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寒の戻り

西日本各地での桜開花が、数日前に報道された。京都、兵庫、大阪・・・と。桜だよりは、日本の野球選手たちの大活躍のニュースと共に私たちを喜ばせ、このまま暖かい春の到来を思わせた・・・。 しかし、また寒さが舞い戻ってきたようだ。「花冷え」というのだろうか。それと時を同じくするように、逝去の報が、重なって耳に入ってきた。親鸞が九歳で得度をする前に詠んだと伝えられる歌が脳裏を走った。「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」・・・まさに人の生の無常を詠ったものである。あらためて自分の人生の足元へ目を注ぎ、生への執着と死への絶望を超えて生きるようにと促される。 それでも人の死の事実は辛い。昔からお世話になってきた遠方の知人の葬儀の場へと駆けつける。桜の季節の到来、そして寒の戻りのなか、いろいろな思いが錯綜する。ふと、西行法師の歌を思い起こした。「願わくは花の下にて春死なんその如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ」・・・旧暦の如月、その望月の頃とは、新暦に直せば、ちょうど今頃のことではないか。春を愛した人にとって最も相応しい時期に、天に召されたのだろう。 やがて暖かさは戻り、美しい満開の桜に私たちは囲まれることになる。そして、桜が散る頃に訪れる復活祭という本物の春の到来に、希望と喜びの思いを馳せたい。新たな<いのち>の輝きに装われることを信じて・・・。
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by aslan-simba | 2009-03-26 09:45 | Comments(0)

春のよろこび

朝が早くめぐって来るようになった。五時半にもなると空が白み、鳥たちがさえずり出す。今日もここに新たな一日が始まろうとしている。犬たちを連れて家を出る。見上げると、東の空には月が残っている。この有明の月も、早朝のやさしい光を喜んでいるようだ。この時期の肌寒さは心地よい。彼らと一緒に少し走るとすぐに体が温まり、汗をかくほどである。 春到来、ここ二三日ポカポカした日々が続いている。桜前線も京都に近づいてきているようだ。このまま直ぐに気持ちのよい気候となってくれれば良いのだが・・・教会の暦ではまだレント(受難節)、また花どきの習いで陽気も不順になりがちな時期であることも弁えておこう。それでも<復活の春>は、確かに私たちのもとを訪れつつある。感謝にたえない。新たな<いのち>の季節の訪れを心から喜びたい。子供の頃に日曜学校で歌った讃美歌がふと口をつく。 1.原に若草が 青く萌え出すと 雪解けの水が 高く音たてる。 わたしたちも春の喜びを歌おう 春をつくられた神さまを歌おう。 2.風がやわらかく 野原を通ると 木の枝が揺れて さらさらささやく。 わたしたちも春の喜びを歌おう。 春をつくられた神さまをうたおう。 3.遠くで家畜の 声が聞こえると 近くで小鳥が 何か歌いだす。 わたしたちも春の喜びを歌おう 春をつくられた神さまを歌おう(聖歌652「原に若草が」作詞:中田羽後より)。
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by aslan-simba | 2009-03-18 19:18 | Comments(0)

愛語

「ことば」というものに少なからぬ興味がある。その大切さ、恐ろしさも知っている。同時に、「ことば」下手な自分への反省もある。 ある人が『コトバは人生をつくる』(谷口清超・日本教文社)と記していた。この人は、「言語」や「文字」のことばだけではなく、体の動きや心の思いもコトバだ、という。確かに、言語表現だけではなく、身体をも駆使して、人は自分の思いを表すことがある。「目は口ほどにものを言う」と言われるように、身体表現が言語表現を超えることもある・・・とは言うものの、人間の場合、やはり言語という意味でのことばが、大きな役割を担うことになるだろう。 「ことば」は、私たち自身の思いを表す道具として、社会生活上欠くことができない。つまり、そのなかに、私たち自身の内実が映されるのである。良い思いを言葉で表現することを、仏教では「愛語」という。それは必ずしも心地のよい柔らかい「ことば」の意ではない。発せられる「ことば」の「こころ」に、真実な自分自身の「いのち」が込められることが問われるのである。ちなみに、道元禅師は「愛語をこのむは、ようやく愛語を増長するなり」と述べている。愛語を心がけることにより、そのようなことばが、自らのうちに増えて行き、いつくしみの思いが増して行くということなのだろう。聖書も、私たちに「快い言葉で語りなさい」(コロサイ4:6)と語っている。ことばを大事にしたい。
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by aslan-simba | 2009-03-13 21:43 | Comments(0)

先月の後半、教会近くの池の周りに人だかりができていた。見れば、立派なカメラを抱えた人たちで賑わっている。何事かと尋ねてみると、日本へは飛来記録のほとんどない「ノハラツグミ」という鳥が一羽、ここで見つかったのだそうだ。その鳥を一目見ようと、マニアが全国から詰め掛けているらしい。 先週の日曜日の帰りに、鳥のいる方向を肉眼で探したが、確認できなかった。親切なマニアの人が、望遠レンズのファインダー越しにこの鳥を覗かせてくれた。とりわけ色が派手であるといったような変わった鳥ではない。大きめな雀のように見えた。しかし、嬉しかった。その姿を見つめながら、このような御言葉が示されたのである。「その一羽さえ神がお忘れになるようなことはない。・・・恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりはるかにまさっている」(ルカ福音書12:6-7参照)と。普段、雀を見て御言葉を思い起こすことはあまりないのだが・・・。 ともあれ、ラッキーなことに遭遇したようで心はずんだ。「一生に一度しか見られない珍鳥」に、教会のそばで出合えたのである。もしかしたら、この鳥がレントのときに、「恐れるな」というメッセージを天から特別に、私たちへと運んでくれたのではないか、と。神さまは自然や生き物を通しても御旨を私たちに示す・・・どうだろうか。いずれにせよ、幸先の良い春の到来。恐れずに前進しよう。

P.S.本日、教会への往路、帰路のいずれの折にも、ノハラツグミを肉眼で見ることができました。すぐ目の前にまで来てくれたのです。帰りがけには教会の人たちも皆一緒でした。「恐れず元気に新たな週を過ごせ」という神さまからのメッセージのはずです。ノハラツグミさん、ありがとうございます。合掌(3月8日)
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by aslan-simba | 2009-03-05 08:56 | Comments(0)

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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