喪中のハガキ

十一月の中頃から、喪中ハガキが届き始める。今年は例年に比べ、その数は多かった。差出人は親しい知人のみならず、ご無沙汰している方からもある。等しく神さまの慰めをお祈りさせて頂く。 翻って、自分自身も今年、いくつかの今生の別れを味わった。牧師がなす葬式の祈りに「主のみ心は奇しくして測り知ることができません・・・人を塵に帰らせて『人の子よ帰れ』といわれます。万物は主のみ旨のままに造られ、かつ保たれていますが、その深いみ旨を知り尽くすことはできません・・・」(『式文』より)とある。そうは言っても、何故、よりによってこの年に、死を与えられたのですか、と神さまに申し述べたい思いも残っている。 先日、ある人がこんな話をされていた。「自分の母は身近な人の死に接するたびに、こう話していたのです。『人はみんな神さまから与えられた使命を背負って生れてきた。その使命を果たし終えると神さまのもとへと帰って行かねばならないのだ』」と。本当にそうだと思った。 また、辛い別れがあるからこそ、私たちは今ある命の尊さと「生死無常」(しょうじむじょう・命のはかなさ)を知るのではないか。もし別れがなければ、今以上に鈍感な自分であったかも知れない。それゆえ、別れを悲しむ以上に、召された方々との出会いを授かったことに深く感謝したい。 主は言われる。「わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない」(ヨハネ10:28)。来るべき年も、聖徒の交わりを信じ、永遠の命の希望をしっかりと心に抱き、互いに輝いて日々を生きようではないか。主の祝福の下に・・・合掌


✡12月27日の説教要約:
「光のあるうちに歩きなさい・・・光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい」(ヨハネによる福音書12:35-36)
「光を信じなさい」・・・光、それは私たちを「永遠の命」へと導く神さまの力です。この光に心底、信頼を捧げましょう。神さまは一人一人の一切をご存知です。そして最大限の配慮をなしてくださいます。本気で神さまを信じ、委ねるときに、物事の一切に変化が生じます。神さまは私共に必ず最善のことをなしてくださるのです。もっと信じ、もっと委ね、聖霊の満たしを求めて、より真剣に祈ろうではありませんか。そのとき、道は大きく拓いているはずです。
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by aslan-simba | 2009-12-26 09:00 | Comments(0)

May You Be Blessed On Christmas!

クリスマスおめでとうございます.
皆さまの上にクリスマスの祝福が豊かにありますように。心よりお祈り申し上げております。
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by aslan-simba | 2009-12-24 15:52 | Comments(0)

クリスマスの光

「これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみにによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」・・・「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ、救い主メシアである」(ルカによる福音書1:78-2:11)
クリスマスとは、「暗闇」や「死の陰」を背負って生きねばならない者たちに訪れた、神さまの憐れみの「光」なのです。その「光」は私共のもとに到来しました。他でもない「あなたがたのために」救い主がお生まれになったのだ、と聖書は告げているのです。ですから、私たちは神さま以外の何者をも「恐れる」必要はないのです。私たちの「赦し」のために、ご自分のすべてを捧げるメシアが来られたのです。この世の何を心配し、何を思い悩む必要があるでしょうか。「光」は「暗闇と死の陰」の現実に押しつぶされることなく、輝きを放ちます。この「クリスマスの光」をしっかりとこの身に受けながら、私たちは新たな一歩を踏み出すように導かれているのです。雄々しく歩みだそうではありませんか。クリスマスの祝福が皆さま方の上に豊かにありますように。

✡ご案内のように、桃山栄光教会ではクリスマスの集会を次のように行います。
 12月20日(日)10:30~クリスマス礼拝
           12:00~クリスマス祝会
 12月24日(木)19:00~キャンドルサービス
 
今年は「クリスマスの光」をテーマに礼拝をご一緒したいと、はりきっております。肩のこらない本当に気軽で気さくな教会です。お立ち寄り頂ければ幸いです。
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by aslan-simba | 2009-12-18 12:23 | Comments(0)

主にある悟り

何かと気ぜわしい師走の日々・・・時間がどんどん過ぎて行く。朝早くから聖書の御言葉をつむぐことに没頭し、夜の帳(とばり)と共に、我に返るといった日もある。だからと言って、事がすべて順調に運んでいるのではない。遅々として進まず、あせる日もあり、大抵は、行きつ戻りつしているのが実態。そして一日が終わる。 12月にもなると、就寝につくときは、その日一日の出来事に限らず、この一年を振り返っている。今年は、何人かの大切な知人が逝去した。また愛犬も天へと送った。どこか辛さ寂しさと共に、自分自身の鈍さ、至らなさ、そして足りなさも思わされる。あの時、ああしておけば良かった、と・・・過ぎた日々への悔いで、気が重くなる。これも「罪」というのだろうか。神さまの憐れみにすがる以外に術はない。 昨夜も、そんな思いを抱えつつ、神さまに祈った。その折に、「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」という言葉が浮かんできた。般若心経や阿弥陀経に出てくる「この上もない悟り」を意味する言葉である。 「そうだ。一切を本気で主に委ねることだ。天上の祝福のなかにある先達は今、神さまの御力の下、委ねることの大切さを教えてくれているのだ。それをしっかりと理解することこそが、私の悟りではないか」と示された。 新たな「いのち」の誕生を象徴するクリスマスが近づいている。2009年最後の月、少し手を休め、「いのち」の尊さと召された方々の「永遠のいのち」、そして生死を超えた「主に在る交わり」に心馳せたい。共にあるインマヌエルの恵み・・・神さま、有難うございます。


☆「・・・そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った『おめでとう恵まれた方、主があなたと共におられる・・・神にできないことは何一つない』。マリアは言った『わたしは主のはしためです。御言葉どおり、この身になりますように』。そこで、天使は去って行った」(ルカによる福音書1:27-38参照)
二千年前の「受胎告知」の出来事です。天使のお告げに対して、マリアは答えました。「御言葉どおり、この身になりますように」、ここにマリアの待降節の祈りがあります。私たちもマリアに習い、主を心から待とうでははありませんか。神さまの御言葉に全幅の信頼をおいて。「神にできないことは何もない」、「主が共にある」・・・そして救いが「この身になる」ことを真摯に受け容れて。
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by aslan-simba | 2009-12-10 21:13 | Comments(0)

Christmas is coming soon!

★12月20日(日)午前10時30分~クリスマス礼拝。
          午後12時ごろ ~クリスマス祝会(おいしいネパール料理もあります!)

★12月24日(木)午後7時~クリスマス・キャンドル・サービス

今年のクリスマスは桃山栄光教会でほっこりと・・・ご一緒しませんか。お気軽にお越し下さい。
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by aslan-simba | 2009-12-07 12:11 | Comments(0)

「待つ」季節

「すべてを証しする方が言われる。『然り、わたしはすぐに来る。』アーメン、主イエスよ、来てください。」(ヨハネの黙示録22:20)。 
日の暮れる時間が日ごとに早くなり、夜明けが随分と遅くなった。朝の散歩は真っ暗な闇に輝く、有明の月を仰ぎ見ながら歩く。待降節(アドヴェント)・・・身をもって日照時間の短さを実感する太陽が低く暗い季節に、私たちは明るい希望の<しるし>を心から待ち望むのである。この待降節の原義はラテン語の「アドヴェントゥス」に由来するもので、「来つつある(coming)」ということだ。私たちのもとへと向かっておられる「光」、イエス・キリストを心から「待つ」・・・。 ただし、待降節はクリスマスを待つだけの時期ではない。同時にそれは、「終末」にキリストが来られることを、新たに憶える祈りのときでもある。終末とは、いつの日か自分自身の身に起こる、自らの最後に関わる事として考えておきたい。それを経て、私たちは主イエス・キリストの御顔を、直に仰ぎ見ることが許されるのである。その時に備えて「待つ」・・・換言すれば、今を生きることが待つことであり、生きる限り待つのである。「待つ」ことが「永遠のいのち」の扉を開く・・・。 人生の冬を迎え、晩年になっても、私たちには、なお喜びと期待とをもって「待つべきもの」、「待つべき方」があるのだ。実に有り難いことではないか。待降節は、そのような「待つ」という信仰の喜びを私たち教えてくれている。


☆12月6日の説教要約:
「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」(マタイによる福音書1:23)
主イエス・キリストの誕生は、「神我らと共にいます」ことの<しるし>です。神さまは私たちの救いのために、この世に来てくださり、いつでも、どこでも私たちと共にいてくださるのです。だから私たちは恐れることなく、もっともっと喜びに満ちて、もっともっと笑顔をもって生きられるはずです。クリスマスの出来事はこのことを教えてくれています。
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by aslan-simba | 2009-12-04 22:35 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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