<   2013年 07月 ( 5 )   > この月の画像一覧

Enjoy summer

 酷暑の日々。じりじり照りつける灼熱の太陽のみならず、湿度の高さも尋常ではない。この辺で一雨欲しいところだが、激烈なゲリラ豪雨だけはご免だ。昨年は、そのために、この近隣地域も大きな水害被害を被った。
 近年、集中豪雨による被害が目立って多くなってきたように思える。その規模、範囲も拡がっているようだ。異常気象、いわゆる地球温暖化のゆえだろうか。そう言えば、外国での出来事と思いこんでいた竜巻被害すら、時折耳にする。
 ともあれ、今年も長く暑い夏になりそうだ。互いに十分な水分補給とエア・コンの効果的活用を心したいものである。そして神さまのまったきお守りを祈り求めたい。
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。 わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。 どうか、主があなたを助けて/足がよろめかないようにし/まどろむことなく見守ってくださるように。 見よ、イスラエルを見守る方は/まどろむことなく、眠ることもない。 主はあなたを見守る方/あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。 昼、太陽はあなたを撃つことがなく/夜、月もあなたを撃つことがない。 主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに」(詩121編)。19世紀スコットランドの宣教師で探検家そして医師だったリヴィングストンは、この御言葉に励まされ、熱き祈りを胸に「暗黒のアフリカ大陸」を目指し雄々しく旅立ったという。
 私たちも徹底して主に委ね、酷暑の季節へ雄々しく立ち向かおう。幸いなことに私たちが目指すのは炎熱の大陸ではない。美しい日本の国の夏の味わいである。先日、玄関先に風鈴をかけた。今年はゆかたを着て外出し、かき氷も大いに食べてみたいと思う。朝からの蝉しぐれに讃美を聞き、季節の祝福に感謝し、暑さを乗り切りたい。



☆7月28日説教「思い悩むな」要約:
「・・・自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな・・・何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタイによる福音書6:25-34参照)
 父なる神は私たちに「まず神の国と神の義を求めること」を望んでおられます。私たちがそれを求めるとき、もはや自分の明日を思い患う必要はありません。天父の御旨の実現を求める子どもたちの必要の一切は、父ご自身が満たして下さるからです。
[PR]
by aslan-simba | 2013-07-26 11:23 | Comments(0)

時の流れ

 最近、時間の経過を本当に早く感じるようになりました。多分、忙しいからでしょうか(実は加齢のため?)。清少納言の『枕草子』にこんな言葉がありました。「ただ 過ぎに過ぎるもの。帆かけ舟。人の齢。春、夏、秋、冬・・・」、帆かけ舟は、平安時代において、早いものの代表だったのでしょう。人の年齢もそれと同じということです。若い若いと思っていても、あっという間に年をとるものだ、と。翻って我身も、知らぬ間に還暦を越えています。
 二昔前、三昔前のサラリーマン時代の忙しさは現在の比ではありませんが、あの頃の一日、一年の感覚は今よりも随分と長かったように記憶します。誰もが同じ一日24時間、一年365日という時を与えられていても、年齢で、その感じ方に変化が生じるのでしょう。ある方がこう言っていました。「人生、若い上り坂の時はゆっくりだが、折り返し地点を過ぎると、ブレーキの壊れた自転車に乗って下り坂を走るごとく、どんどん月日は過ぎてくものだ」と・・・。同じ思いをもたれている方もあると思います。
 神さまから頂いた人生の時間、この先も悔いのないものにするために、まずは、「今の時」を大切にしたいものです。今、出会っているこの時間は二度と巡っては来ない一度きりのもの、「一期一会」(いちごいちえ)であることをしっかりと心に刻みましょう。 そして、今まで以上に、御言葉から聴き、祈ることに力を注ぐ・・・自己を顧み、神を思う時間、御国への思いを馳せる時が、人生の後半戦に於いて何よりも大事だと思います。ある米人作家は言います。「私たちには夢見る時、思い起こす時、そして無限へと思いを馳せる時が必要。つまり『存在』を思う時間が必要なのだ」(Gladys Taber: We need time to dream, time to remember and time to reach the infinite. Time to be.)と・・・。
 私たちは御前において「小さな存在」にすぎませんが(詩90編参照)、主にある人生を頂いた者として、心底「生まれてきてよかった」と告白できる歩みを、最後の時まで続けたいものです。



☆7月21日説教「怪力サムソン」要約:
 士師サムソンは、 神の恩寵を受けて超人的な力を持っていた。一人で千人の敵を倒したとも言われている。 しかし、宿敵であったペリシテ人の女性デリラの姦計にかかり、自らの強さの「秘密」を話してしまう。それを知ったペリシテ人の手によって彼は目をえぐり取られ、捕縛されたのだが・・その人生の最後にこの祈りと共に立ち上がるのである。「わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え・・・」(士師記16:28)。
[PR]
by aslan-simba | 2013-07-18 15:15 | Comments(0)

祇園祭の祈り

 近年、熱く長く居座るようになった夏、その訪れも随分早くなったように思います・・・。今年も早々に梅雨が明けたかと思えば、それに続き35度を超える灼熱の毎日です(ここ二三日はなんと37度を超えています!)。熱中症にはくれぐれもお気をつけ下さい。
 さて暑い京都の夏、祇園祭の時です。コンチキチコンチキチのお囃子に合わせ、豪華絢爛な装飾を施した山車が市内を練り歩く「山鉾巡行」の日が迫っています。山鉾の中には遠くペルシア、ベルギーなどから、もたらされたタペストリーで飾られたものもあり、「動く美術館」と称されています。一度、実物を見学したいと思っているのですが、四十万を超える人出と聞き、今年もテレビで拝見ということになりそうです。
 ところでこの祭り、平安時代前期869(貞観11)年、京で疫病が流行した際の災厄除去の祈願が起源の由。なお、その折に京の人々は当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、日本の太平をも祈ったと言われます。このように平安の世から、疫病退散、国家安泰を願う人々の祈りが、重ねられて来たのです。そして、それは今日の京都人の生活の中にも、深く根付いているようです。千年の歴史を有する祭りの伝統、その「祈りの心」の重さを、あらためて教えられます。
 日本人の祈りの心・・・それはこの古都の祇園御霊会(ごりょうえ)が、夏祭りの原型として全国各地に拡がって行ったことにも象徴されています。人々と国家の安全無事を願い、祈り、守り、支えてくださる神仏に礼を尽くす。そのような先人たちの祈りと感謝の思いが、日本人の精神性を養ってきたのではないでしょうか。私は、その祈りの心が、キリストの神へと繋がるものだと信じております。
 「どうか、神が我らを憐れみ、我らを祝福し、そのみ顔を我らの上に照らされるように、これはあなたの道があまねく地に知られ、あなたの救いの力が、もろもろの国民のうちに知られるためです」(詩篇67:1-2口語訳参照)。


☆7月14日説教「我に来よ」要約:
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイによる福音書11:28)。
 この御言葉は、私たちの罪を贖うために、十字架の死に至るまで、従順に歩まれた御方の慰めの言葉です(フィリピ2:6-8参照)。私たちはその御方に、この人生の重荷をお委ねしてよいのです。主はまた言われます。「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」と。そこから私たちは新たに立ち上がることができます。主の軛をいただいて、新たな一歩を踏み出せるのです。
[PR]
by aslan-simba | 2013-07-12 08:46 | Comments(0)

暑中お伺い申し上げます

 猛暑の日が続きます。皆様方の上に、主のお支えとお守りが豊かにございますように。心よりお祈り申し上げております。
[PR]
by aslan-simba | 2013-07-09 14:39 | Comments(0)

神の作品

 日々の歩みの中で、人間関係に疲れ切った時、仕事や学びに行き詰まった時、病気や不幸が訪れた時などに、私たちは自らの人生の意味を問います。「何のために、何故に、こうして生きねばならないのか」と。
 私たちの人間的知恵や知識は、この問いへの十分な回答を与えてくれません。積み重ねて来た技能や経験も、この呻きや嘆きを克服できないのです。落胆し、不安にたじろぎつつ足下に目をやれば、そこには陰府ともいうべき人生の「ブラックホール」が、大きく口を開けていることに気づかされます。
 もし神が存在しないなら、私たちの生きるこのような人生に、希望の光はありません。絶望の淵しかないのです・・・この私たちの暗闇を、私たちのために、私たちに代わって身をもって味わい尽くされた方がいます。神の御子イエス・キリストです。キリストは十字架上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34、マタイ27:46)と叫ばれました。人生の問いに直面し絶望する私たちに、滅びでなく、救いを与えるためにです。神は私たちを救うためには、ご自身の御子の死すらいとわれなかったのです。
 「あなたが御心に留めてくださるとは 人間は何ものなのでしょう」(詩編8:5)と詩人は詠います。神はどこまでも私たちに心を寄せておられるのです。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43:4新改訳)と・・・。私たちは創造の業のなかで、偶然生まれた副産物ではありません。「神の作品」であり、「キリスト・イエスにあって造られた」(エフェソ2:10口語訳)ものなのです。
 人生の意味の問いの中にたたずむ時、このことをしっかりと覚え、キリストの御名によって、神に憐れみを乞い求めましょう。魂を注ぎ出して祈れば、神は必ずや応えて下さいます。必ずです!


☆7月7日説教「隠された宝」要約:
「世の終わりもそうなる。天使が来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け―」(マタイ13:49)。 
怒りや憎しみに命を燃やしはならない。天の国が、完全に姿を現わす時が来るからだ。最終的な裁きは神に任せよ、と主は語る。今、大切なのは、喜びに溢れつつ、本当に捧げるべきことに命を捧げて生きることなのだ。

★七夕の日の主日、天の川を隔てて住むおり姫とひこ星が無事に会えますように・・・晴れればいいですね。
ともあれ、みなさま、どうか我が教会へお越し下さい。
[PR]
by aslan-simba | 2013-07-05 07:21 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31