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求める祈り

「イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。」(マタイ8:23―24)。 聖書の中に人生が見える。この記事からもそのように示された。思えば、私たちは世間という「海」のなかを、人生という「舟」に乗り、日々こぎ渡っているのである。いつも快晴で順風満帆であれば、問題はないが、大波小波に悩まされることもしばしばある。それでも、何とかそれをやり過ごしてきた。このままの航海がなんとか続けばと願う。しかし、「板こ一枚、下は地獄」、想定を越えるほどの激しい嵐や津波に襲われ、一網打尽の危機にさえ直面する。ちょうどガリラヤ湖の沖合で弟子たちが体験したように。 その時、主イエスは眠っているように思われた。「神の沈黙」・・・絶体絶命のピンチ、私たちならどうであろうか。ただただ手をこまねいて右往左往するのか、座して死を待つのか。 弟子たちはそうではなかった。彼らは主イエスを揺り動かして叫んだ。「主よ、助けてください」と(25節)。これは心から求める激しい「祈り」だ。人生の危機に瀕するとき、私たちに必要なのは、このような真剣な祈りであると敢えて言いたい。この神をも揺り動かすような熱い祈りこそが、人生の嵐を鎮めるからである。感謝なことに、私たちは本気で祈り、訴え、ゆだねるべき御方を知っている。これこそが信仰者冥利につきるのではないか。その御方が必ず救ってくださる。「何事につけても感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい、そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリヒ4:6―7)。


☆5月6日説教「泉に」要約:
「いかに幸いなことでしょう。あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は。  嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう」(詩編84:6―7)。
人生の歩み、私たちは時に辛く厳しい「嘆きの谷」(新改訳・文語訳では「涙の谷」)を行かねばなりません。そのような不運を悲歎する人は少なからずいるでしょう。しかし、「嘆きの谷」を行かねばならない運命が不幸なのではありません。そうではなく。そこを「泉」にできないことこそが、問題なのです。私たちは「嘆きの谷」を、主に在って「泉」の湧くところにすることができる。神はそのように導いてくださるのです。
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by aslan-simba | 2012-04-30 19:56 | Comments(0)

命の季節

長い冬が終わり、桜の花の時が過ぎると、いよいよ春本番。野山が新緑に染まり、春の息吹を感じる季節を迎える。春爛漫、「山笑う」時節の到来である。 今、教会のカレンダーは復活節の光のなかにある。「命の季節」、まさに自然や大地が「神の新たな命の創造」=「復活のわざ」を示している。そこから私の思いは天地創造の物語へと導かれるである。 旧約聖書の第一頁は、「初めに、神は天地を創造された。・・・光あれ・・・」から始まる。創造物語によれば、このように世界、自然、動物、人間が造られたとされる。そして、「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった」。そこから、「第七の日を神は祝福し、聖別された」のである。こうして創造物語の第一幕が閉じられる。ここで物語が完結していれば、創造物語は一編の麗しい「太古の神話」で終わっただろう。しかし聖書は、「真実」を告げる。人間の神からの離反・・・そこから世界は真実の光を失い、人間は罪に苦しみ、自然界にも混乱が起こる。結果的に人間は自らの手で、この世界に地獄を造り出すに至ったのである。 神はこれをそのままにはされなかった。神ご自身が御子をもって、歴史の中に人として降られ、十字架の贖いの死と復活によって我々を赦し、新たな命を約束し、天地創造の働きを完成されたのだった。 信仰とは、この「新たな命」を我が身に見出すことにある。さらにその命の息吹に生き生きと生かされ、喜びをもって生きることである。幸いなことに、私たちは神さまご自身に最後の日まで、そして永遠に、我が身をゆだねて歩んで行けるのである。雄々しく行こう、復活の春の日差しの中を、永遠の祝福の光に照らされながら・・・感謝。


☆4月29日説教「恐れることはない」要約:
バビロン川の流れのほとり。第二イザヤと称される無名の預言者が、捕囚のユダヤの人々に御言葉を語りかけます。捕囚生活に疲れ果てた人々が抱くのは、あきらめと徒労の思いでした。そんな彼らに対して、第二イザヤは力強く告げます。「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け、わたしの救いの右の手であなたを支える」(イザヤ書41:10)。今、御言葉は時空を超えて21世紀の日本に生きる私たちの中にも響き渡っています。「恐れ」、「たじろぐ」ことはありません。神さまが共にいて下さり、私たちを救って下さるのですから。
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by aslan-simba | 2012-04-25 23:18 | Comments(0)

Stay Foolish

先日、スティーヴ・ジョブズについての話を聞く機会があった。彼は米国スタンフォード大学の卒業式(2005年6月)で講演をし、「ハングリーであれ、愚直であれ (Stay Hungry, Stay Foolish.)」と語ったのである。これは、ジョブズ自身が七十年代に感銘を受けた本の背表紙にあった言葉だったという。講演で、彼は自らの波乱万丈の歩みを振り返える。そして、理想を高く掲げて、自分の信じるところに従い、未来に向かって歩むように、と卒業生たちを励まし、続いてこう語るのである。「ハングリーであれ、愚直であれ・・・私自身、いつもそうありたいと願っている。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい」と。今なお、彼のこの講演の言葉に元気づけられている若者は多いという。 私も、パソコンの動画でこの講演を確認しながら(そのような便利な時代に我々が今あるのも、ジョブズの影響力の一つだろうか)、言葉に不思議な力があることをあらためて思い知らされた。また、それは他ならぬジョブズ自身が、その言葉通りに、「ハングリー」と「愚直」に徹し続け、偉大な成功者となったことにも示されるのである。 ところで、 ”Stay Foolish”から、使徒パウロのこのような言葉を思い起こさせられた。「本当に知恵ある者となるために愚かな者になりなさい(You need to become a fool to be truly wise.)」(コリント一3:18)。ある意味、それはジョブズの言葉と重なるのではないだろうか。ともあれ、私はどこまでも、主に在って愚かであり、主に在って愚直でありたいと願う。そして共々に、力ある御言葉に与り続け、私たち皆が「救い」という言葉ではあらわすことのできない境地に、「大成功」に与ることを祈り続けたいのである。


☆4月22日説教「希望」要約:
「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え・・・あなたがたは、終わりの時に現わされるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています」(ペトロの手紙一1:3、5参照)
キリストの復活は、私たちの未来を拓く出来事でした。その御力に与る時、私たちは人生最後の一秒、最後の一呼吸に至るまで、期待に胸を膨らませて、未来を待ち望みながら生きることができるのです。最後まで生き生きと生きることができる。何と感謝なことでしょう。
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by aslan-simba | 2012-04-23 18:00 | Comments(0)

春の朝

長く寒い冬が終わり、本格的な春を迎えました。おだやかな日差しの温かい朝は、本当に気持ちの良いものです。「春眠暁を覚えず」と寝過ごすのも一興でしょうが、早起きして、「春の朝」の時間を大事にしたいものです。 明治の文学者、上田敏が翻訳した英詩に「時は春、日は朝(あした)、朝(あした)は七時、片岡(かたをか)に露みちて、揚雲雀(あげひばり)なのりいで、蝸牛枝(かたつむりえだ)に這(は)ひ、神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し。」(『春の朝(あした』)とあります。この時期に思い起こす美しい詩です。原詩は19世紀の英国を代表する詩人ロバート・ブラウニングの「ピッパ過ぎ行く(Pippa passes)」という劇中詩で、ピッパという名の貧しく純真な少女が、丘を上りながら詠うという設定でした。 麗しい春の自然・・・「七時」とは明るい朝を示す象徴的な時間でしょう。その丘の斜面から見渡す光景を詠いあげた後に、この季節を、自然を、動植物そして私たちを造られた神さまを讃美し、「神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し」と閉じられます。この部分の原詩は「神は天におられる。この世はすべて大丈夫だ。(God's in His Heaven---- All's right with the world!)」です。まさに摂理の信仰、「万事を益として下さる神」(ローマ8:28参照)へゆだねる信仰を、「春の朝」が告白させるのです。思えば、主イエスが死から「起き上がられた」のも春の朝(「復活」の原語「エゲイロー」は「起き(立ち)上がる」の意味)。今、自然は「復活の時」の中にあります。全てが良き方向へと導かれていることを信じます。 「春の朝」、ゆったり流れる季節、朝日を浴びながら、私たちも立ち上がってまいりましょう。

原詩
The year's at the spring And day's at the morn: Morning's at seven: The hill-side's dew-pearled: The lark's on the wing: The snail's on the thorn: God's in His Heaven---- All's right with the world! 
Robert Browning (Pippa passes 1841)


☆4月15日説教「見えないものに」要約:
「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています」(コリント二4:7)
私たちは脆く、弱く、壊れやすい「土の器」のような存在です。それでも感謝なことに、その中に「宝」を戴いているのです。この「宝」について聖書はこう語ります。「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました」(4:6)と。この神さまが与えて下さった「神の栄光を悟る光」こそが、土の器に盛られた「宝」・・・それは私共の「信仰」を意味するのです。
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by aslan-simba | 2012-04-12 17:36 | Comments(0)

復活の朝に

悲しみの日を過ごした女性たちは、遺体に塗る香油を手に、早朝イエスの墓へと出向きます。どんな思いだったのでしょうか。着いた墓所には遺体は無く、彼女たちは、ただただ立ち尽くすのです。そこに、天使が現れて語りました。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方はここにはおられない。復活なさったのだ」(ルカ24:5、6)、と。この言葉は、はるかな時空を超えて、現在の私たちに響いてきます。 私たちは、復活された主に、本当に出会っているのでしょうか・・・復活は信じていても、遠い昔の出来事としてだけ捉えていてはいけません。復活された主イエス・キリストは、今ここに生きて、私たちを守り導かれているのです。それを心から信じ、その主に本気で生かされたい・・・。 恐れることはありません。主はここに甦っておられるのです。そして、私たちはこの生ける主の「十字架の赦し」と「永遠の命の望み」に堅く与っているのです。だからこの先、何が起ころうとも、未来に向かって雄々しく歩みを進めようではありませんか。未来から私たちに吹いて来る「聖霊の息吹」を全身に受けながら・・・。 宮沢賢治の詩に、「諸君はこの颯爽(さっそう)たる 諸君の未来圏から吹いてくる 透明な清潔な風を感じないのか それは一つの送られた光線であり 決せられた南の風である・・・」(「生徒諸君に寄せる」より)。 野山が明るい色に染まる季節、この美しい日本の地にあって福音に生かされる希望と幸いを感謝します。


☆4月8日復活祭礼拝説教「湖畔にて」要約:
「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた」(ヨハネによる福音書21:4) 
主の復活によって、私たちの命は神さまの光の中に置かれました。二千年前のティベリア湖畔・・・主の御臨在の下に弟子たちが夜明けの光の中にあったように、私たちも今、主イエスの命の光の中に身を置いているのです。私たちも、あの日の弟子たちのように、心燃され、希望に溢れ、立ち上がって行こうではありませんか。

是非、桃山栄光教会の復活祭(イースター)礼拝に、お気軽にお越しください。4月8日(日)午前10:30~11:30です。礼拝後には祝会も行います。ご一緒に「主イエス・キリストの復活」を喜びたいと願います。
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by aslan-simba | 2012-04-04 09:42 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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