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初心忘ることなく

新たな年度に入る。暦の上では節目の時である。被災され、今、本当に困難な状況に置かれている方々のことを覚え、連帯と回復の願いを強く思う。これから益々、困難な事柄が具体的に表れ出てくるだろう。まさに正念場を迎えようとしている。まずは皆が本当に一つになって、最後まで力を結集してこの惨事を乗り越えることを心底信じ、祈り続けている。 ところで、新年度は、ある人にとっては、新たな学びを始める時かもしれない。新しい仕事が始まる時かもしれない。あるいはまた、再度の挑戦に挑む時であるかもしれない。それぞれに大いなる希望と決意をもって・・・。いずれにせよ、この「初心」を大切にしたいものだ。 「初心忘するべからず」・・・室町時代の能の大成者、世阿弥の言葉である(『花鏡』)。実は、この言葉には三か条の口伝が付随しているのを知った。その意味するところは、「ことを始めた頃の初心の芸を大切にせねばならない」、「ある程度、経験を積んで慣れてきても、初心の芸を忘れてはならない」、「老後に及び、円熟の域に入っても、初心の芸を忘れてはならない」ということである。 要は、人生、死ぬまで、おごることなく、また捨てることなく、いつまでも初心の思いをもって歩めということであろう。心したい。言葉を換えれば、私たちが現在、青年であろうと、中年であろうと、老年であろうと、どこまでも精進の希望があるということではないだろうか。初心忘ることなく、日々、新たに生き、そして前進したい・・・お一人お一人の歩みの上に豊かな励ましと導きがありますように。


☆4月3日説教「新たに」要約:
この人生、何に支えられ、何の力によって生きるか・・・本当に大切なことだと思わされる。突如として襲いかかる試練や危機に対してどうやって立ち向かうのか・・・。
「わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えてゆくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされています。わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。」(コリントの信徒への手紙二4:17)
 聖書は、主が私たちに絶えず新たな力を与えてくださることを示している。それは、私たちに新たな生き方、新たな人生を可能とするのである。復活の主イエス・キリストの御力に目を注ぎ、堂々と生きよう。そして雄々しく告白しようではないか。「為(せ)ん方つくれども希望(のぞみ)を失わず」(文語)、「わたしたちは四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず」(4:8)と・・・
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by aslan-simba | 2011-03-31 07:54 | Comments(0)

昭和30年代から未来へ

知人から『昭和の子どもたち』という人形写真集を頂いた。三月中旬に大阪で開催された同名の人形展で買い求めたという。それを手にして本当に驚き、感動し、また不思議な思いにもなった。そこに昭和30年代の庶民の姿が見事に再現されていたからだ。 ちょうど高度成長が始まる時代。当時を映し出すジオラマを背景に、半世紀も前の子どもたちやその家族たちの人形が生き生きと配置されている・・・否、人形の写真というのが、はばかれるほど、その一体一体の人形には魂が宿っているようである。しかも、描かれる世界は、子供の頃の、自分の目で見た日常と重なる。メンコ、チャンバラ、行水・・・さらに生活感あふれる幾つもの作品・・・。作者は石井三千子という人。住んでいた場所は異なるが、やはり、自分と同年代の人だった。随所に記されているこの作者の当時を振り返る詩文、それは懐かしさを誘うだけではなく、私たちに新たな方向性をも考えさせてくれた。 ページをくくって行くと、あの頃の私たちの姿が強く甦ってくる。あの貧しくとも元気のあったころ、明日への夢を互いにふくらませ、よくケンカもしたけれど連帯の思いがあった時代・・・子どもたちだけではない。大人たちもそんな思いを抱いていたはずだ。 あの時代の空気は決して消えていなかった。それを今、大震災や原発の事故という非常に辛い形の中で再認識している。被災を免れた私たちにとって、未曾有の危機は、私たち日本人の足下を見直す大きな契機を与えてくれたのではないだろうか。もう一度、この国をかつてのような活力に満ちた日本へと回復させよう。経済のみならず、私たち自身の心の豊かさも益々、高度成長させようではないか。

☆3月27日説教「主の杯」の要約:
「あなたがたは、自分が何を願っているのか分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み・・・受けることができるか」(マルコによる福音書10:38)。
キリストが差し出してくださる杯・・・それは、主ご自身が十字架上で最後の一滴まで飲み干された苦難の杯であり、復活をもって私たちに与えてくださった祝福の杯である。旧約の詩人はその杯をすでに歌っていた。「汝、我が仇の前に我がために宴を設け、我が頭に油を注ぎたもう、我が杯はあふるるなり」(詩篇23:5)と。私たちはこの杯を頂いている。だから人生のどのような困難の只中にあっても、復活の希望が必ずあるのだ。ご自身の杯を高くかかげて、私たちを守り、祝福してくださる主イエス・キリスト。この主を覚え、新たな週の日々に、雄々しく立ち向かって行こうではないか。御恵みに感謝をもって・・・
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by aslan-simba | 2011-03-23 20:31 | Comments(0)

日本の回復を!

今回のこの地震、予想をはるかに超える津波の災害の報道を目の当たりにし、絶句する以外ありませんでした。多くの方々が亡くなられ、また被災されています。今なお大変な状況の中で命をつないでおられる方々、行方不明の方々のことを思うと胸が張り裂けそうで、何を述べてよいか、言葉もありません。
亡くなれた方々のご冥福、被災された方々の一日も早い復興と回復を心より願い、お祈りします。原発事故の状況も徐々に明らかとなり、心配がさらに大きくなっています。
ただ、この事を通して、日本と世界の人々の心が一つとなり、同じ方向を向いて動き出しました。また日本人の冷静さ、礼儀正しさ、そして他者に対する思慮深さが、世界中で再認識されています。
今、私たち一人一人も出来る限りの支援へと立ち上がっています。
神さまの大いなるお支えが被災地の皆さまの上に、祖国・日本、この世界の上にありますように!

☆3月20日の説教「無一物(むいちもつ)」要約:
「旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず・・・」(マルコによる福音書6:8)。
義人ヨブはすべてを失った時、衣を裂き、地にひれ伏してこう述べた。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」(ヨブ記1:21)と。真に迫る言葉ではないか。このようにして、人は試練の真只中で、自分は何も持っていない(本来無一物)ということを知らされるのである。ただ幸いなことには、そこで同時に、何も持たないで生きるとは、実は主の恵みの豊かさに生かされることだとも悟らされるのである―「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」。神さまの大いなる御恵みが、そこに在る。
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by aslan-simba | 2011-03-17 08:52 | Comments(0)

祈り

昨日は大変な地震と津波が日本列島を襲いました。
皆さま方はいかがでしたでしょうか。
被災された方々のことを覚え、心よりお祈り申し上げます。
今なお、余震や二次災害が報道されております。皆さまの上に、主のお守りが豊かにございますように。
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by aslan-simba | 2011-03-12 08:15 | Comments(0)

三寒四温の希望

三寒四温とは良く言ったものです。寒い日と温かい日を繰り返すこの時期、朝夕の寒さは、あい変わらずですが、日中の日差しは春を告げています。 啓蟄(けいちつ)は過ぎましたが、その暦通りに新たな「いのち」が、輝きの季節へ向けて、少しずつうごめき始めているのが感じられるようになりました。 家の近くの小さな公園には、ヤマバトやツグミが最近来るようになり、地面をつついています。虫たちが顔をのぞかせているのでしょうか。今日は幼いウグイスの鳴き声も耳にしたように思います。おそらく本物のウグイスでしょう・・・こんなことを言うのは、ご近所の九官鳥クンも時折、見事なウグイスの鳴き声を披露してくれるためです。 さて、教会暦もレント/四旬節(イースターに備える四十日の期間)に入りました。ただ、年度替わりも重なるこの多忙な時期、その疲れをおぼえ前に一歩踏み出せないような思いの人もいるでしょう。また日々、心配や不安のなかで凍えるような思いの中にいる人もおられるかも知れません。人生の歩みも三寒四温・・・これから穏やかで平安な「復活の春」が必ず巡ってまいります。だから大丈夫、元気を出して立ち上がろうではありませんか。


☆3月13日説教「荒野の誘惑」の要約:
「それから、”霊“はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた・・・」(マルコによる福音書1:12-13)。
聖霊は私たちを苦難(荒れ野)へと導くことがある。その苦難には、私たちを神の愛から引き離そうとするサタンの誘惑という一面もある。神の愛が信じられなくなること・・・それこそがサタンの目的だ。しかし同時に、私たちは、その苦難の只中で救いを求める。その試練こそが救いへと通じる道筋なのである。つまり、人生の苦難をサタンの側から見れば誘惑だが、神の側から見れば勝利を得させるための試練なのである。 主イエスは受洗後すぐに「霊」に導かれて誘惑/試練の中へと送り出された。私たちもまた現実という困難の中に送られるが、主と共にある。だから恐るるに足らない。 感謝。
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by aslan-simba | 2011-03-10 20:56 | Comments(0)

梅花五福を開く

ここしばらくは「寒の戻り」で、少し寒い日が続いているが、自然は寒暖を繰り返しながら、温かな日差しの日々へと確実に向かっているのが分かる。今日、外出時に満開の白い八重の梅を見かけた。自宅にも白い梅の木があるのを思い起こし、帰ってさっそく枝を見上げた。まだ花はつけていないが、蕾が大きくふくらんでいる。もう開花の時も間近、「小枝のウグイス」ならぬつがいのメジロが来ていた。「梅花五福を開く」という。楽しみが一つ増えた。 思えば、昔は花に目を向けることすら考えていなかった。強いていえば桜の時期が気になったぐらいだった。あとひと月もしたら、その桜前線も到来することになる。気づかぬうちに、花の季節は始まっているのである。早春の<いのち>の輝きを覚えながら、迎えるレント(四旬節・受難節>の時を歩んで行きたい。 咲き誇る花々の懸命さ、静かに落花して行く謙虚さ、そのひたむきな姿からも励ましを受けながら・・・今、すでに、ここに救いが、復活と永遠のいのちの希望がある・・・ 「花は黙って咲き 黙って散って行く そうしてふたたび枝に帰らない けれども その一時一処に この世のすべてを託している 一輪の花の声であり 一枝の花の真である 永遠にほろびぬ生命のよろこびが 悔いなくそこに輝いている」(「花は語らず」柴山全慶)。


☆3月6日の説教要約:
「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」(マタイによる福音書11:29)
キリストの軛(くびき)とは、主ご自身が共に人生の重荷を担ってくださることを意味します。主が私たち一人一人と同行二人で歩んで下さるのです。この軛を負い合う関係の中に、私たちのための人生の居場所が存在します・・・心からホッとできるその安らぎの場で、人生の休息と日々を生きるエネルギーとを頂きましょう。
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by aslan-simba | 2011-03-02 10:56 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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