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おひなさまとキリスト

先日までの肌を刺すような冷たい風も何処へやら。日に日に寒さも和らぎはじめてきている。この時期、「三寒四温」の言葉通り、三日間寒さが続くと、四日間暖かな日がやってくる。こうして春に向かっていくのだろう。今年も早いもので三月、桃の節句、雛祭りの時期を迎えた。ちなみに三月三日の下鴨神社の歳時記は「流しびな」と題され、次のようにあった。「さんだわらに乗せた雛人形をみたらし川に流し、子供たちの無病息災を祈る神事。甘酒の接待などもある。雛祭りは、もともとケガレを雛に託して祓う神事であるが、現在では雛壇に飾って祝うのが一般的となった。地方によっては、今でも雛を川に流す風習が残っている。・・・」と(HP参照)。すなわち「おひなさま」の原型は、人々の「罪汚れ」を担う人形(ひとがた)だったのである。このレント(受難節・四旬節)の季節に、実に相応しい風習ではないか。ものの本によると、このような雛祭りの理解は、江戸時代まで続いたという。古い日本人たちの「罪からの救い」を願う真摯な祈りが、耳元に響いてくるようだ。キリストの御姿は「おひなさま」にも映し出されているのだろうか。 旧約聖書の世界では「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。屠り場に引かれて行く小羊のような」「苦難の僕」にキリストを見た(イザヤ書53章参照)。いずれにせよ、古今東西の人々の切なる願いが、キリストの十字架に結実する。さらに、その十字架の向こうには、輝かしい「復活の希望」があることを忘れまい。共々に本格的な春、「イースター(復活祭)」の到来を心から待ち望もうではないか。


☆3月4日説教「苦悩の家族」要約:
ダビデ家の混乱と、そこから生じた悲劇の物語を読みながら、「人間の混乱と神の摂理」という言葉を思い起こす。言い換えれば、人は如何なる状況に於かれても、「神の真実」によりすがり、道は拓かれるということである。「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道も備えていて下さいます」(コリント一10:13)。感謝
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by aslan-simba | 2012-02-29 17:16 | Comments(0)

早春・・・レント

立春が過ぎて三週間、風は冷たいが、日差しは温かさを増してきた。早春・・・教会の暦は「イエス・キリストの十字架」が主題となるレント(受難節・四旬節)を迎えている。期間はイースター(復活祭)を前にした約6週間である(今年は2月22日から4月7日まで)。教会は伝統的にこの時期を、特に悔い改めと感謝の信仰を深める時として教えてきた。 私たちも共に十字架の道へと到るまでの主イエスの地上の歩みに思いを寄せたい。マタイは主の公生涯を、次のようにまとめる。「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いを癒された」(マタイ福音書9:35)。主は人々の住む場所を歩き尽くし、人々と出会い、悩める衆生(しゅじょう)に福音を示し、生きる道を伝えたのである。思えば、クリスマスに小さな馬小屋で生を享けた主イエスの人生は、壮絶なものであった。「悪霊に取りつかれている」などと悪口すら浴びながらも、癒しをなし、忌み嫌われている者たちや罪人との交わりも大切にし、どこまでも神の愛をその身をもって示し続けられたのである。しかし最後には、多くの人々の裏切にあう。「すべてのものを あたえしすえ、死のほかなにも むくいられで、十字架のうえに あげられつつ、敵をゆるしし この人を見よ」(讃美歌121、由木康作詞)。十字架上の主は、息を引き取る前にも執り成しを祈られた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ福音書23:34)と、他ならぬ「私」のことを祈られたのである・・・この主イエスの生きざまが魂をゆさぶる。死を看取った百人隊長と共に「本当にこの人は神の子だった」との告白へ導かれる。今、十字架の主が「甦りの主」として、共にここに在ることを感謝をもって覚え、「復活の春」を心から待ち望みたい。


☆2月26日説教「過去の克服」要約:
「ダビデは[預言者]ナタンに言った。『わたしは主に罪を犯した。』ナタンはダビデに言った。『その主があなたの罪を取り除かれる。・・・』」(サムエル記(下)12:13)
旧約聖書の記すダビデ王は、その生涯のなかで幾度か自分自身の深刻な罪の問題に直面しました。その発端は彼自身のいわゆる「不倫」です。それがやがて巧妙に仕組まれた「殺人」へと発展し、ダビデ王家内に引き続き起こる一連の悲劇の出発点となったのです。私たちはサムエル記が伝えるダビデ物語から「人間の罪」、また、そこからの救いを、キリスト信仰の立場から見てみたいと思います。
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by aslan-simba | 2012-02-22 09:22 | Comments(0)

使命

エルサレムへの最後の旅の途上、主イエスは何人かの人々から「ヘロデがあなたを殺そうとしている」と聞かされる。すなわち、イエスが「このままの人生の道を歩んで行くなら、無惨な死を遂げることになってしまう。だから今のうちに引き返して欲しい」ということだった。それに対するイエスの応答は、「わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからだ」(ルカ13:32)であった。恐れることなく、どこまでも誠実に「使命」に生きようとする真摯な主の生きざまが、ここに示される。ちなみに、その「使命」が、この世界と人々のための「十字架の道」であったのを、私たちは知っている・・・。 神さまは私たち一人一人にも、大切な使命を与えられている。地上に生を享けたのは決して偶然ではない。信仰者としてここに生きることも、大切な使命のひとつだろう。人は使命に応えて生きようとするときにこそ、光輝くのではないだろうか。昨年の東日本大震災で被災したある中学生は卒業式の答辞で、こう語った。「・・・命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が、これからの、わたくしたちの使命です・・・」と。彼らがその「使命」を深く心に刻み、力強く歩み続けていることを覚え、祈り続けたい。 そして、私たちも、自らに与えられた使命を誠実に担って行こう。そのために負わねばならない私たち固有の十字架もあるだろう。だが心配はない。主に在って歩み続ける時、道は大きく拓かれ、希望の未来が必ずやって来るのである。そこに人生の豊さと希望の根拠、また、その究極に「天の御国」がある。


☆2月19日説教「復活の主」要約:
「そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります」(コリントの信徒への手紙一15:17)
上述の箇所を肯定的に言い換えると、「キリストが復活されたので、あなたがたの信仰は大いに意味がある。あなた方はもはや罪の中にいないのである」となります。これこそが、新約聖書の根底に流れる「救い」の訪れなのです。「キリストの復活」とは、人間を罪から解き放つ神さまの救いの出来事なのです。また、ここに「神の愛」があらわされたのです。この愛に自らを委ねて行く・・・そこに私たちの信仰の醍醐味、尽きない希望と喜びがあるのです。
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by aslan-simba | 2012-02-14 23:08 | Comments(0)

時(とき)

「人生の年月・・・瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。・・・生涯の日を正しく数えるように教えてください」(詩編90:10、12参照)。 「時(とき)」という言葉の語源は、止まることなく流れる「とこ(常)」、ないしは、早く過ぎる「とき(疾)」から来ていると聞く。確かに年月の流れは早い。あっという間だ。自らのこれまでの人生の歩みも振り返り、それを実感させられる。思えば、その「時」の流れに負けまいと懸命に走ってきた。そのなかで楽しいこともあった。得意満面のこともあった。逆に悲しいことやつまずくような経験もした。ただ、これから先は、「時」に掉(さお)さすのでも、「時」と競争するのでもなく、与えられた「自らの時」をより大切に生かしたいと願うのである。 星野富弘さんの詩を思い起こす。「一日は白い紙 消えないインクで文字を書く・・・一日に一枚 神様がくれる白い紙に 今日という日を綴る」。神さまが下さる今日の日という一枚の白い紙を心から感謝をもって受け、そこに精一杯の文字を記して行きたい。「時」を司る神さまの御手を信頼しつつ・・・与えられた使命に生き続けたい。「主は人の一歩一歩を定め 御旨にかなう道を備えてくださる。人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる」(詩編37:23―24)ことを信じて・・・まだまだ頑張れそうだ。


★日足は伸びていますが、厳しい寒さは続きます。くれぐれも御身お大切に。
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by aslan-simba | 2012-02-08 08:37 | Comments(0)

不安の夜も

不安や恐れを抱えた方からお電話を頂くことがある。電話の向こうから聞こえてくる声色で、その方の様子が伝わってくる。そのような電話相談は決まって夜、とりわけ暗い夜の日だ。夜は生活の疲れと明日への不安が噴出する。わけても漆黒の闇が、その不安に拍車をかけるのだろう。 使徒パウロも、そのような暗い「ある夜」を過ごしたことがあった。その時、「主は幻の中でパウロにこう言われた。『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だからあなたを襲って危害を加える者はない。』」(使徒言行録18:9-10)と。あの信仰の勇者、使徒パウロも、不安や悩みを携えていたのである。それはアテネでの伝道に失敗し、挫折の思いのなかで、コリント伝道を始めた頃のことである。周知のように、彼は癒されない体の棘を抱えていた(コリントⅡ12章参照)。しかも、彼に対する周囲の無理解や攻撃は非常に激しかった。パウロであっても、一人の弱い人間にちがいなかった。ただ、そのように憔悴(しょうすい)し、心底思い煩う使徒のことを、主がご存じないはずはない。主は静かに、しかし力強い御声をかけられたのである。 主は私たちの不安や恐れ、行き詰まりも知っておられる。私たちにも御言葉を与え、共にいてくださることを示されるのである。祈りをもって、このことに気づく時に、今の暗闇の中にも必ずや明日へと繋がるひとすじの光を見出すことができるのだ。 まだまだ寒い日々は続くが、暗くて長い夜の季節は終わりに近づいている。昼間の陽の光は明るさを増している。希望の春の日の到来は決して遠いことではない。


☆2月5日説教「我に従え」要約:
「われに従い来たれ」(マルコ伝1:17文語)
かつてシモン・ペトロたちを弟子へと招いた主イエスは今、私たちにも「わたしについて来なさい」と語りかけて下さっている。この主の導きに身を委ね、しっかりと歩んで行きましょう。今は不安な時代、明日が見えない自分であるかもしれません。しかし、主が私たちを今日も招き、導いて下さっているのです。だから心配はいりません。安心して主に委ねようではありませんか。

★寒さここに極まれりの感が深い今日この頃です。くれぐれもご自愛下さいますように。お祈り申し上げております。
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by aslan-simba | 2012-02-02 20:34 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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