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紫陽花の季節

 月初、梅雨入り後、真夏のような日々がしばらく続きましたが、六月も後半に至り、ようやくこの季節らしくなってまいりました。道行けば、雨に映える紫陽花の花が色鮮やかに輝いております。ふと八木重吉の詩が脳裏をよぎります。「花はなぜ美しいか ひとすじの気持ちで咲いているからだ」・・・と。もっとも、赤、青、紫など七変化するこの花に、「ひとすじ」は相応しくないかも知れません。ちなみに紫陽花の花言葉は、「移り気」とのこと。
 なお、この紫陽花の色変わりは、土壌のph(酸性度)の変化という環境変化によって起こるのだそうです。ならば、人間もそれに似ているかも知れません。時代状況の推移に伴う「環境変化」に従って、私たち自身も変化し続けています。生まれ、成長し、やがては老いてこの世を去って行く・・・平家物語が詠っています。 
 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす」と。 その変わり行く現実を踏まえつつも、なお変わらざる御方にゆだね、一所に留まり、文字通り「一所懸命」に生きる姿・・・これが素晴らしいのです。これが美しいのです。こんな詩を思い起こしました。
 「花は黙って咲き 黙って散ってゆく そうして再び枝に帰らない けれども その一時一所に この世のすべてを托している 一輪の花の声であり 一枝の花の真である 永遠に滅びぬ生命のよろこびが 悔いなくそこに輝いている」(柴山全慶老師)。
 六月の花の景色を見つめながら、いつしかもの思いにふけっていました。そういえば、ちょうど三十年前の六月に、母が逝去しております。今、その母の年齢以上になっている自分が不思議に思われます。ここまで自分も、随分と変化してきましたが、今後も「ひとすじ」に福音を宣べ伝えられたらと願います。
 紫陽花の花の月もあとわずか・・・「変わり行く人の世」と「変わらざる神」、「永遠の命」に思いを寄せつつ、今在る神さまの恵みに心から感謝致します・・・。


☆6月30日説教「ヘロデの物語」要約:
「ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており・・・」(マルコ6:17)
 ガリラヤ領主だったヘロデ・アンティパスの物語・・・欲してはならないものを欲したおぞましい人間の姿がここに描かれています(ちなみにサロメも登場)。 力にまかせてやりたい放題する。欲望の赴くままに生きる。しかし、ヘロデには本当の自由も、魂の救いもなかったのです。
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by aslan-simba | 2013-06-25 20:13 | Comments(0)

忍耐、希望への道

  ローマ書の3~5章を読み進めながら気づかされたことがある。著者の使徒パウロはそこで、プロテスタント・キリスト教の中心的なメッセージ、「信仰による義」を説明する。3章ではその根拠として神によるキリストの贖いの業を語り、4章で旧約のアブラハムの事例をあげ、人間が救われるのは「信仰のみによる」と結論付けている。
 ただ話はこれで終わりではない。5章にこう続くのである。「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから・・・そればかりではなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達、練達は希望を生むことを」(5:1~4参照)と。
 つまり、信仰によって救われたら、それでハッピーエンド、一件落着ということではないのだ。世に在って私たちは、あいかわらず苦難と対峙し続けねばならない。ただし、信仰によって救われた者は、この苦難をとおして、神の示す新たな希望へと開かれて行くのである。「忍耐」、「練達」を経ながら・・・。
 ここで気になるのが「忍耐」という重い言葉。原語の意味は、「そのもとに留まる」ということだ。ならば、「苦難の下に留まる」とは、どういうことだろうか・・・。それは、「逃げない」ということなのである。
 信じて徹底的に委ねる時、私たちその現実を受け止め、その場にしっかりと立つことができる。神さまは共にあって、私たちを必ずそのように導かれる。だから、安んじて忍耐でき、恐れずに留まることができるのである。そして、そこに練達が生まれ、その練達が確かな希望を生みだして行くのである。苦難に出合うとき、そのような希望への連鎖が、そこに隠されていることを心に刻みたいと思う。
 さらにパウロはその関連で「神の愛が聖霊によってわたしたちの心に注がれている」(5:5)ことも語っている。神の愛がたえず注がれて、希望への道を歩ませていただく信仰の日々。本当に有難いことではないか。



☆6月23日説教「恐れるな」要約:
「水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない・・・恐れるな、わたしはあなたと共にいる」(イザヤ書43:2、5参照)
 かつて神は、旧約の民に「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」語りかけ、導きを与えられた。今、同じ御言葉が、主イエスを信じる私たちにも与えられている。私たちも主と共に歩んで行こう。恐れることなく、主を信じて、どこまでも従って行こう。
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by aslan-simba | 2013-06-20 21:40 | Comments(0)

泰然自若

 あまり野球のことは詳しくないが、今年のプロ野球、阪神タイガースが頑張っているようだ。この調子で勝ち進み、関西を、日本をますます元気づけて行って欲しい。
 二年前、その阪神の監督就任会見を、たまたまニュースで見たが、そこで和田監督は座右の銘を「泰然自若(たいぜんじじゃく)」と述べていた。 泰然自若とは、「ゆったりと落ち着いて平常と変わらないさま(『広辞苑』)」のこと。「冷静沈着」、「平常心」、「不変不動」などとも言い換え得るだろう。熱狂的フアンの多いあの大球団を導く監督にとって、重要な心構えに相違ない。
 良寛禅師がこう詠っていた。「捨てし身をいかにと問はば久かたの 雨降らば降れ風吹かば吹け」、「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。死ぬる時節には死ぬるがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」と。このような生き方こそが禅の「雲水(うんすい)」の心なのだろうか。泰然自若なのだろうか。
 禅の世界だけではない。この極地に私は、人となられた主イエスを思う。主は行く雲の如く、流れる水の如く公生涯を歩まれ、一切を父なる神にお委ねになっていた。泰然自若たる主イエスの御姿を示す逸話は、福音書に事欠かない。たとえば手元の聖書に、「嵐を静める」箇所が出ている。船に乗ったイエスたち一行、ガリラヤ湖が嵐で荒れ狂っても、主イエスだけは静かに眠ってる。弟子達に起こされると風を叱りつけ、湖を凪にされ何事もなかったように語る。「なぜ、怖がるのか、まだ信頼しないのか」(マタイ8:26)。
 その主は、私たちにこう教えられる。「空の鳥を見なさい。・・・天の父は鳥を養っていて下さる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか」(マタイ5:26)と。
 私たちも平常心、動じない心もって人生を歩みたいものだ。それを示される主イエスが、私たちと絶えず共にいて下さるのである。だから、どんな物事が起きようとも、世に打ち勝っておられる勝利者キリストの導きに委ね、安んじて道を行こうではないか。



☆6月16日説教「真実な神」要約:
「主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます」(コリントの信徒への手紙一1:8)
 真実な神は、私たちをキリストの交わりへと導いて下さいました。「しっかり支える」とは、「しっかり立たせる」という意味の言葉です。つまり、私たちのこの人生の歩みをイエス・キリストが支え、立たせて下さるのです。また「最後まで」とは、私たちが天上のキリストに出会う時まで、すなわち救いの完成に与る日までという事なのです。感謝。
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by aslan-simba | 2013-06-13 22:28 | Comments(0)

美徳以為飾

 六月、ジューン・ブライドの季節。欧米ではこの月に結婚する花嫁は幸せになるという。私も卒業生の司式依頼を受けた。光栄なことである。祈りつつ準備したい。
 以前、結婚式の「式文」(1959年初版)で「夫婦の務めに関する聖書の教え」として、よく読まれていた聖書箇所があった。「妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、あなたがたのうやうやしく清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるであろう。あなたがたは、髪を編み、金の飾りをつけ、服装をととのえるような外面の飾りではなく、かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである」(ペトロ一3:1-4口語訳)。もちろん、「夫たる者よ・・・」(3:7~)の勧告も引き続き読まれる・・・。ただし、現行の「式文」(2006年初版)にはこの聖句の引用はない。時代による人間意識の変化も感じられる。
 ところで、大河ドラマで知られる新島八重が、郷里福島県会津にある女学校に遺した書がある。それは「美徳以為飾」だ(八重は「美徳を以って飾りとせよ」と読み下している)。昭和3年、亡くなる二年前の八重84歳の書である。これは夫の新島襄も好んだ言葉と八重は述べているが、ちなみに、その出所は上述のペトロの手紙一の箇所3:3‐4の箇所。
 若い時は藩のために銃をもって戦い、京都での結婚後は夫を助け(時に足を引っ張り・・・)、夫に先立たれてからは率先して国家と社会に奉じた八重。波乱万丈の生涯を送った彼女は、この御言葉をもって自らの人生の歩みを顧みていたのかも知れない。
 「美徳を以って飾りとせよ」、「内面の美徳によって自らを装え」、今の時代、あらためてこの言葉の重さを思わされる。これから結婚する女性、いや男女を問わず、さらには老若男女すべてにこの言葉をおくりたい。


☆6月6日説教「癒やされて」要約:
「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」(マルコによる福音書5:19)。
 あのゲラサの男のところに来られた主は、私たちのもとにも来て下さいました。だから、私たちには希望があります。もはや自縄自縛に陥ることはない。一人で人生の問題に格闘する必要はないのです。ただただ「主の憐れみ」をこい願えばよいのです。イエスさまは私たちを死臭漂うような人生から引き出し、御国への希望の道へと送り出して下さったのです。
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by aslan-simba | 2013-06-05 12:34 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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