先週の日曜日、主イエス・キリストの復活をお祝いするイースター(復活祭)を無事に迎えることができました。今年ほど待ちに待ったイースターは、今までになかったように思えるのです。 周知のように、今年はレント(受難節)に入ってすぐに東日本大震災に見舞われました。多くの命を奪い、多くの被災者を生み、物心両面に渡る多大な被害をもたらし・・・この現実に対し、「日本はどうなって行くのだろうか」という一抹の不安がよぎりました。あらためて気づかされたのは、経済面、物流面をも含めて、私たちは被災地の人々と一体であったという事実です。適切な例ではありませんが、東北の部品工場が被災して稼働しなくなったために、関西の会社が倒産したという話も聞きました。一度も出会ったこともない、名も知らぬ人々とのつながり、支えや助けがあってこそ、私たちの日常が成り立っていたのですね。また、考えてみれば、あたりまえだと思っていたことが、何とも有難いことだったのか、とも思わされます。あたりまえということは、実は奇跡であるのかも知れません。「人は失って、はじめてその大切さに気づく」と言いますが、まさに今回は、多くの人々がそのように受け止めたのではないでしょうか。私たちには、「から元気」だけでは決して通用しない膨大な課題が、のしかかっています。 しかし今、私には、この復活節の希望の光の下、預言者イザヤの声が高らかに響き渡ります。「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ、砂漠よ、喜び、花を咲かせよ 野バラの花を一面に咲かせよ。花を咲かせ 大いに喜んで、声をあげよ。砂漠はレバノンの栄光を与えられ カルメルとシャロンの輝きに飾られる。人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る」(イザヤ書35:1-2)と。復活のいのちに与った私たちとして、祖国・日本の復活を心より信じ、新たな一歩を踏み出しましょう。

☆4月24日イースター礼拝説教要約:
「イエスが、『マリア』と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で『ラボニ』と言った。『先生』と言う意味である」(ヨハネによる福音書20:13)
主はマリアの名を呼ばれました。優しい響きが、そこにあったと思います。まだ夜の明けぬ暗い闇の中・・・しかし、マリアは、その声が、復活された主イエス・キリストの御声であることに、すぐ気づいたはずです。最初のイースター・・・ あれから二千年も経っていますが、イエスさまは、ここにいる今の私たち一人一人の名前も御心に刻んでおられます。そして、私たち一人一人に対して語りかけ、私たちの辛さを、嘆きを、怒りを、さらには不信仰を、丸ごと抱えて下さるのです。この私の名を呼んで下さる主の御声を本気で聞いて、主に信頼し、復活の喜びに立ち上がろうではありませんか。 復活の主イエス・キリストの豊かな恵み、神の愛、聖霊の交わりがありますように。

☆5月1日説教「復活と聖霊」要約:
「キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、霊は義によって命になっています」(ローマの信徒への手紙8:10)
「今、キリストの霊は、確かに私たち自身の内で、私たちの<いのち>になっているのです。それによって私たちは、ここにあるのです。どうか、それに気づきなさい」というのが、使徒パウロのメッセージです。言い換えれば、私たちは今、すでに聖霊によって生きているのです。だから、神さまに祈れるのです。イースターを迎え、私たち一人一人は新たないのちに再び生かされたのです。神の霊、復活のキリストの霊、いのちの霊・・・この聖霊に与って、新たな力を頂き、勇気と希望をもって明日への一歩を踏み出そうではありませんか。主に在ってお祈り申し上げます。
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by aslan-simba | 2011-04-27 13:07 | Comments(0)

☆4月27日(日) イースター礼拝にどうぞお気軽にお越しください。10:30~礼拝 説教「復活」、礼拝後には食事会も行います。入退場自由、参加費:無料(但し礼拝プログラムに席上献金があります。ご協力願える方だけで構いません)。ご一緒に復活の春の到来を記念したいと願います。
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by aslan-simba | 2011-04-18 11:04 | Comments(0)

長いレント

「散ったお花のたましいは、み仏さまの花ぞのに、ひとつ残らずうまれるの。  だって、お花はやさしくて、おてんとうさまが呼ぶときに、ぱっとひらいて、ほほえんで、 蝶々にあまい蜜をやり、人にゃ匂いをみなくれて、 風がおいでとよぶときに、やはりすなおについてゆき、 なきがらさえも、ままごとの御飯になってくれるから。」(『金子みすヾ詩集』より) 
心にしみるような詩の言葉を反復しながら、外を見つめる。気づいてみれば、花もいつしか過ぎ、すっかりと葉桜の季節となっていた。 それでも未だに教会暦のレント(受難節・四旬節)の時は続いている。今年はイースター(復活祭)の到来が遅いためである。ただ自分の人生の中で、今年ほど重く長いレントを感じさせられたことは、過去になかった。その開始の二日後に起こった大震災のみならず、いくつかの身近な出来事のうちにも重い十字架を覚えさせられて来た。 今、そのレントも余すところあと一週間になろうとしている。復活の日々がそこまで来ているのである。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」という御声が響き渡る。私たちは、そして祖国・日本は、必ず立ち上がれるはずだ。


☆4月17日の説教「主の眼差し」の要約:
主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは・・・主の言葉を思い出した。そして外に出て激しく泣いた」(ルカによる福音書22:61-62)
人は他者の眼差しの中を生きています。その中で私たちは、時には喘ぎ、時に傷つくのです。哲学者サルトルは、人間の眼差しは地獄だと書いています。ただ、そんな状態にある私たちをいつも見つめるもっと大きな眼差しがあるのを忘れてはなりません。それは、私たちを慈しみ、執り成し、励ますイエスさまの眼差しです。ペトロは泣いたとあります。この眼差しに触れたのです。彼は自分の姿を知り、神の慈しみに触れて悔改めました。神さまは、今までのペトロを責めるのではなく、これからの彼に期待したのです。私たちも今日、このキリストの眼差しをあびています。この神さまの眼差しを覚え、受難週の時も復活の希望の内を歩もうではありませんか。
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by aslan-simba | 2011-04-16 17:37 | Comments(0)

One for All, All for One

新たな季節を迎えた。ウグイスの声に耳を傾けながら、今を盛りと咲き誇る桜の花を見上げる。待ちに待った温かい日差し・・・それでも今年の自分は、その到来した春を手放しに喜びきれていない。先月の震災、津波、原発事故の重苦しい空気が、今なお、この国を、この世界を覆っている。その中で呻吟されている方々に思いを馳せるときに、つらさが込みあげてくるのである。今、多くの人が同じような思いを抱いていると思う。 いみじくも東北出身の宮沢賢治が『農民芸術概論綱要』という書でこのように語っていた。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」と。自己と他者はつながっている。この世界の中で、誰かが痛めば、自分も共に痛むということである。被災を免れた私たちが、その「つながっている」感覚に気づかされたことには感謝したい。その共苦、共感、共生(ともいき)の思いをもって、共々に立ち上がって行かねばならないだろう。宮沢賢治は同書の結論に「われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である」と書いていた。 元気を出そう。被災地のみならず、この日本全体の復興、復活を心から信じて・・・


☆4月10日説教「赦し」要約:
「イエスは女に『あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい』と言われた」(ルカによる福音書7:50)
ここで言われる「あなたの信仰」とは何でしょうか。テキストに登場する女性は、主イエスの中に神の赦しのみ業を認め、イエスが自分にとって救い主キリストであるということを信じました。その信仰が、彼女を救ったと宣言されているのです。彼女の罪、孤独、苦しみは、主と出会ったことによって打ち砕かれたのです。主は私たちの悲しみを喜びへと変えてくださるお方です。その意味で「信仰」とは、宗教改革者ルターが述べたように、私たちにおいて働く神のみ業なのです。「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」今日も、主がここで私たちに語って下さっています。主を信じて、また新たな一歩を踏み出そうではありませんか。
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by aslan-simba | 2011-04-08 20:01 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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