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時を知る

八月もあますところわずか。今年は文字通り暑い夏だった。節電問題だけではない。私たちの国にとっても、困難な未来を予感させる出来事が起こり始めた。それらの事柄についても、熱中症に用心しながら、考えふける。 まだまだ厳しい残暑は続くが、朝夕、散策しながら見上げる空には、秋の雲がかかるようになった。そして初秋の風が過ぎて行く。気を引き締めて新たな季節へと臨みたい。 ところで今朝は、この御言葉が示された。「コヘレトは言う。なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい」(コヘレトの言葉=伝道者の書1:2)。聖書学では著者のコヘレト(伝道者)は、ギリシア的教養をもつユダヤ教の教師で、紀元前3~4世紀の「危機と絶望の時代」を生きた人とされる。彼は『平家物語』や『方丈記』などにも通じるような「無常」を帯びた言葉で、世界と人生を表現する。そこに「天の下の出来事にはすべて定められた時がある」(3:1)という。つまり人間の一切の行為は、時の定めを無視しては、行い得ないということだ。ある作家が、日本の直面するさまざまな出来事に言及し、「今、日本は未曾有(みぞう)の時代が始まろうとしている」と述べていた。それが私たちに「定められた時」なのだろうか・・・。ちなみにコヘレトは、人間の行為は本来的に、「すべては空しい」と言うのである。 しかし、彼が結論として私たちに伝えるのは、「神を畏れ、その戒めを守れ」だ。またさらに、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(新改訳3:11)と教えるのである。この先、いかなる大変な時代を迎えようとも、どこまでも神を信じて歩み続けよう。この国の御守りも祈りつつ・・・。「あなたがたは今がどんな時であるか知っています・・・救いは近づいている・・・」(ローマ13:11)のだから。


☆9月2日説教「強く」要約:
「わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています」(テモテへの手紙一1:12)
かつては迫害者であったパウロが、使徒として立てられ、その務めに与る。それは本来なら「絶対にあり得ない」と言ってよいでしょう。しかし、その不可能とも言えることを、主は大きな憐れみをもって実現されました。パウロの身に、大きな奇跡が起こったのです。「もはや心配する何ものもない。主は必ずや自らの使命を全うせしめてくださる」、それがパウロの確信であり、彼の「強さ」に他ならなかったのです。
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by aslan-simba | 2012-08-30 08:43 | Comments(0)

シャローム

紀元前の時代、およそ千年間にわたって、様々な人々の手によって書き記され、編纂された旧約聖書。そこにイスラエルと呼ばれた民族の歩みが、生々しく記されている。それは神を信じつつも、愚かで、頼りなく、また時に残酷でもあった人間の記録とも言えよう。ただ、彼らの足取りの一切が、神との関わりにあったと証言され、「約束の地」を示すところに、この書の輝きがある。 今朝はその旧約聖書の預言者が告げた御言葉を読み、はっとさせられた。「彼らは、おとめなるわが民の破滅を手軽に治療して 平和がないのに『平和、平和』と言う」(エレミヤ8:11)とある。現在の私たち自身、あるいはこの国の内外で起こっている事柄と重ね合わせ、色々と考えさせられた。単に「争わない」のが平和(シャローム)なのではない・・・聖書の述べる平和は、「現実の幸い」を指す。人が心からの喜びをもって、希望のうちに今を生きることこそがシャロームなのである。今、本当にシャロームに生きているだろうか。将来の不安に押しつぶされそうになってはいないか・・・。 思えば、私たちも当時の旧約の民のように、小さくて、力弱い存在かも知れない。しかし、キリストによって勝ち取られた約束の地、究極のシャロームのある御国を信じている。だから、この人生の歩みの中、いかなる嵐が吹きすさぶとも、信仰によって未来に向かい、さらなる一歩を踏み出せるのである。時が良くても悪くても、どのような時代を迎えようとも、主が共にあり、旧約、新約を貫く約束を、この身に必ず実現して下さる! 主イエスは言われる。「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」。感謝


☆9月2日説教「神の家族」要約:
「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です・・・神から生まれた人は皆、世に打ち勝つ・・・世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です」(Ⅰヨハネ5:1、4)
教会とは、深い意味において「神の家族」です。私たちには、大いなる「父」がいます。また、世に打ち勝った「兄弟イエス」がいます。「勇気を出しなさい」と支えてくれる長兄です。さらに、私たちには、同じように弱さを抱えながらも、互いに愛し、祈り合って生きるようにと、共に「父」を仰ぎみる兄弟姉妹が与えられています。さらに聖書は告げます「私たちも、この世に勝つ」と。神の子供である幸いに心から感謝したく思います。
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by aslan-simba | 2012-08-23 09:46 | Comments(0)

I for Japan

昨年、我が国は大震災という未曽有の自然災害によって、大きな打撃を受けた。未だその復興もままならぬ状況下、今年は日本と接する国々から、領土問題が突きつけられている。傲慢とも言える彼らの言動を知り、重い気持ちにさせられると同時に、この国の行く末が案じられるのである。こうして、ただだだ手をこまねいているだけで良いのだろうか。かくして、我が国を取り巻く四海(しかい)は、今日も波風が立つ。 翻って、私たちの「人生の海」にも、追い打ちをかけるような不安と動揺が激しく襲い来る事がある。 今朝、詩編の聖句が示された。「国々にふれて言え、主こそ王と。世界は固く据えられ、決して揺らぐことがない。主は諸国の民を公平に裁かれる」 (96:10)。つまり、神が支配されている限り、この世は堅く立って動かされない、と詩人は語るのだ。なお、この詩は、波静かな、平穏な人生の中で詠われているのではなかった。それは激動の最中にあってこそ見える、現実を超えた、大いなる希望と平安を与えて下さる主への感謝なのである。 さらに「主は来られる、地を裁くために来られる。主は世界を正しく裁き 真実をもって諸国の民を裁かれる」 (96:13)とある。神が必ず、最後には正義をもたらされることを信じたい。 時代は、歴史は、これからも逆巻く怒涛のように、激しく揺れ動くだろう。私たちの人生も、同様である。ただ、この絶えざる激動の世をつらぬき、私たちのもとへと確かに来られ、共に歩まれる主の導きを、どこまでも信じ続けようではないか。この美しい四季と自然の国に生かされる信仰者の一人として・・・日本と世界の未来をも信じて・・・「我は日本のため 日本は世界のため 世界はキリストのため そして万物は神のために ( I for Japan; Japan for the world; The World for  Christ; And All for God.)」(内村鑑三)と願いつつ。


☆8月19日説教「貧者の一灯」要約:
「皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」 (マルコによる福音書 12: 44)
やもめの献げものはレプトン銅貨二枚でした。しかし、主イエスが、そこに見たのは、単なる銅貨二枚ではありませんでした。それは生活費全部だった、とイエスは言います。神への徹底した信頼がなくては、そのようなまねはできません。ここでイエスが示されるのは、このやもめの信仰だったのです。つまり、彼女が真心から感謝をもって神へ献げたのは、彼女自身だった・・・翻って、主ご自身も「すべて」を十字架に奉げられました。私たちの救いのために・・・。
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by aslan-simba | 2012-08-15 22:03 | Comments(0)

主よ、御国を

八月、暑い日が続く中、6日広島、9日長崎の原爆記念日・・・そして、今年も8月15日の「終戦記念日」を迎える。かつて父や母、人生の先達たちから聞いた話も思い起こし、平和への思いを新たにしたい。 ただ、昭和20(1945)年8月15日を境に、戦争のすべてが終わった訳ではなかった。今は、あまり語られなくなったのだが、戦後、シベリヤヘ抑留され、ソ連の過酷な収容所生活の中で亡くなられた人々が何万人もいた。また、東京裁判でA級戦犯とされ、処刑された国の指導者が七名。一方で、国内外のいわゆるBC級戦犯裁判では、六千人に及ぶ人々が戦争法規違反に問われ、およそ千人の方が処刑されている。そこで身に覚えのない容疑で逮捕され、死に処せられた「戦犯」も数多くいたそうだ。ずさんな取り調べのみならず、法廷では本人に陳述の機会さえ与えられないケースもあったと聞く。そのような「戦犯」の一人だったある軍医は、家族宛に次のような遺書を残している。「事件の真相については 余は多くを語らず 全てを許し 我が胸の奥深く抱きて 旅立たんと欲す。されど言う。神はすべてを知り給う。余は満足なり。神を信じ、従容(しょうよう)として死におもむかんとするものなり」(『世紀の遺書』より)。こうした方々を含む、不条理な戦死を遂げられた多くの先人たちに、心からの哀悼の意を表したい。ふと、次の聖句が脳裏を走った。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない」(Ⅰコリント13:4)、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)と。天上にある、彼らの思いなのだろうか。 私は、ひたすら平和な御国のまったき到来を願い求め続けたいと思う。「来らせたまえ 主よ、御国を」と、心から祈りつつ・・・。

☆8月19日説教「信仰」要約:
「彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、『あなたの子孫はこのようになる』と言われていたとおりに、多くの民の父となりました」(ローマの信徒への手紙4:18)
「彼」とはアブラハムのことである。この御言葉の背景には、創世記のアブラハム物語がある。そこに「アブラム(後のアブラハム)は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」(創世記15:6)と記されている。すなわち、アブラハムは、神さまをどこまでも真実な方と信じ、全面的に信頼したのだった。神が義と認めたアブラハムの信仰とは、そのように、徹底的に信じ抜く、全幅の信頼だったのである。
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by aslan-simba | 2012-08-08 10:08 | Comments(0)

オリンピックの追憶

ロンドン・オリンピック・・・選ばれた世界の若きアスリートたち。わけても日本人選手の活躍に心からの声援を送る。 ところでオリンピックというと、すぐに思い起こすのは、東京オリンピック。私は中学一年生だった。たまたま祖父の家がメイン会場の国立競技場の近隣(祖父の家の庭から、聖火が見えた)ということもあり、期間中、幾度も会場付近を訪れ、辺りに漂う華やかなオリンピック・ムードを味わうことができた。 もっとも競技観戦は、もっぱら我が家の白黒テレビだった。今もよく覚えているのが、あのマラソン。冷静なエチオピアのアベベ選手と、この種目で日本人初のメダルをとった円谷選手の真摯な姿勢が印象的だった。さらに一人、ドン尻で競技場へ戻って来たセイロンの選手も思い出す。最後まで黙々とトラックを走り続けるその姿が感動を呼び、競技場全体がもう一度大きな拍手に包まれた。 あれから半世紀近くが過ぎた。アベベはその後、交通事故で半身不随となり、41歳で病死。また円谷選手は両親に丁重な遺書を遺し、27歳で自死を遂げている。時間の経過という現実は冷酷だ。あのセイロンの選手はどうだっただろうか・・・。そして、少年だった自分も還暦の年齢に到っている。思えば、私たち自身、人生というオリンピックのマラソンを走り続けているのかも知れない。まだまだ競技は続く。聖書は告げている。「・・・自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか。信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」(ヘブライ12:1)、「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(フィリピ3:14)と。互いに御国という金メダルに与る日まで、頑張ろうではないか。


☆8月5日説教「隣人イエス」要約:
「第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』」(マルコによる福音書12:31)
福音書を読むと気づかされます。主イエスご自身が、徴税人、罪人、病人と、あらゆる人々の隣人となられたことを・・・。そして、それゆえに、主は十字架にかかり、復活を果たし、霊において、今、私たちと共にいて下さいます。私たちをどこまでも愛される隣人・主イエスは、今日も、まず、「あなたの神である主を愛しなさい」(30節)と語りかけ、私たちの為すべき事を、しっかりと指し示して下さっています。この主の御声に耳を傾け、勇気をもって立ち上がり、歩んでまいりましょう。
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by aslan-simba | 2012-08-01 10:01 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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