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泣いた赤鬼

寒い日は続くが、あと三日もすれば節分、暦の上に春が到来する。「鬼は外、福はうち」・・・子供が幼稚園の時に、「鬼さんに豆をぶつけたらかわいそう」と言い、『泣いた赤鬼』(浜田廣介、昭和八年の作品)の話を教えてくれたことを思い出す。 山の中に住む、人間と仲良くしたい赤鬼、しかし人間たちは誰も怖がって自分のところに近寄ってくれない。友人の青鬼に相談すると、彼はひとつの案を示した。それは青鬼が人間のところで大暴れする。そこへ赤鬼が登場して青鬼をこらしめれば、人間たちは赤鬼を優しい鬼と思うだろう、と・・・計画はうまく行き、赤鬼はたくさんの人間の友達ができた。ある日、赤鬼は青鬼のことが気になり、青鬼の家を訪ねる。そこに貼り紙があった。それを読み、赤鬼は涙を流す・・・「赤鬼くん、人間たちと仲良く楽しく暮らしてください。もし、僕がこのまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それで、僕は旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事にしてください。どこまでも君の友達、青鬼」・・・ ついに人間と仲良くできた赤鬼君、その赤鬼の願いを叶えるために全力を尽くし、最後は身を引いた青鬼君。なんとも心優しい鬼たちではないか。今のこの時代、彼らはどこで、どうしているのだろう。
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by aslan-simba | 2009-01-31 08:48 | Comments(0)

聖イサクの言葉

古書を散策し、宗教の先達たちの書物を訪ねる。何らかの発見がそこにあり、さらには新たな助言や励ましを見出すこともある。たとえば、シリアのイサク(Issac of Syria)と呼ばれる七世紀の人の残した言葉に思いを馳せる。彼は生涯の大半を修行者として生きたシリア正教会の聖人である。その豊かな霊性を湛えた言葉の影響は、宗派の違い越え、さらにはイスラームの人々にまで深く及んだという。 「困難・災害があなたの上に臨んだとき、打ち沈んだり、これは神の道とは違うと考えてはならない。なぜならば神のこの小路は、すべての時代とすべての世代を通じて十字架と死という仕方によって生れてきたからである。・・・略・・・神の道は日々の十字架である。誰も安易な道を通って天に昇った人はいないのである・・・」。「聖書の中に隠されている神秘に、祈りなしに近づいてはならない。次のように祈るがよい。『主よ、絶えず御言葉のうちにある力を受けさせ給え』と。祈りは、聖書の真の意味を知る鍵なのである」・・・今の私たち対して示された言葉のようだ。 さまざまな困難や問題が喧伝される現代、しかし、この時代を、この世界を支えておられるのはどこまでも神ではないか。ならば、私たちはそこに、主イエス・キリストの十字架を見せていただいているのである。真摯に祈り、誠実に御言葉から聞き、御力に与り、雄々しく、また寛容に生きよう。御国へと至る道は必ずや開かれる。
(聖イサクの記念日は1月28日)
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by aslan-simba | 2009-01-23 09:54 | Comments(0)

冬―祈りと希望の季節

「上空には寒気が入り込み、この冬一番の冷え込みになるでしょう・・・」。昨夜の天気予報の通り、今朝は本当に寒い。夜明け前に起き上がり、冷え冷えとした中を歩き始める。外は、まだ月の光が地上を照らしている。 はりつめた大気の中、はく息は白い。枯葉が敷き詰められた道、霜柱の立つ朝・・・。前に出す一足一足に合わせ、今日一日生きる力を祈る。 三十分ほど経っただろうか、空が明るくなって来た。街灯のあかりが消え、遠くに見える山々の頂上に雪がかかっていることが分かる。「山眠る冬」・・・か。この季節もなかなか味わいのあるものだ。 そういえば、「冬」という言葉は、「冷える」の「ひゆ」と「増える」の「ふゆる」が語源になっていると聞いたことがある。「ひゆ」は分かるが、「ふゆる」の方はピンとこなかった。今、その意味が自分なりに理解できたようだ。山や自然は眠りにつき、動物は冬眠して十分に英気を養うこの時期。それは、新たな春に立ち上がり、夏は活力をもって過ごし、秋に豊かな実りに与るためである。その実りを大きく増やす準備の期間、祈りと希望の季節こそが冬なのだ。 この「冬の時期」「厳冬の時代」、私たちも御言葉と祈りによって静かに力を蓄え、復活の春から始まる季節に向けての十分な備えをなそう。 照り出した冬の朝の白い太陽。そのやさしい光と温かさに感謝しながら。
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by aslan-simba | 2009-01-15 10:22

希望の歩みへ

今年の正月は心なしか、賑わいに欠けていたような気がする。そして、寒の入りと共に寒さが一段と身にしみるようになってきた。つめたい日々・・・不況に伴う暗いニュースの報道にも心を痛める。それは他人事ではなく、私たち自身の問題でもある。また、年末来のパレスチナでの出来事は、積年のパレスチナ問題の解決に深く関心を寄せるものの一人として、暗澹たる思いにさせられた。 暗い冬の到来・・・しかし、これですべてが終わるのでは決してない。「小寒の氷、大寒に融ける」という。言い換えれば、小寒の頃の今の寒さが一番厳しいのである。ただ、「大寒に氷が融ける」というように、近い将来に必ずや道は拓けることを信じたい。 今朝、白い息を吐きながら、楽しそうに声を出しながら学校へと向かう小学生の子供たちに出会った。冬休みも終わり、いよいよ三学期、学年最後のときを頑張って欲しい。後ろ姿を見送りながら思った。私たちも彼らに負けずに元気を出そう、と。 希望の信仰に与っている事実を感謝をもって思い起こそう。「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださる」(ローマ15:13)のである。現実を冷静に見据えながらも、主が共にあることをしっかりと心に刻み、前向きに進み続けようではないか。巡り来る暖かい復活の春へと心身を傾けて。
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by aslan-simba | 2009-01-09 22:54

謹賀新年

子供の頃、お正月が本当に楽しみだった。年の瀬は冬休みの宿題の傍ら、せっせと家の手伝いをした。「もういくつ寝るとお正月」と歌いながら。四、五十年も前の話である。 あの頃は普通の家でも、正月仕度に手間をかけた。障子や襖を張り替え、小さな家の隅から隅まで雑巾がけした。父はせわしなく動き、母はおせちづくりに時間をかけていた。 そして迎えた新年の朝、外にでてみると、そこにハレの世界が現出・・・家々の門や玄関口に置かれた門松や玉飾が神々しい。見上げれば、明るい元旦の空の下、日章旗がひっそりはためく。不思議な静寂の空間に自分がいるように思えた。唯一にぎやかな歓声が響き渡るのは、街はずれの広場。凧揚げや駒をまわしていた友達が一緒に遊ぼうと声をかけてくる。「今日は遊ぼう。明日は電車で親戚の家へ行くから」と・・・楽しくワクワクする。美しく新しくなった町並み。自分たち自身も新しくなったという思いがした。 大人になって、そのような正月の感慨は薄れてしまった。街の光景も年末年始の大差なくなっている。時代の変遷だろうか。しかし私たちは新しく、若くあり続けたい。「わたしは新しい天と新しい地を見た」{黙示録21:1}。今年はあの頃にも勝る夢と希望をもって新年を迎えられた。 皆様とご家族にとって幸多き年でありますように。
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by aslan-simba | 2009-01-01 17:48

〒612-8006 京都市伏見区桃山町大島86-29             京阪桃山南口より徒歩8分 ほっこりした教会、牧師の飼い犬です。
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