木目として樹を飾る」という話も思い出した。これも人生に重なるだろう。私たちは人生の季節が常に穏やかで温かいことを望むが、辛くて厳しい冬に見舞われることもある。そんな時には、それが私たちの「涙」を「泉」に変え、この人生に「年輪」を刻み、信仰を育てて下さる神さまの確かな徴(しるし)であると信じたいものだ。
 四季の中を生きる日々、年輪を刻み、また見事な紅葉に彩られる人生への招き、これからも、どこまでも楽しみである。



☆11月10日説教「主の憐れみ」要約:
「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」(マルコによる福音書10:47)と叫んだ盲人バルティマイの物語は、「主よ、憐れんでください」(キリエ・エレイソン)という祈りと共に、私たちに伝えられています。古来、教会はこの「憐れんで下さい」という祈りを大切にしてまいりました。今の私たちもまた、主が必ず憐れんでくださることを心から信じて、「主よ、憐れんで下さい」と真摯に祈ることができるのです。感謝
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by aslan-simba | 2013-11-09 08:40 | Comments(0)

ミニ・バザーのご案内

桃山栄光教会のミニ・バザーを行います。

11月10日(日)12:00~13:30

ガレージ・セール規模のミニミニバザーですが、是非お立ち寄りください。お待ち申し上げております。ちなみに礼拝は10:30~11:30頃までの予定です。
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by aslan-simba | 2013-11-03 21:29 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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