二度とない人生だから

宗教は、私たちが「生きる」ことを、受身にして、「生かされている」と言います。すなわち、私たちの命、私たちの人生とは、人間の力を超えたものによって与えられ、そして支えられてここに在る、というのです。創世記は告げます。「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹きいれられた。人はこうして生きる者となった」(2:7)。私たちの命、それは、神ご自身の命の息吹に与ったもの、だから何ものにも代え難いのです。その命をもって営まれる私たちの一度の人生も、尊く貴重なものです。私たちは今、その人生を、ここに与えられています。 坂村真民さんがこんな詩を詠んでいました。「二度とない人生だから 一輪の花にも 無限の愛をそそいでゆこう 一羽の鳥の声にも 無心の耳をかたむけてゆこう ・・・二度とない人生だから まず一番身近な者たちにできるだけのことをしよう 貧しいけれど こころ豊かに接してゆこう 二度とない人生だから つゆくさのつゆにも めぐりあいのふしぎを思い 足をとどめてみつめてゆこう・・・」と。私たちのこの世の歩みは、この先まだ続きます。この詩が描くような心の余裕を、大切にしたいものです。 「汝ら立返りて靜かにせば救いを得、平穩にして依り頼まば力を得べし」(イザヤ30:15文語)これは、亡国の危機に国中が浮足立っている時、イザヤに示された御言葉です。そこに時代を超えた「人生の秘訣」があります。どこまでも創造主なる神に信頼し、落ち着き、穏やかであること、人生の本当の喜びも、そこから湧いてきます。二度とない人生、主に在って懸命に歩んで行きましょう。
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by aslan-simba | 2012-05-24 18:30 | Comments(0)

聖霊降臨祭礼拝のお誘い

今度の5月27日の日曜日は、降誕祭(クリスマス)、復活祭(イースター)と共にキリスト教会の三大祝日に数えられる聖霊降臨祭(ペンテコステ)の日にあたります。(ちなみにクリスマスは12月25日ですが、イースターとペンテコステの日付は年ごとに変わります。) この記念の日に、当教会の礼拝にお越しになりませんか。
5月27日(日)10:30~11:30、桃山栄光教会の聖霊降臨祭(ペンテコステ)礼拝が行われます。小さな教会で恐縮ですが、お気軽にお立ち寄り下されば幸いです。

☆説教要約:
「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(使徒2:1‐4)
ユダヤ教のお祭りである五旬祭(ペンテコステ)、その日は主イエスの復活から50日目にあたります。この日、弟子たちは聖霊に充たされ、福音宣教に立ち上がるのです。私たちも、あの弟子たちが抱いた思いと熱心な祈りを心に刻みたいものです。世にあって、同じ聖霊の御力に与っているのですから。
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by aslan-simba | 2012-05-23 18:23 | Comments(0)

今日、リンゴの木を

「今日、あなたがたが神の声を聞くなら、荒れ野の試練を受けたころ、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。」(ヘブライ3:7)。 私たちは今日という日に、今ここで生きています。そこには、喜びや楽しみだけではなく、現実の悩み、苦しみ、悲しみもあります。それでも、心を頑なに閉ざすのではなく、神さまに向け大きく開いて行きましょう。 宗教改革者マルティン・ルターが語ったとされる、こんな言葉があります。「たとえ明日、世界が滅ぶとも、私は今日リンゴの木を植える」。ルターの生きた中世末期のヨーロッパ、さまざまなことがありました。まさに生と死が、日々背中合わせの時代だったと述べてよいでしょう。なかでも黒死病の力は大きかったと聞きます。全人口の半分が死に絶え、人々の平均寿命も二十代だったといいます。その恐ろしい病気が猛威をふるった時代状況にあっても、ルターは、今ここにある今日という日の恵みを覚え、全力を尽くしてその日々を生きました。彼の真摯な信仰と徹底した神への信頼が伺えます。 私たちも自らのリンゴの木を、今日またここに植えて行きましょう。小さな、些細なことでも、誠実に、しかし一歩一歩着実に押し進めて行く、そこに明日への希望も生まれてくるはずです。言葉を換えれば、明日という日が期待できるのは、今日という日の闘いがあればこそです。よしんば、この世での明日が来ない場合、私たちはあの十字架上の罪人と同じように「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23:43)という主イエスの御言葉を聞くことができるのです。この今日という日、我が生死を超え、神さまがどこまでも共にいて下さる御恵みに感謝しつつ、雄々しく歩んでまいりましょう。


☆5月20日説教「エリヤとエリシャ」要約:
「・・・エリヤはエリシャに行った。『わたしがあなたの下から取り去られる前に、あなたのために何をしようか。何なりと願いなさい。』エリシャは、『あなたの霊の二つ文をわたしに受け継がせて下さい』と言った。」(列王記下2:9)。
預言者エリヤは、バアルの預言者とカルメル山で戦い、勝利を得た。しかし、王妃イゼベルの報復を恐れて身を隠す。そこにおいて神の力を受け、再び立ち上がり、後継者としてエリシャが与えられる。今日は、どのようにしてエリヤからエリシャに霊の賜物の継承がなされたかを見てみたいと思います。
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by aslan-simba | 2012-05-16 19:09 | Comments(0)

麗しき五月

若葉が初夏の日差しの中で輝いています。「目に青葉、山ほととぎす、初鰹」・・・ドイツ語にも「麗しき五月」(Schönes Mai)という表現があります。やわらかな季節の道を行けば、吹く風も心地よく、新緑の木々の息づかいが、間近に感じられます。 ふと、こんな讃美歌が口をつきます。「みどりもふかき 若葉のさと ナザレの村よ 汝(な)がちまたを こころ清らに 行きかいつつ そだちたまいし 人を知るや」(讃美歌122、新聖歌98)。主イエス・キリストの生涯を歌ったものです。主はその「若葉の里」の美しい季節の中で人々に、「空の鳥」、「野の花」を指さしつつ、神さまの愛を教えられたのです。私たちに命を与えて下さった神さまは、私たちの必要なものをすべて知っておられる。だから主は、「思い悩むな」(マタイ6:31)、と。 四月に新社会人や大学の新入生となった若者たちが、新たな環境に適応できない悩みを抱えることを「五月病」と言いますが、今は、そんな不安の時期かも知れません。もっとも「思い煩いと心配」・・・これは幾つになっても、季節の関わりなしに、私たちの人生についてまわるものです。 そのような私たちに、イエスさまは、「あなたがたのうち誰が、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも伸ばすことができようか」(6:27)と言われ、私たちを励まされました。私たちは、人生のすべてを自分一人の力では到底背負いきれません。人間の力には限界があるのです。だから、神さまに存分にゆだねましょう。五月のやさしい自然を造られた神さまは、私たち一人一人を本当に良き方向へと導いて下さいます。


☆5月13日(母の日)説教「心の開眼」要約:
「心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。」(エフェソの信徒への手紙1:18)。
私たちは神さまから、大いなる希望を与えられている。その希望とは、地上の生涯を終えた後に神の御国へと迎えられること、そして、今の生涯の日々を、神さまご自身の御力に与って生きて行けるという約束なのである。そのことを真摯に覚え、心の目を大きく開かれ、喜びをもって歩んで行きたいものだ。
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by aslan-simba | 2012-05-09 20:00 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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