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くちなしの花の記憶

くちなしの花の季節を迎えた。一重そして八重に咲く純白の花。一面に甘い香りを漂わせている。ふと、母が亡くなった日にこの花を見た記憶が甦ってくる。梅雨の晴れ間だったあの日、初夏の明るい太陽がまぶしかった。 健康で病気一つ知らなかったような母が「肺炎」で近隣の病院へ入院したのは、その一月半ほど前の五月の連休明けだった。病状は回復せず、すぐに大きな病院へ転院することとなった。医師の話では原因不明の「難病」(厚生省指定)ということで、そこでも手はほどこせなかった。苦しむ母の姿・・・遠く離れて住んでいるだけに心配は募るばかりだった。その母の傍らに、けなげに付き添い続ける父の姿も思い出されてならない。  あの時のくちなしの花は、体の苦しみから解放され、自由になった母の魂の存在を告げてくれたのかもしれない。事実、この後、母の声を聞くような不思議な体験を私たちは本当にした。今にして思えば、白いこの花が、いのちの復活と新たな季節の到来を告げ、私たちを励ましてくれたのではないだろうか。 くちなしの花の「花言葉」を調べてみた。「洗練」「優雅」「喜びを運ぶ」・・・そのメッセージを大切に心に刻みたいものだ。 最近、こんな歌も知った。「梅雨の夕暮れ 雨戸を閉めようと ガラス戸を明けると くちなしの甘酸っぱい香りが 庭一杯にただよっていた  身を乗り出した私のからだを 高貴な香りが包み込むように また一年が過ぎたのね この香り 天の川を借りて 天国の父母に届けたい」(牛尾良子作詞「くちなし」、女性合唱とピアノのための たおやかな詩)。今年は母の二十七回忌。くちなしの花が一つの時の区切りを告げてくれているように思えてならない。合掌。


☆6月28日の説教要約:
「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします」(コリントの信徒への手紙二7:10)。
私たちが頂いている大きな御恵みの一つ、それは神さまの御前にあって、「悲しむことができる」、「主に在って、泣くことができる」ということです。神さまの御前で泣いて、そして、もう一度そこから立ち上がって生きて行けるのです・・・十字架の赦しの神さまの御許にある私たちは、そこから復活の力に与り、再出発できるのです。だから、大丈夫。勇気を出しましょう。主が共にあることをしっかり心に刻みつつ・・・
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by aslan-simba | 2009-06-27 08:31 | Comments(0)

祈りを「かたち」へ

京都にあるハリストス教会(東方教会、正教会)を訪れ・・・聖母子のお姿を描いたイコンを前にして不思議な思いに捉われた。平面の画面の中に、静かだが、確かないのちを覚え、そこに聖なる霊の招きを感じたのである。 イコンは、「手で描かずに、祈りで描く」。「すべてを治められる主よ・・・わたしの魂を聖霊によって輝かせ、あなたの僕である私の手を導き、聖なる教会の栄光と賛美のために、まったき価値あるイコンを描かせてください・・・」と祈りながら、東方教会の修道者たちは一筆一筆に注意を払いながらイコンを描いてきたという。これは宗教芸術に共通することかも知れない。 私たちに身近な仏像・・・この「仏」を刻む仏師たちは「一刀三礼」(いっとうさんらい)、つまり一彫りごとに三度の祈りを行った。真摯な祈りによって、刻まれた仏像、こうして私たちは素晴しい仏様と出会ってきたのである。 イコンにせよ、仏像にせよ、多くの人々に祈りの心を与えるものは、自らが祈りによって現されたのである。言葉を換えれば、祈りによって「形」にされたのである。 事柄の「形」は異なっても、自らの祈りが生活の場において「良き形」となることは、私たちの願いである。まずは自分自身の心を整えたい。このような言葉がある。「見えないものを見よ。聞こえないものを聞け。そうすればあなたは神の語りかける場にいる」(『シレジウス瞑想詩集』より)と。今、心を静め、主の確かな御言葉に耳を傾け、祈ろう。祈りの一筆が、一彫りが、必ず「良き形」となる!


☆6月21日の説教要約:
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし必要なことはただ一つだけである」(ルカによる福音書10:41-42)。
現代という高度情報社会、数多くの情報に左右されながら、生きている自分たちに気づかされることがあります。そればかりか、情報洪水に押し流され、方向感覚を危うくされることすらあります。究極的に必要なことは「ただ一つ」の情報・・・主イエス・キリストの御言葉によって生かされることなのです。そこから勇気と力を得て、今の時代のなかを、新たに出発することが可能となる・・・有難いことです。
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by aslan-simba | 2009-06-19 22:38 | Comments(0)

虹の約束

六月、雨上がりの夕方、青々と輝く木々を見上げる・・・その上に見事な弧を描く虹に気づいた。天からのやさしい七色の光りに感謝。神さまの私たちに対する確かな「守り」と「支え」を心底、実感する。 太古の昔、洪水が過ぎ、方舟から降りたノアの家族に、神さまは、この虹をもって希望の約束を与えてくれたと聖書は告げる。自分たちと動物たちだけが残された世界、見渡す限りの荒涼とした光景、ノアと家族の面々は大きな不安と孤独感にさいなまれていたはずだ。しかし、神さまは空に美しい虹を置き、語られた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、世々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである・・・」(創世記9:12-13)と。そこから彼らは、立ち上がって行く勇気と力とを得、新たな世界の歴史を築き上げて行ったのである。 同じ約束に、今、ここで与っていると思うと、言い知れない感慨に満たされる。そんな自分に「恐れるな」「安んじて行け」との御声が響く。 ふと我に帰ったとき、「虹の彼方に」のメロディーが口をついた・・・ 「♪Somewhere over the   rainbow」、「・・・虹をこえた彼方の空はまったき青空。そこに、あなたが願ってきた夢が、まさに実現する・・・幸せの小さな青い鳥が虹をこえて飛んで行くのだから。わたしにできないはずはない・・・」(映画「オズの魔法使い」より)、と。虹の約束がある限り、心配はいらない。


☆6月14日の説教要約:
「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思いはかっているのをご覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた」 (創世記6:5-6)。
ここで、聖書は神さまを擬人的に描いております。人間の赤裸々な悪の姿、そして、手の施しようのない世界の現実を見つめ、「後悔し」、「心を痛め」られた方として・・・言葉を換えれば、人格的な神であることが示されているのです。だからこそ、どこまでも人の悔い改めを待ち、世界を赦そうとされるのです。そのことは時がくだり、主イエス・キリストの十字架と復活において明確にされました。私たちは、その主を知らされ、その主にあって今日もここに生かされているのです。感謝
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by aslan-simba | 2009-06-12 08:33 | Comments(2)

おかげさま

最近、身近に起こったいくつかの出来事を機に、ふっとこれまでの人生の歩みを振り返ってみた。さまざまな思いが錯綜する。禍福はあざなえる縄の如し・・・本当にそうだ。 ただ、あらためて気づかされたのが、「今、ここに在る、有難さ」だ。これは、神さまのお導きであるが、同時に皆様や家族を含め、これまでに出会った多くの人々や物事から受けた「ご恩」のおかげである。そこで、自分のこれまでの歩みの思いを言葉で示せば、「有難うございます」と、「おかげさま」に尽きる・・・これで、何とかここまで来ることができた。 「おかげさま」・・・ 以前、ある方がこう述べていた。「人生とはおかげさまを知ること。おかげさまとは感謝すること。感謝とは相手を認めること。相手とは、私を支えてくれるものたちのこと」である、と。なお、「おかげさま」(御蔭様)の「御蔭」とは、「神仏やご先祖様の助け」を意味するという。つまり、そこに私たちが頂いた「ご恩」の根源が在るのである。ならば、「おかげさま」という感謝の心は、「見えるものではなく、見えないものに目を注ぐ」(コリントニ4:18参照)と述べた使徒パウロの信仰のあり方とも重なるだろう。 共々に、これからも神さまを、イエス様を、聖霊様を・・・そう! 私たちの陰で私たちを支え、生かしめて下さる「おかげさま」を心に刻んで歩んで行こう。それを通して、この人生の歩みそのものが祈りとなりますように。


☆6月7日の説教要約:
「あなたの慈しみはわたしを超えて大きく 深い陰府から わたしの魂を救い出してくださいます」(詩編86:13)。
日々の歩み・・・考えてみれば、目先のことに一喜一憂し、小さなことに振り回されている自分である。 さらに、人生というものに思いを馳せるなら、それがいかに不確かなものであるかにも気づかされる。変わらないと思っていたものが崩れ、破綻し、奪われる・・・そのような辛い経験も、私たちは時に味わわねばならない。 神さまの慈しみは、そのような人間の現実のなかで、右往左往する私たちの魂を助け出し、救い出してくださるのである。この慈しみを信じ、この慈しみの内を生きる時に、必ずや道は拓かれるはずだ。
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by aslan-simba | 2009-06-06 08:18 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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